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3-3



 僕はまずナースセンターへ行って純くんのことを看護婦さんに頼むと、その足で一階の院長室に向かった。たぶん母さんはそこにいるはずだから。本当はまだ母さんたちに会いたくないんだけど、確かめたかった。純くんの病気のことを。

 昼からは休診になってて一階はしーんと静まり返っていた。

 院長室は診察室の隣にあった。

 僕はドアの前で立ち止まる。やっぱりいざとなると足がすくんで中へ入れない。僕はドアを少しだけ開けて中の様子をうかがった。

 父さんと母さんが見える。ふたりとも当然診察着のままだ。

 父さんがイスに座っている母さんにコーヒーカップを手渡している。

「どうしたんだい、君らしくないじゃないか」

「結局、私もお母さんと同じだったんだってことを痛感させられたわ」

 話し声が聞こえてくる。その会話に僕は聞き耳を立てた。

「私も物心ついた時から『お前は筒井病院の跡取りだから医者になるために勉強しなさい』って言われ続けてきたわ。けっこう重荷だったのよね。だから、自分に子供ができた時には自由にさせてやろうって思ってたの。なのに、私は克彦に私と同じ思いをさせてきてたのよね。今朝あの子に『僕は母さんの人形じゃない』って言われた時はとてもショックだった。子供の頃の辛い気持ちをすっかり忘れてしまっていたわ。このまま克彦が戻ってこなかったら、私……」

「和枝ばかりは責められないよ。僕は病院を再建させることに専念してきて克彦のことは全部君に任せてしまっていたからね」

 家にいる時にふたりが話しているのってほとんど記憶になかった。こんな風に話してるのを聞くのは初めてじゃないかな。そして、いつも気丈な母さんがあんなに気弱になっているのも。いつも顔を合わすと勉強しろって目を吊り上げてるのに。

 親だって完璧じゃない。

 園長さんの言った言葉を思い出す。

 ドアノブをつかんでいた手が自然に動いた。      

 ドアが開いていく。

「克彦?」

 母さんは持っていたコーヒーカップを落とす。割れはしなかったけど、残っていたコーヒーが床に広がっていく。

「母さん……今朝はごめんなさい」

「克彦……」

 母さんは僕に抱きついてきた。泣きじゃくる母さん。まるで子供みたいだ。

 母さんってこんなに小さかったかな。

 僕の中で母さんへの憎しみが消えていく。

「母さんこそ許してちょうだいね。克彦の気持ちも考えないで」「ううん」

 今までのことがまるでうそのように心が軽かった。僕は知らず知らずに心に壁を作っていたのかもしれない。けど、もうそんな壁はどこにもない。

「父さん、希望園の園長さんから聞いたんだ。僕何も知らないで……」

「克彦が謝ることじゃない。お前に心配を掛けまいとして隠していた父さんたちが悪かったんだ」

 僕よりも頬の角張った顔の父さんはいつも気難しそうにしているけど、この時はすごく照れ臭そうにしていた。園長さんの言ってた通りだった。

「父さん今度僕と遊ぶ時間を作ってほしいんだ」

 僕も照れ臭かった。

「そうだな。これからはなるべく克彦といられるように時間を作るよ」

 今まで思っていても口に出せなかったことが言える。自分でも不思議だった。

 たった半日でずいぶんと自分が成長したような気がした。グロリアに振り回されていろんな人たちに会えたおかげだろうか。

 希望園の園長さんやみさえさん。

 病院の子供たち。

 純くん……。

「母さん、昨日入院してきた宮城純くんのことなんだけど」

「あなた知ってるの?」

「教えてほしいんだ。純くんの病気のこと」

 急に母さんの表情が変わった。母親から医者へと。

「いくら息子でも患者の病名を教えるわけにはいかないのよ」

「心臓が悪いんじゃないの?」

 母さんはピクリとも表情を変えなかった。さすがは何年も医者をやっているだけのことはある。

「母さんは純くんの夢知ってる?」

「えぇ。昨日お母さんから聞いたわ」

「だったら」

「克彦!」

 声を上げたのは、父さんだった。

「病院のことに口を出すもんじゃない。母さんに任せておきなさい」

 確かにそうだ。僕が口を挟むべき問題じゃない。

 僕は何て非力なんだろうか。純くんの病気を治すこともできないし、夢を叶えさせてあげることもできない。

 これからも純くんと同じ思いをする子供は増えていくかもしれないんだ。

 僕に何かできることはないんだろうか。

 この時、僕は自分が目指すものを見つけたような気がした。

「父さん、母さん。僕は小児科医になりたい」

「克彦?」

 母さんはびっくりしていた。

「誤解しないでほしいんだ。これは母さんたちに言われて無理矢理なるんじゃなくって僕の意志で決めたことなんだ」

「どうして小児科医になんて……」

「子供たちの夢を病気なんかで終わらせたくないんだ」

 これだけはハッキリと言えた。僕の夢は子供たちに夢を叶えさせることなんだ。

「そう。でも、小児科医はけっこう大変よ。今はなり手も少ないって言うから」

「うん。だけど、僕がんばってみるよ」

 母さんはまた泣いていた。けど、今度のはうれし涙だと思う。

 僕は純くんの病室に戻った。自分の夢を純くんに伝えたくて。「にーちゃん、医者になんのか?」

 ベッドの上の純くんはずいぶんとオーバーに驚いてくれた。

「この病院ももう終わりだなぁ」

「失礼な言い方だなぁ。将来は知らない人がいないくらいの名医になってるかもしれないのに」

「オレが有名選手になることはあっても、にーちゃんが名医になることなんてないぜ」

「だったら競争だ。どっちが先に有名になるか」

「いいぜー。にーちゃん後でしまったって思ってもおせぇんだからな」

 純くんは歯を剥出しにして思いっきりの笑顔を見せてくれた。少し胸が痛んだけど、僕は純くんの夢が叶うことを祈った。

 翌日、純くんは大学病院へ移ることが決まった。結局、病名はわからないままだった。





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