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つなぐひと  作者: 弦岸すばる
《 囀り桜 =Promise=》
4/12

♯04 満月の下で

 二度目の夜。

 雲の無い夜空で、綺羅(きら)(ぼし)が我先にと(またた)きを競っている。僅かな色の違いを持って、淡く光るその中で、月が一際強く我を主張していた。


「今日、満月だったのね」


 見上げた夜空の天幕にポカリと穴をあけた見事な満月。

 その光景を見上げるソニアの隣には、昼間借り受けた包みを手にするヴェロニカと、二人に連れられたカリスが並んでいる。二人はソニアの言に空を見上げ、そのまま下に視線をスライドさせた。月光を受けて星夜の天蓋(てんがい)を背負うその影は大きい。


「…囀り桜」


 小さく呟いたヴェロニカは振り返る。カリスから話を聞いた村人が遠巻きに集まっていた。耳を突く静寂に今は人の声が小さく混ざっている。


「それで、どうだった?」


 声を出したのはカリスで、見れば少々不安げな面持ち。

 彼にはここに来る道すがら、昨夜の夢からルータの家を訪問した経緯まで、行った事と確証を持てる事実はすべて話してある。


「咲かない原因は解明できたか?」

「済みません、はっきりとは分かりませんでした」


 丸一日動き回っても、桜を咲かせるに至る確実な手がかりは得られなかった。それをヴェロニカが正直に告げると、あまりにもあっさりと出た頼りない言葉に、気が抜けた様子だった。


「おいおい」

「でも――、たぶん大丈夫」


 呆れたと言わんばかりの顔に、ヴェロニカは小さく笑って頷いた。

 月を見ていたソニアも、視線を戻して、静かに目を伏せそれに(なら)う。

 二人の視線を受けて困惑気味の表情を浮かべたカリスへ、ヴェロニカは再度強く頷いてみせた。

 手の中にある布を強く握りしめる。


「大丈夫です……見ていて下さい」


 言いながら、丘へ踏み出せば、瞬間、この場にいる人全員の視線が背中に集まった。

 緊張を解すように一度大きく息を吸う。冷たい夜風が肺に入って、背筋がシャンとした。

 事実関係が掴めなかった以上、いくら自分の中で結論が出たとしてもそれは想像の域を出ない。だから正直、今からすることは賭けに等しい。

 緊張感に自然と姿勢が正されて、今度はふぅと細長く吐く。自分流に覚悟を決めてから視線を上げ、正面から桜と向き直った。


「ごめんね、遅くなって」


 目の前の存在が自分に意識を向けたのが分かって、そこでまたいつもの顔でニコリと笑う。


「言った通り、今日会いに行ったよ。ルータさんに」


 名前を出すと、応えるようにザワリと枝が揺れた。

 先を促すような反応を確認して、ヴェロニカは静かな声で話を続ける。


「きみ宛のお願いもされたんだ……これ」


 言って、昼間借りた手の中の包みを掲げ布を解いて開けば、そこにあるのは一つのオカリナ。(ふし)模様(もよう)が美しい木彫りのそれは、一目見て古いものだと分かる。今は月光を受けて、表面が淡く光を返していた。


「見覚えあるよね」


 また木が枝を揺らすのを見て、灰色の頭が頷く。

 スッと目を細めて、オカリナをくわえた。


「………」


 途端(とたん)に、ひっそりとしていた夜風に色がつく。

 最初は細く弱く、次第にハッキリと冷めた夜気の中にその音調(おんちょう)を表していく。周囲の空気を震わせて、玲瓏(れいろう)たる音色がやんわりと、だが確実に辺りを包んだ。

 月夜に流れ始めたゆっくりとした曲調には、緩やかな抑揚(よくよう)が付けられて寂寥(せきりょう)も哀愁も感じられない。ただ滑らかに満月の光に溶けながら、桜とヴェロニカを中心にして空気を厳かなものに変えていく。


「…きれいな音」


 ソニアが思わず呟いた言葉に、この美しい空間に、他の音を加えることは何となく(はばか)られて、カリスは無言で頷いた。

 頷きながら、彼は視線を丘の上へと向ける。

 月光で銀に光る髪と、それを持つ青年の背を見上げた。

 インタープリターを名乗るにはあまりに若く、一見頼りなげな青年。しかし彼は、いくら村人が調べても分からかった何かを、たった一日半で掴んだのだ。

 経験で得た知識か、それとも生来から持ち合わせた才能か。

 再び見上げた彼の姿に、カリスはうっすら口角を上げた。


――世界が違うのかも知れない、と。


 きっと彼が見ている世界は、自分たちの見ているものとは似て非なるものなのだ。

 植物は人が生まれる遥か昔からこの惑星(ほし)に存在し、長い年月この世界とある。

その彼らと人を言葉で繋ぐ唯一の存在であるインタープリター(彼ら)は、誰よりこの世界のより本質的な部分に触れているのだと、今の彼を見ているとそんな気がしてならない。


「カリスさん、カリスさんっ!」


 隣に並んだソニアに袖を引かれて意識を戻した。呼びながら視線を前に向けたままの彼女の視線を追って、


「…………あぁ」


 思わず間の抜けた感嘆(かんたん)の溜め息が口から漏れる。


「………咲いたわ」


 見守る周囲が軽くざわつき始めたその中心、淡く星々の(きら)めく夜空の黒に、新たな彩りが加わりつつあった。

 蕾からふわりと開いた花びらは、特有の淡い(とき)(いろ)

 それが背後の月に透けてガラス細工のような(つや)めきを枝の処々で見せ始める。




 オカリナを吹きながら視線を上げて、ヴェロニカは誰より近くでその幻想的な光景を目の当たりにしていた。

 見事な(ろう)(げつ)を負って()(そろ)い始めた桜からは、(ともな)って(ほの)かに甘い香りが漂う。


(やっぱり、か…)


 自分の推測(すいそく)の正しかった事を密かに確信する内に、桜は八分程まで開いている。

 その時。

 不意によぎった夜風に桜がキラキラと鳴った。花びらどうしが擦れて、高く澄んだ音がかそけくも琅々(ろうろう)と辺りを包む。

 同時に、舞い始めた鴇色の吹雪は、それより更に高く笛のような音で風に(うた)う。

そこにヴェロニカのオカリナが加わって、春も終わりに差し掛かる村の丘は、えもいわれぬ美景に変貌(へんぼう)していた。

 キラキラと響く儚げな音色に遠く耳を澄ませば、冬を耐え抜き春を迎えた喜びに、木に住まう鳥が囀りを交わしているかのような錯覚に(おちい)る。

 囀り桜名の由来となったそれも、巨木が満開になれば一層顕著(けんちょ)で華やかだった。

 誰もが魅入り、息を潜めて聞き入っていると、しばらくして夜闇に吸い込まれるように重奏からオカリナの音が消える。

 多くの目が、再びヴェロニカに向けられた。


「………」


 背後から安堵の声を遠く聞きながら、しかし当の本人だけは複雑な思いで桜を見あげる。


「………ごめんね」


 小さく呟いて幹に手をあてた。

 花の鳴る音に混ざって、桜が穏やかにいいのだと答える。

 頭上から降るありがとうという声は柔らかく温かい。夢で聞いた声と寸分変わらない、夜風に唄う音色同様に澄んだ優しい声だった。



 人と植物の間に立つ存在として、自分の出来る限りの事をしたい。


 そうヴェロニカは思う。

 しかし、双方の心情が分かるからこそ、この桜に嘘は付きたくなかった。



 この村に来て、初めて直に聞き交わした言葉が、今の彼の心にひどく痛い。


「ヴェロニカ、咲いたね」

「――うん」


 丘を登ってきた二人が背中越しに声をかけるのに、彼はゆっくりと振り返る。嬉しげに笑うソニアと、その隣で静かに頷くカリスと、両者の顔を順に見て笑ってみせた。


「で、今度は分かったんだろ?」

「はい」


 雰囲気を察したように切り出したカリスへ、少し言いよどんでから口を開いた。

 その間も、桜は夜風にそっと奏でている。昨夜見た夢と同じ音色で。


「この子は、待ってたんです。ルータさんとの〝約束〟を」

「約束?」

「桜が彼を捜していたのは言いましたよね。この子は確かに、移住した際ルータさんがこの丘に植えたんです。その時から二人の間には約束があった」


 ヴェロニカは一度首をもたげて、さざめく鴇色を仰いだ。


「その年の、初めの一輪を咲かす夜に、あの曲を一緒に奏でる約束が」


 そう言って昨晩夢で聴いた、あの儚げなハーモニーを思い起こした。

 その言葉に、思案気にしていたソニアが声をあげる。


「あ、だから――」

「そう。その事を伝えるために、ルータさんは手紙とこのオカリナを(のこ)したんだよ」


 一拍置いて彼は続けた。


「囀り桜は一夜で満開になる種です。この村はこの樹を大切にしてくれていた。だからその時、樹にかかる負担を考えてストレスを与えないように、その日は誰も近付かなかった。合ってますか、カリスさん?」

「あ、あぁ。神経を使うだろうと自主的に控えてたな」

「だから、二人が一緒だったと知る人はいないし、丘は村外れで音は届きにくい。しかも季節柄寒くて窓も戸も締め切っているから余計にね」


ヴェロニカが言うと、隣のパートナーが声の下から付け足す。


「しかも、書いた手紙は娘さんが読んだきりで、彼が亡くなった今年は誰もそれを継げなかった。と」

「そういう事」

「しかしだな。幾ら毎年そうだったからって、それがなけりゃ咲けない訳じゃないんだろ?」

「もちろん。………ただ、この子は…信じたかったんです」


 言って眉根を下げるヴェロニカは、弱ったように力なく笑った。


「昔からずっと一緒だった彼が、今年も来てくれるんだって」


 人と樹では寿命が違う。木にとっての五十年は短くても、人にとってはそろそろ終わりが見えようかという時分に差し掛かる。

 村に越して来てからも、彼らはきっと毎日のように顔を合わせていたのだろうから、日を追うごとに老いゆく彼の姿を見ていた囀り桜も分かってはいたのだ。

 止められない、両者の間に流れる時間の齟齬(そご)を。

 しかし分かっていても、突きつけられた現実を認めることが出来なかった。

 だから待ち続けたのだ。

 受け止め切れなかった時の流れを己で確かめるために。

 静寂な闇の中で、彼のオカリナの音が再び響く日をずっとずっと待っていた。

 毎年共に過ごした日に、今年も彼がいるように。


「そうか……」

「ルータさんも桜がいたから、何があっても村から出ようとはしなかったんだ」


例え言葉は交わせずとも、二人の心は確かに通じていた。


 ――ありがとう、大丈夫


 また頭上で囁く言葉に、ヴェロニカはこらえた表情で小さく頷く。

 その時、


「………あの」


 草を踏む音が耳に入って三人が振り向けば、遠巻きに見ていた群衆の中から見覚えのある人物が前に出てきて会釈をした。

 その人物に、真っ先に声をかけたのはヴェロニカで、


「来てくれたんですね」


 その言葉にコクリと頷いたのは、昼間訪ねたルータの娘だった。ヴェロニカの言葉に、えぇ、と頷いて見せる。

 カリスに紹介すると、彼女は小さくお辞儀してから、そのままの動きで頭上を仰ぐ。


「…咲いたのね。良かった」


 微笑んで月夜の桜を見上げながら、彼女の瞳はもっと先の何かを映している。複雑な色をした横顔にそれが見て取れて、ヴェロニカも先ほどの感情を思い出して声をかけるのを(ひか)えた。

 そのままで少し時間が過ぎて、そうすると何かを見つけたのか彼女が不意にその口元に笑みを浮かべた。


「私じゃ、駄目かしら」


 先程までの話を聞いていたのだろう。ゆっくりした動作でこちらを向いた目は、凪いだ湖面(こめん)のように穏やかな色をしている。

 その視線を受けてヴェロニカが首を傾げると、すぐ傍まで来て、オカリナをヴェロニカの手ごと上から包んだ。


「父の、――ルータの代わりに、私ではなれないかしら」


 そっと一度目を伏せて桜を見上げる。


「大切な人を亡くす痛みは、誰だって同じだもの。かばい合う訳ではないけれど、アナタとは支えあっていきたい」


 どうかしら、と彼女の言葉には、両者の間にいたヴェロニカが答えた。


是非(ぜひ)、だって」

「ありがとう」


 彼女は呟く。静かな声が夜闇に染みた。


「実は、オカリナは余り上手ではないの。……練習しなくてはね」


 その目元にうっすらと涙を滲ませたまま浮かべる優しい笑顔に向けて、応えるように頭上の音色が大きくなった。

 居合わせた三人の口元も、その光景を目の前に自然と(ほころ)んだ。

 ヴェロニカは彼女と桜をみてから、立派な幹を目線でなぞって、空に目をやる。

 今や満開となった枝の隙間から降り注ぐ月光と数多(あまた)の星の輝き。

 多くのものに囲まれて、二人の姿はまるで祝福を受けているかのように景色に溶け込んでいる。周囲の草からは、実際にその小さなさざめきにのって寿(ことほ)ぎの声があがっていた。


 この特異体質をもってしても、自分が出来るそれはとても小さいと、ヴェロニカは思う。

 それでも、確かにそれが必要になるこの瞬間があることを知っているから、両者の意思を言葉に乗せて(つな)ぐ者として、〝インタープリター″として、自分はここにいられるのだ。


「解決…かな?」


 同意を求めて隣を見れば、ソニアが目線で頷く。二人で向けた視線にカリスからも肯定の意を含んだ頷きを受けてソニアと顔を合わせて笑った。

 それからしばらく黙り込み、三人は月夜に響く玲瓏な音色と、それに映える鴇色の色合いを言葉すくなに魅入っていた。


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