2-4
ロウカを歩いていると音楽が聞こえてきた。モーツアルトだというのはわかるけど、さすがに曲名までは覚えていなかった。
僕たちは遊戯室に向かっていた。一階の半分以上を占めているその部屋にホームの人たちは集まっていると聞いた。
みさえさんを追って中に入る。テーブルとソファーのセットが十組ほど等間隔に並べられていた。そして、前に舞台があって、そこには楽団がいた。CDでもかけているのかと思ったら、おじいさんたちの生演奏だったのである。さっきレストランで席を譲ってくれた人たちだ。
ピアノやバイオリン、フルートにチェロ。
いろんな楽器が奏でるメロディにみんなが聞きいっていた。
そこへ。
パンパン。
みさえさんが手を叩いて演奏を中断させる。当然みんなは何事かとこっちを見る。
「みんな聞いておくれ。今日は何と筒井医師の息子さんが遊びに来てくれたんだよ」
別に遊びに来たわけではないんだけど。ただグロリアに強引に連れてこられただけで。けど、そんなことを知るはずもないみんなの視線が僕に集中する。
勘弁してほしい。
「そりゃあいつもより気合い入れて演奏せんといかんのぅ」
バイオリンを弾いていたげんさんが言うと、指揮をしていた別のおじいさんがタクトを振り上げた。
それぞれの楽器がやさしいメロディを奏でだす。何て楽しそうなんだろう。僕が見てもわかるくらいに。
「カツヒコ、こっちだよ」
気が付くと、グロリアはすっかりみんなの輪の中に溶け込んでいた。
僕は呼ばれて、空けてくれたソファーに座った。
みんなは僕に父さんへの感謝の言葉ばかりを繰り返し言ってくる。僕にはそれがたまらなくいやだった。僕は両親に感謝したことなんか一度もなかった。ふたりとも病院のことばっかり考えていて、参観日だって運動会だって一度も来てはくれなかった。
僕はいつだってひとりぼっちだった。
父さんは母さんに何も言ってはくれなかった。婿養子の父さんは母さん頭が上がらないんだ。きっと父さんは病院が目当てで母さんと結婚したんだ。だからきっと僕のことなんかどうでもいいんだ。母さんだってそうだ。僕を人間として見てくれたことなんかない。
「そんなことないよ」
「えっ?」
グロリアだった。まるで僕の心でも読んだようなタイミングだった。
「今……」
と言いかけた時。
「今日はまた一段とにぎやかだな」
上下のトレーニングウェアを着た男の人が入ってきた。父さんと同じ年ぐらいかな。でも、ガリガリにやせている父さんとはずいぶんと対照的でガッチリとした体格をしている。ここのホームで働いている人かな。
「あ、園長。こんにちはー」
グロリアは元気よくあいさつする。
さっきのは何だったんだろうか。単なる会話の偶然だったのかな。聞きそびれてしまった。
「お、グロリア。いつも元気だな」
「だってそれだけが私の取り柄だもん」
「じゃあオレといっしょだ」
がはははと豪快に笑う園長さん。
「まあ、園長。いいとこに来たよ。聞いておくれよ。筒井医師の息子さんだよ!」
みさえさんは少し興奮していた。
「そりゃあ珍しいこともあるもんだ」
園長さんは興味津々に上から僕を見下ろす。
「初めまして。お邪魔してます」
僕は軽く会釈する。
「初めまして、って。覚えてないかな。何回か君の家に行ったことあったんだけど」
「え?」
「君のお父さんにはこのホームを作る時にずいぶんと相談に乗ってもらったからなぁ。主治医まで頼んでしまったし」
そういえば、ここ何年か父さんを何回も尋ねてきたおじさんがいたっけ。邪魔になるからっていつも二階へ追いやられていた。 この人が父さんに主治医なんか頼まなければ……。
「おいおい。そんな恨めしい顔で見ないでくれよ。無理を承知で主治医頼んだのは悪かったって思ってるんだ」
どうやら今の感情が顔に出ていたらしい。園長さんはすまなそうに僕の頭をなでた。ここでも子供扱いである。
「大丈夫だよ、園長。カツヒコはお父さんを取られてすねているだけなんだから」
グロリアが勝手なことを言う。どうして僕がすねなきゃならないんだよ。今更父さんなんていてもいなくても同じなのに。
「克彦くん、よかったらふたりで話をしないか?」
「私は?」
「グロリアはダメ。これは男同士の話し合いだからな」
「園長のいじわるぅ」
グロリアはぷぅと口を尖らせる。
「放っておきよ、グロリアちゃん。むさくるしい男たちの話に首を突っ込むことはないよ」
みさえさんが毒舌でグロリアをたしなめる。
「さすがミサエさん。よくわかってるよ」
「おだてたって何にもでやしないよ」
「わかってるって」
僕の意志はすっかり無視されて話が進んでいたため、断るチャンスを失ってしまった。




