昨日という日を終わらせる儀式
手袋越しに持つ剣。
体の前面だけを覆う防具。
手袋と同じく革製のブーツ。
髪を括るのは長い紐。
ずっしりと重たい剣や防具も、汗で張り付く手袋とブーツも。
背中にパタパタと当たる紐も。
どれもこれも夢の産物だ。
私はただのOLで、剣道を習ったことはないし、本物の剣を持つ機会なんてなかった。交通事故や凶悪事件に巻き込まれることはあっても現代日本で剣を突き付け合って殺し合いなんてあるはずもない。
だから、汗や土埃の匂いも、この重さも、色鮮やかな景色も、全部夢。
「コラ!!ぼさっとしてる場合じゃないよ!」
ガキィンと嫌な音を響かせながら向かってくる刃を受け止める。
腕がビリビリと痺れるような衝撃だった。
「なんで私がこんなことしなきゃいけないんですか!!」
離れたところで別な敵と応戦している相手に怒鳴り返す。
受け止めた刃を弾いて、刃を操る敵に切りかかるけれどほんの少し掠めた程度の傷しか負わせられない。
理不尽で不愉快で仕方がない。
そもそも何かを傷付けることなんてしたくないのに、それをしなければ自分が殺されるなんて。
「アンタがそこにいて、この状況を改善する術を持ってたからに決まってんでしょ!まだ駄々を捏ねてんの!?」
「当たり前のように受け入れられる訳ないでしょう!?」
何度となく、異形の生き物を殺した。時には自分と同じ人間が襲いかかってきてやむ無く殺すこともあった。
でも、慣れることも馴染むことも納得することも受け入れることも嫌に決まってる。
なんで大志を抱いている訳でもない、ただ平凡に生きたい私がこんなことをしなければいけないの。
「だーかーらー!!巻き込んだのは悪かったってば!こちらの都合でこうなったのは間違いないし、本来起こるはずのなかったことだったよ!賠償するし、アンタの望みは全部叶える!!でも、その前にアンタが死んだら元も子もないでしょ?」
呆れているような、懇願するような言葉だってそれほど心を引かれない。
苦しくなる呼吸をどうにか保ちながら、力を入れ直し剣を振るう。重く嫌な手応えを感じながら振り切ると敵は地面に転がった。
敵の弱い部分に当たったようで、人と変わらない血が盛大に噴き上がる。
「はぁ…。失敗した時点で諦めたら良かったのに!不幸な前例があるにも関わらず同じことを繰り返して、結局この結果ですよ!?他にもどうにかする方法を探せば良かったじゃないですか!」
一息ついて、口論の相手が戦う敵を背後から斬りかかった。
目の前にいるものしか意識していなかった化け物は、やはり血を噴き上げて地面に伏した。
「…そうね、その通り。でも、多くの人間は自分が変わったり労力をかけるより、誰かにそれを望むものなの」
苦しそうに言う顔は、どこか悲しそうだけれど、それでもこの腹のそこからくる不快感は消えやしない。
「今、この瞬間の私をそんな都合で引っ張り回しているのなら、後で滅ぼされても文句言わないでくださいね」
言外に、諸悪の根源を打ち倒した後はお前たちだ、と告げた。
精々苦しんでくれればいい。私の苦しみの上に幸せを成り立たせてることを知らない、理解しない、当たり前のように搾取する奴らなんて。
「[それが私の答え]」
眩しい朝日で目を覚ましながら、鮮明に残る記憶をまとめる。
「つまるところ、あの上司の態度や対応、周囲の当たり前に私が助けるべきだっていう考えが気に入らなかったのか」
寝る前にあったことを振り返れば、一昨日会社を揺るがす大損失の可能性がある案件を夜中まで対処していた、と思い出す。
今期一番の売上になる、と調子のいい同僚が取ってきた商談は持っていった資料の杜撰なミスで白紙どころか相手への賠償問題に発展する寸前だった。
定時で帰る準備をしていたところを呼び止められ、対応するように言われた。
すぐ上の上司は最後まで一緒に対応してくれたけれど、商談を取ってきた同僚は事務員のせいだと喚き散らし、相手への対応に頭を抱える私たちを置いて帰っていった。
部門長は連帯責任だ、といい私と上司に損失を抑えるように言い捨て早い段階でいなくなった。
もう自分では無理だ、と席を立ったまま戻らなかった先輩も、僕にできることはありませんと荷物を抱えて出ていった後輩もいた。
それでも、どうにか頭を悩ませ、日の上った早朝に商談相手へのアポを入れ、最初より利益が少なくなったものの損失はなくお互い妥協できる範囲でまとめることができた。
会社に戻ってから、ばか笑いしている原因の同僚や対処を諦めた先輩後輩、社長から怒鳴られたと苛立つ部門長を見て、何もかもどうでもよくなったけれど。
見かねた上司が自分も早く帰るから、と書類一式を事務に渡し、部門長へ損害回避となったことを手短に伝えて、一緒に帰るように手配してくれた。
帰ってシャワーを浴びて、多分ベッドに入れたのだろう。
丸々12時間以上寝たらしい。
いつからか、まるで物語のなかにいるかのようにその日の記憶や感情を整理する夢を見るようになった。
自分の知らない、理解しきれてない不快感や不満を夢に指摘されるのに慣れたのはいつだったか。
「しかし、少し前に読んだネット小説風?これだと異世界召喚勇者の魔王化路線じゃない」
とにかく。
「マジで転職しようかなぁ…、とりあえず社長に直訴メール出してみるか」
どうせ辞めるなら徹底的に戦ってから辞めようと考えて、会社に向かう準備をすることにした。