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つなぐひと  作者: 弦岸すばる
《 囀り桜 =Promise=》
3/12

♯03 それぞれの想い

 薄いガラスを割るような、洞穴(どうけつ)(うた)う水滴のような、高く澄み渡って響くその音に惹かれて、ヴェロニカは目を開いた。

 数回瞬きして見えてきた景色は、眠った時の場所ではない。

上も下もなく、ひたすらに白い空間の中で目を凝らすと、遠くに無数の何かが(ひらめ)くのが辛うじて見えている。聴覚を満たす静かな音色は、閃きに合わせるように、強弱大小をつけながら幾重にも重なって儚げなハーモニーを奏でていた。


 (夢?――綺麗な夢だな)


 雪に音があったらこんな感じだろうなと、その音色に耳をすませながらボンヤリと思う。



 ―――待ってる



 (……ん?)


 声のようなものが不意に混じって首をめぐらした。

 だが先程と変わらない白い世界が広がるだけで、特に変わったものは見受けられない。

 自分以外の人の気配もない。



 ――ずっとずっと



 聞こえてくる声は悲しげでどこか切なさを漂わせる。

 歌うように囁くように、声はそっと続けた。



 ――待ってるのに



 気がつけば、降り注ぐ声に応えて、周囲の音色も強弱をつけている。



 ――貴方の


 ――あの音色を



 (…音色?)



 ――、――を。


 聞こえる声が次第に弱まる。

 それを上回って、周囲で奏でられる音が鮮明になってきた。



 ――伝えて


 ――お願い



 (何を?誰に言えば良いの?)


 早々と、目の前の景色が霧に飲まれるようにして白んでいく。

 もはや音のみの世界の中でヴェロニカは声を出す。



 ――あの人は…





「………っ!?」


 跳ね上がるように目が覚めた。

 見渡せば、東から昇り始めたばかりの太陽が眩く辺りを照らし始めている。

 頭上を仰げば、空はそれを受けて淡く蒼を見せているから、どうやら昨日の雲は夜のうちに去ったようだ。刺すような眩い陽光に目を細め、その温もりを頬で感じながら傍らの大きな存在に首をもたげた。


「さっきのは、君の声?」


 相変わらず返事は無いが、向けられる雰囲気は昨日よりも遥かに柔らかい。

 それを肯定と受けて、ヴェロニカはうん、と頷き立ち上がる。


「待っててね、探してくるよ」






「済みません、行ってきます」

「おう、気をつけてな」


 一夜明け、結局帰って来なかったヴェロニカの様子を見にカリスの家を出た。

 仕事柄、ヴェロニカは外で寝るのに慣れてはいるものの、昨夜は相当冷えたし何よりそんな彼をカリスが気遣ってくれたのだ。


「申し訳ないなぁ、カリスさんに迷惑かけっぱなし」


 朝日の温もりを感じながらも、日の出から間もない空気はまだ冷えていて、独り言で息が白くなった。ソニアは両手を擦り合わせる。


報酬(ほうしゅう)も考え直さなきゃいけないかな……」


 依頼された立場でむしろお世話になる人間なんて聞いたこと無い。

 最年少のインタープリターだと、その道ではそこそこ光輝(こうき)な名の通るヴェロニカだが、依頼主にこんなに迷惑をかけて、今回の事が広まったら狭い業界で同業者の笑いの種になるのは必須だ。それだけは避けたい。


「ん?」


 また、白く雲を登らせながら考えていると、一本道の先にタイミングよく見知った顔が見えた。それに手を振ると、相手も返して全速力でこちらに駈けてくる。


「ヴェロニカ。おはよ――…」

「ソニアごめん!大至急お願いがあるんだけど」

「へ?」


 本日の第一声。開口一番、随分なご挨拶。

 さっきまで考えていた事が軽く脳裏を掠めながらも、膝に手を当てて肩で息をするヴェロニカを見る。


「探したい人がいるんだ、協力してくれる?」






 静かな図書館の中で三人の話し声が響く。


「分かりました。少々お待ち下さい」


 言われた司書はにこりと笑って受付をたった。

 早朝に訪れたにも関わらず今回の件について既に事情を把握していた役所は、探し人がいるという二人の申し立てに快く対応してくれた。

 この村の図書館は役所の書庫も兼ねているようで、訊けばそちらを案内される。

 流石に保管されている蔵書の住所録は関係者以外の閲覧禁止が義務付けられているため、図書館の受付にいた人物に協力を仰いで今に至る。

 奥の書庫から、分厚い本を取り出してきて調べる受付係の司書にソニアが声をかけた。


「済みません、お手数おかけして」

「いえいえ、どうせ朝の図書館なんて誰も来なくて暇ですから。あ、この方ですかね」


 カウンターに置かれた厚い本を二人で覗き込めば、司書が指す場所に〝ルータ〟と名前が書かれている。

 夢が醒める間際、囀り桜が教えてくれた唯一の手掛かりだった。


「他に同じ名前の人っています?」


 ヴェロニカが口を開くと、


「いや、ルータさんはこの方一人ですね。かなり前に村に移住された苗木商のようですが」


 司書はペラペラと頁を捲って他を確認しながら返す。二人が顔を見合わせた。


「この人?」

「多分ね」

「あの…、この方が何か」

「あ、いえ。ちょっと」


 あの桜を植えたのが移住してきた苗木商で、しかも、名前が桜の挙げたものと一致する。

本人とみてほぼ間違いないだろう。

 ともすれば、その人に事情を話して、桜と会ってもらえれば何かしらの事実関係を得る事が出来かもしれない。

 少なくとも、探すと約束した桜の願いを叶えてあげることが出来る。



「その人の住所分かりますか?」


 気持ちが急いで自然と体が前に出た。司書と二人を(へだ)てるカウンターに身を乗り出す。


「ちょっと待って下さいね。えっと―………あれ?」


 再び調べ始めた彼はしばらくして首を傾げながら奥に行くと、もう一冊別の資料を持ってきた。


「あぁ、やっぱりだ」


 独りでうんうんと頷いて、申し訳なさそうにこちらへ向き直る。


「なにか?」

「実は、昨年一軒民家の取り壊しがあったんですが…」

「あ、はい。お借りした資料で確認しました」


 言いづらそうな発言をソニアが引き継いで、彼の漂わせる申し訳なさそうな雰囲気に笑顔を引きつらせる。


「もしかして――」

「………はい、もしかして、です」



…………………。


………、



「うがぁ――…」


 掴みかけた糸口が消えたショックに、ヴェロニカが奇妙な声を漏らしながら、勢いよくカウンターに突っ伏した。額を打ったのか、ガツンと痛そうな音が響いて、周囲で作業していた人たちの目が一斉に向けられる。居場所をなくした司書の視線が、ヴェロニカとソニアの間で泳ぐ。


「えっ…え、あの」

「ヴェロニカ……それやめてってば」


 慣れたソニアが溜め息混じりに(たしな)める向かいで、慣れない司書は、両手を振りながら慌てて言い繕う。


「と、取りあえず、引っ越し先を調べてみますから、もう少々お時間を頂けますか」





「もう、本当恥ずかしいからアレやめてよ」

「だってさぁ―…」


 額に汗を浮かべながら必死に調べてくれた司書に何度も丁寧(ていねい)に頭を下げて、すっかり意気消沈したヴェロニカを引きずりながら、ソニアは図書館を後にした。

 東の空に寝そべっていた太陽は、既に真上に近くて、見上げる位置まで昇っている。

 朝は暇だからと浮かべていた笑顔が、二人を見送るときにはすっかりヤツレて疲弊(ひへい)の色に変っていた。きっと彼の中で最も疲れた朝の職務だったであろう事に、ソニアは心の中で深く頭を下げる。


「あ、ここ?」

「うん、そのはず」


 そんな司書に渡された走り書きのメモと表札を視線で往復して確認した。ルータの家は、どうやらここでいいらしい。


「今は、娘さんと二人暮らしらしいわ」


 村外れにある一際大きな家の前。普通の家よりも数倍大きな庭に、幾種類もの植物が植えられている。


「さすが苗木商、種類豊富だね、凄いなぁ」


 今にも村の中で行き倒れそうな顔をしていたヴェロニカが、その光景を見た途端瞳を輝かせだしたのを、


「…植物オタク」


 隣のソニアが、密かにぼやいて白い目で睨んだ。

 そんな相方の反応を余所に、機嫌を良くしたヴェロニカはやる気満々で声を出す。


「すみません」


 玄関の戸をノックしてしばらく待った。


「ごめんくださーい」

「あ、はい」


 ガサリと音がして、すぐに視界の端で何かが動く。

 思わぬ方向からの返事に、正面を向いていた二人が揃って庭に目をやると、木々の影から女性が姿を表した。花壇の手入れをしていたのか、手にしていたスコップを置くと二人を見て手招きをする。


「いらっしゃい。どちら様かしら?」

「えっと、僕はカリスさんから囀り桜の件で依頼を受けたインタープリターのヴェロニカといいます。この子はパートナーの」

「ソニアです。突然お伺いして済みません」


 四十代前半位だろうか、笑んだ両頬に薄ら皺をよせて、それが優しげな印象を与える人だった。ルータには娘がいるという話だったから、きっとその本人だろう。

 お辞儀をすると、不思議そうな顔をしていた女性が、あぁ、と頷く。


「あなた達が。遥々こんな片田舎までありがとう」

「いえ。あの、こちらはルータさんのお宅ですよね」

「えぇ、ルータは父の事よ」


 言われて二人の顔が自然と明るくなった。予想の当たったことにソニアは一人得心いった顔で頷く。これで彼に会えれば、この問題の解決に少なからず近づけるはず。


「あの、一つお訊きしたいんですが」

「どうぞ」

「村の丘に囀り桜を植えられたのは、ルータさんで間違いないですか?」

「えぇ、ずっと昔ここに彼が移住した時にね」


 当たりとソニアにだけ聞こえる声でヴェロニカが呟いた。それに視線で返して、勢い付いて口を開く。


「その囀り桜の件でお伺いしたい事があるんですが、今ルータさんは・・・・・・」


 ヴェロニカも期待を込めた眼差しで女性を見た。

 しかし、その意に反して、言われた彼女の表情は固くなる。


「ごめんなさい」


 少し間を置いた後で、躊躇(ためら)いがちに口にした。


「父は、他界したのよ」

「え…」


 その一言に、予想外だった二人は呆然とする。今までの高揚(こうよう)が一瞬にして冷めていった。


「半年前にね。役所の人、言ってなかった?」

「いえ。あの、私…ごめんなさい」

「いいのよ、気にしないで。役所にも困ったものね」


 何を言えばいいのか分からなくなってただ謝るソニアに、女性はやんわりと手を振って、静かに笑う。


「でも、此処に来たって事は、引っ越したのは聞いたのでしょう?」

「あ、はい」

「父の後を継いで商いをしているのだけどね、この数の木を植えるには村で貰える敷地だと手狭になっちゃって。木にも可哀想だったから、父の死を機に此処に越したの。思い出があり過ぎて辛かったのも理由の一つだけれど…」

「…そう、なんですか」

「父はね、木には悪いなって言いながらも、何故か村を出ることを頑なに拒んだわ。理由は最期まで教えてもらえなかったのだけれどね」


 寂しげな笑みを浮かべたままの彼女が、今度は二人に頭を下げた。


「ごめんなさい。折角来て頂いたのに」

「いえ……」

「あの桜が植えられたのは私が生まれるより前の事だから、用が足りないし……あ」


 ふ、と何かを思い付いたのか、彼女はちょっと待ってと言い残して家へと(きびす)を返す。

 数分してから帰ってきたその手には、布で包まれた小さな塊が握られていた。


「これ、もしかしたらと思って」


 彼女が差し出したそれを、躊躇いがちにヴェロニカが受け取る。

 藍に染められた布で巻かれたそれは、両手の握り拳を並べた程の大きさがある。手に乗せればトンと軽い重みが主張した。


「これ何ですか?」


 首を傾げて、ソニアも肩越しに覗き込むと、開けてみてと目で促される。

 見るからに大切そうに包まれたそれを、ヴェロニカが緊張した面持ちで丁寧に解いた。


「………!」


 途端、その眉間に小さく皺が寄って、しばらく食い入るように見詰めてから真剣な面持ちで彼女に顔を向けた。


「これは?」

「父の遺品の一つなのだけど、亡くなった時に〝約束だ〟って書いた添え文と一緒に置いてあったの。文の内容に思い当たる節もないし、桜の話を聞いて、何かあるのかしらと思って。どう?」


 小首を傾げられて、ヴェロニカも手の中の存在に首を捻る。



 ルータの残した文付きの遺品。


 彼を待つ囀り桜。



 おそらくその二つの疑問を繋ぐのであろう存在は、物語ることなく黙って手の上に収まっている。


「コレ、ちょっと借りてもいいですか?」

「えぇ、どうぞ」


 そっと包み直すヴェロニカを見て、


「何か分かったの?」


 未だに理解が追い付かないソニアが口を開く。

 それを受けて彼はいつもの微笑(びしょう)を返した。


「多分ね。とりあえず、カリスさんの所に帰ろう。……それじゃあコレ、お借りします」


 包みを背中のリュックへと仕舞いながら、彼は(きびす)を返すと村の方へ向かって早足で歩き始める。


「ちょっとヴェロニカ。…あ、ありがとうございました。失礼します」


 慌てたソニアが頭を下げてそれに続いた。コンパスの差で離れた長身の背を追いかける。

 いつの間にか頭上を過ぎた日が、行きより少し影を伸ばして彼の足元に落ちていた。


「――あのっ」


 走って駆け寄り、二つの影が並んだ頃に、また唐突(とうとつ)に立ち止まって灰色の頭が振り返る。二人を見送っていた女性に声をかけた。


「もし良かったら、今夜村に来て下さい」


 彼女の元へと、背後からの風に運ばれてよく通る彼の声は届く。吹かれてさざめく草の()がその瞬間だけ僅かに弱まり、葉が音を控えてくれているのだとソニアにも察しがついた。

 相手が頷くのを確認してぺこりと会釈(えしゃく)をするとヴェロニカはまた歩き出す。

 その顔を、隣に並んで覗き込んだ。どことなく緊張感を漂わせている気がして、いつも明るい彼だけに、不安がジワジワと自分の胸のうちに染み出してくるのを感じる。


「解決できそう?」

「分からないけど、僕の予想があってれば多分ね。………でも」


 前を向いたまま答える彼の声が、ワントーン下がる。

 窺いながら、ん?と続きを促すと、何でもないや、と見慣れた笑顔が向けられた。


「そう……」


 それ以上深く聞かずに再び正面に視線を戻せば、一際強い風が正面から駆けてきて、伸ばした髪で遊んで抜ける。

 髪を撫で付けるソニアをしり目に、風で青草の海が大きくざわめいた。


「……でも」


 その中で、ヴェロニカがポツリと零す。


「当たってたら、少し寂しいな」


 そっと目を伏せ呟いた彼の言葉は、草の音に上手く(まぎ)れて誰の耳にも届かなかった。


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