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「あなたは神を信じますか?」
と聞かれたら、その頃の僕ならば間違いなく「NO」と答えただろう。
僕は神だとか悪魔だとかそういった非現実的なモノは一切信じていなかった。
―――だけど。
彼女のことを一言で例えるならば、それは『天使』だった。
近所の公園でいつも見かけた金髪の彼女。
初恋だったのかもしれない。
僕は初めて人を好きになった。
* * * * *
家が病院を経営しているというだけで、生まれた時から僕の一生はすでに決めつけられていた。医者になり病院を継ぐという一生だ。
最初は僕もそれが当たり前なのだと思って、ずっと母さんの言うとおりに勉強をしてきた。だって、母さんもそうしてきたと言ってたから。(父さんは婿養子である)
だけど、中学生になってからそのことにだんだん疑問を持つようになっていた。どうして僕は医者にならなければいけないんだろう。どうして勉強ばかりしなくてはいけないんだろう。
僕は勉強ばかりしていたせいか、クラスの男子に比べるとずいぶんとひ弱に見えた。肌も白くって、腕も足もガリガリだった。体育も見学していることが多かった。
小五の時に一度だけ近所の子にサッカーしようと誘われたこともあったけど、母さんにダメと言われてやれなかった。本当はすごくやりたかったのに。あの日以来誰も誘ってはくれない。
あの時、母さんに怒られてでもやっておけばよかったと後悔する。友達だってできてたかもしれないのに。おかげで、僕には友達と呼べる子はいなかった。母さんにみんなはライバルだと教えられていたせいもあるけど。
僕が幼稚園の時におじいちゃんが隠居して父さんに院長の座を譲った。それから父さんたちは忙しくって僕と顔を合わせることも少なくなった。
そして、おじいちゃんとおばあちゃんは田舎に引っ越してしまった。
僕はいつもひとりぼっちだった。僕にとって両親って存在はないに等しかった。たぶんこれからも。
だから、僕はこれからの人生を両親のためではなく、自分のためだけに生きていこうと思う。
と偉そうなことを考えてみたけど、今まで母さんの敷いたレールの上を歩いてきた僕は、自分のために生きるという生き方を知らなかった。
僕はいったい何をすればいいんだろう。
中学生最後の夏休みの初日。気怠い暑さに無理矢理朝早く起こされた僕はそんなことばかり考えていた。
ベッドの上の目覚まし時計はもう九時になろうとしている。
「この時間ならもう母さんたちいないか」
今では両親と顔を会わさないほうが気分的に楽になっていた僕は、両親が病院へ行った時間を見計らって下へ降りる。病院の裏がすぐ自宅っていうのは便利なんだろうけど、僕にしてみれば不都合なことばかりだった。急病人がでればどんな時でも病院に行かなければならない。そう、僕といっしょにご飯を食べている時でさえ。
僕は窓を閉めて、ポロシャツとジーパンに着替える。寝癖のついた髪を手ぐしでときながら、一階へ降りる。そのままリビングを通り抜けて台所へ向かう。
「!」
僕は思わず歩みを止めた。
病院へ行っているはずの母さんがリビングにいたのだ。
どうして?
とっさにUターンしようと思ったけど、けっこう豪快に階段を降りてきた気がする。気付いてないはずがない。
「克彦」
案の定、革のソファーに座ってこっちに背を向けていた母さんが僕の名前を呼んだ。
今更じたばたしても始まらない。
僕は母さんの前に座った。言いたいことだけ言ってすぐにでも病院へ行くつもりなのか、母さんは診察着のままだった。
ショートヘアに軽くパーマをあてた、どこにでもいそうな教育ママである。銀縁のメガネの下の目は明らかに怒っている。こんな怖い顔をした人が小児科の医者をやっているなんて信じられない。母さんの顔を見るだけで子供が泣きだしそうだ。僕だったら絶対泣いている。
「昨夜はどこに行ってたの? ずいぶんと帰りが遅かったようだけど」
「友達のとこ」
僕は短く答える。
「母さんが何を言いたいかわかってるわよね」
「………」
昨日担任に呼ばれたことはわかっている。きっとそのことなんだろうけど、僕は何も言わなかった。
すると、母さんはテーブルの上に成績表を置いた。
「三年生になって急に成績が落ちてきてるじゃないの。どういうことなの? このままだとどこの医大にも入れなくなるって言われたわ。母さんもう恥ずかしくって、先生に合わせる顔がなかったわ」
やっぱりそのことか。そんなこと言うためにわざわざ診察を遅らせるなんて。たったそれだけのために。
うちの中学は私立だから高校まではエスカレーター式で上がれるんだから、今の成績で決めつけないでほしい。
「先生から聞いたわよ。克彦、あなた最近友成っていう子とよくいっしょにいるそうね」
先生、そんなことまで母さんに話すなんて。
「聞けば、その子のご両親は去年離婚して、今は母親と二人暮ししているとか。しかも母親はホステスをしているっていうじゃないの。そんな子とつきあっているから成績が悪くなるのよ」
母さんは一気にまくしたてて言う。
僕は目の前のテーブルに両手を思いっきり叩きつけた。
やっとできた友達なのに。
「僕の成績と友成くんは関係ないことだよ! 友成くんのこと何も知らないくせに。母さんに友成くんのこと悪く言う権利なんかどこにもないんだっ!」
「克彦……。母さんになんていう口の聞き方をするの。前はそんなこと言うような子じゃなかったのに。やっぱり友成って子のせいだわ」
どうしてわかってくれないんだよ、僕の気持ちを。成績だけで人を判断するなんて、あんまりだ。
僕はこの時初めて母さんに殺意にも似た感情の怒りを覚えた。
「母さんは僕のことなんか何も考えてくれてないんだね。ただ病院を大きくすることしか考えてない」
「何を言ってるの。母さんはいつだって克彦に幸せになってもらうことしか考えて」
「うそだっ!」
僕は母さんの言葉をさえぎった。上っ面だけの愛情論はもう聞きたくなかった。
「僕は母さんの思い通りに動く人形なんかじゃないんだっ!」
僕は今までのうっぷんをありったけこめて叫ぶと、走って家を飛び出した。
あの時、母さんがどんな顔をしていたかなんて見る余裕すらなかった。




