♯04 星座の下に
「大丈夫かな…」
落ち着き無くテーブルの周りを歩く少女に、彼女の母親は、無責任に大丈夫よと笑った。
ヴェロニカの両親にも同じ事を言われたが、心配なものは心配だし、そもそも今回の要因は自分にある。
性格上こうなるなんて事くらい少し考えれば分かるはずなのに、ムキになった自分を今になって悔いていた。
怪我をしていないか。
迷ってはいないか。
歩き回る自分の忙しない足音が耳について余計に焦り、ふと窓の外を見れば、掻き立てられる心情と裏腹に夏の星座が綺麗に瞬いている。
チラリと振り返った時計は、彼が森に向かってから、もう三時間程進んでいた。どうりで星が輝くはずだ。
「…真っ暗じゃない」
夜の森は暗い。ずっと高くに空いた枝葉の隙間から星が僅かに望める程度で、月光は遮られてしまうから林底には深い闇が沈む。
森での遊びに夢中になって暗がりに道を失い、遅くなった帰宅を叱られたのはつい先週の事だ。
たまらず、玄関の戸を引いた。
「ソニア?」
「庭にいるわ」
「庭から出ちゃだめよ?」
「うん」
キィと鳴る音を聞いてかけられた母親の声に、短く返して外にでた。
背後でバタリと閉まると同時に、辺りは急に静寂を取り戻す。自分の足音が無いせいもあるが、夜の町は本当に静かだった。
耳に届くのは、申し訳程度に吹くそよ風と、そこ加わる虫の音くらいなもので、見える明かりも夕食時の家の灯りがぽつぽつ伺えるのみ。民家から離れた場所では、窓から漏れた灯りに追いやられた闇が凝縮してより濃くたゆたっている。
そんな静けさが満ちれば、焦りが置き去りにされたようで余計に胸の内が騒いだ。
彼を疑う訳ではないが、もしかしたらと脳裏をよぎる不安を追い払うように頭を振る。
昼間の熱が残った門柱の妙に際立つ感触に触れながらソニアはその先を見つめた。
森は闇に溶けて形を無くし、夜空に輝く月から徐々に視線を下げていって、綺羅星が消える所がその縁だと初めて分かった。
「ヴェロニカ…」
小さな呟きは、虫の音と共に漂う夏の空気へ儚く溶ける。
森の入り口であろう辺りをじっと見つめてから、祈るように両目を瞑った。
「―――ん?」
チラリ、と再び開いた視界に、先程まではなかった何かが映った気がして目を細める。
よくよく見れば、先程視線を投げた辺りの位置で、小さな灯りが不規則に点滅しているのが辛うじて確認できた。
それは淡く光に強弱をつけ、左右にちらちらと動いている。
「蛍…かな?」
しかしあの森に蛍がいるとは聞いたこと無い。
目を凝らしてみると、不規則な点滅は、光源が木の陰に入っては出るのを繰り返しているだけでどうやら違う。色も蛍の黄色というよりは、むしろ薄く紅がかっているのが見てとれた。
「なにかしら……」
惹きつけられるように庭から外へ踏み出して、そこで漸く気が付く。暗闇の中に浮かぶ光に、特徴的な髪が薄ら明るく照らされている。
「ヴェロニカ!」
待ちわびた彼を前にして叫んだ声が、夜の静けさに響いて消えた。思わず駆け出すソニアの心情と裏腹に、こちらの存在に気がついた本人は呑気に手を振って応える。
近づく程に見えてきたのは、何時もの間が抜けた微笑と、昼間より少し汚れた彼の服。
その顔に今まで感じていた焦燥感がみるみる解けていくのを感じながら、彼の目の前に立つ頃には何故か苛立たしさがわいていた。
「バカッ!!」
「……へ………え、ごめん」
開口一番に怒りを表すと、灰色の頭がキョトンとその場で小首を傾げる。
なぜ怒られたのか分からず、取り敢えず呟いた謝罪の言葉が初夏の温い空気の中で二人の温度差を顕著に現した。
「分かってないでしょ?」
「………」
「怒ってるんだからね」
「………うん。それは、分かる。あ、そうだ、ねぇ見て見て」
無理に話題をすり替えようとヴェロニカが持ち上げた物に仕方なく視線を移す。泥だらけの手で掲げるのは、片手で持てる位の小さな植木鉢。その鉢に、同じくに小さな植物が収まっていた。
葉を四方へ伸ばし、中心から起き上がる華奢な茎の先には儚げに花が咲いている。反り返って袋状になったその内側から淡く光を放って、花びらの紅色を透かし淡紅色に輝いていた。時折、明るさに強弱を付ける様は、どことなく頼りなげなランプの灯火を連想させる。
先ほど森から見えていたのはこれだったのかと思いつつ顔を上げると、ヴェロニカが誇らしげに笑むのが視界に入った。
「夏にさくかがりび花、あったでしょ?」
「ごまかさないの」
「う―…」
こっちの心配をよそに、見つけた篝火花を手にして笑う顔を見たら、今までの自分が馬鹿らしくなった。
あたり気味にピシャリと言うと、見るからに困って灰色の視線が宙を泳ぐ。
「……でも」
それでも、自分に見せるためにわざわざ夜までかかって森へ探しに行ってくれた事実は変わらない。
「ありがとう」
「うんっ!」
大きく頷いた彼の服をみれば、何処を歩いたのか泥で汚れているし、もしかしたら見えないところにすり傷でもつくっているかもしれない。
他意なく嬉しそうに笑む幼馴染みの笑顔を前にしていると、不機嫌だったのが自然と治って、こっちまで笑みが移ってしまうから不思議だ。
「ソニアにあげる」
「え…、いいの?」
はい、と手渡された花とヴェロニカを交互にみると、彼は一際大きく頷いた。
「うん大丈夫。この子も良いよって言ってるし、生育地にいる仲間にも話しをしたんだ。この子を移しても植生的に問題ないって森からもオッケーをもらった。庭の日当たりの良い所に植えるのが約束だけどね」
「……………そうゆう意味じゃなくて。ていうか半分以上分からなかった」
「何が?」
「ううん。なんでもないわ」
如何にも彼らしい反応に、半ば呆れながらも嬉しい自分がいる。
落とさないように抱きかかえると、その心が伝わったか花の光が一瞬強く輝いた。
「大切にするね」
「うん」
「また明日、育て方とか植える場所とか教えて」
「うん」
「…よしっ。帰ろう、ヴェロニカ」
「うんっ!」
片手で鉢を胸に抱えて、差し出したもう一方の手を勢い良く彼が握る。それが何だかとても嬉しくて、お互い顔を見合わせて笑ってから、繋いだ手を揺らして家への道を辿った。