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つなぐひと  作者: 弦岸すばる
《 囀り桜 =Promise=》
2/12

♯02 沈黙の大樹

 (わず)かに(にしき)を帯び始めた西の空を背にして、囀り桜は村外れの丘に生えている。

 悠々(ゆうゆう)とのばした枝は方々へ広がり、まるでそれが空を持ち上げているような錯覚を起こさせる。それを支える幹は大人四・五人が腕を回して、辛うじて届くかどうかというほどの太さ。

 丘に(そび)えるその姿はまさに圧巻だった。

 真下からそれを見上げた二人は、思わず感嘆の溜め息をつく。


「凄い…」

「本当に……。はじめまして」


 ポツリと漏らしたソニアの呟きに、ヴェロニカは小さく頷いてから木に向かって挨拶をした。その様子にカリスは満足げに太く笑う。


「立派なもんだろ?」

「はい、此処まで大きく育った子は初めて見ました」


 凄いなぁ、と目を輝かせながらカリスの方へ向き直る。


「大体で良いんですけど、子供の頃見たこの子の高さ、覚えてますか?」

「そうだな……そうすると四十年位前の話だが、恐らく二m前後ってところだったな。胴周は俺が両手で握って掴める位の太さだった」

「そうなんだ…。いや、この()本当に凄いです。桜は一般的に成長が早いけど、普通四十年で此処まで大きくはならないから。良い環境に恵まれたんだね」


 嬉しそうに笑うヴェロニカの様子にカリスも口角を上げる。自分たちの(した)っている木を専門家に()められて嬉しくないはずが無い。

 しかし、その喜びも、現状を前にして長くは続かなかった。


「だが、いつもならこの時期はこの木の下で呑めや歌えの大騒ぎだ。村が一番賑わう時期なんだがな」

「それが、今年は咲かない」

「あぁ」


 ヴェロニカは、(あご)に手を添え何やら考え始める。


「去年に、そんな兆候(ちょうこう)は?花の数が落ちたり」

「一切なかったな」

「近くに家を建てたり、大規模に土を掘り返したりは?」

「それもない。去年、民家の取り壊しが一軒あったが、ここから遠いしな。木の負担を考えて、周囲の環境に変化を与えないように配慮はしてた」

「そっか…………どうしたんだろう」


 そこまで訊いて首を傾げると、ヴェロニカは思案気な顔のまま、幹に手を添えてゆっくりとした足取りで周囲を視て回る。

 その様子に、今度はソニアが口を開いた。


「でも、ちゃんと(つぼみ)はついてるのね」

「そうなんだよな、そこが分からない」


 カリスが困ったように、頭を掻く。


「単に弱ったんだったら、彼が言うように蕾の数が減ったり、初めから付かなかったりするもんなんだろう。でもそれもない。蕾の膨らむ時期もいつもと変わりなかったから、ここにきて咲かない理由が分からない、まるで急に成長が止まっちまったみたいなんだ」

「…う―ん、どうヴェロニカ」


 かけられた声に、ちょうど反対側にいた灰色が顔を出した。


「分らないな、ちょっと見ただけだけど、やっぱり環境は良好。根の張り具合もしっかりしてるし、パッと見だけど土の感じも悪くないんだ。むしろ模範的って言っても良くらいかな。別段、幹に目立った傷も見当たらない。今のところ直接的な原因は見当たらないよ。問題なさそうなんだけどなぁ。――ただ」

「ただ?」


 視た限りの事を一気にまくし立ててから、ふと木を見上げる。


「さっきから一言も話さないんだよね、この子」


 不思議そうに眉を寄せた。

 習って視線を上げれば、西日で複雑な色合いに染まる空が枝越しに見える。


「前にも森で囀り桜と会った事があるんだけど、話し好きで明るい感じだった。この(しゅ)が一様にそうだとは言えないにしても、普通知らない人が来て、根元で自分の話をしてたら声くらいかけると思う」

「それは、そうね」


 言われてソニアも首を(ひね)る。

 木で考えると分かりにくいが、人と接する時を思うと確かに頷けた。いくら寡黙(かもく)でも、わざわざ人が訪ねて来ていてダンマリを決めることは無いだろう。


「拒否されてるってこと?」

「…多分。ただ単に僕らを警戒してるのかもしれないけど、どっちにしてもこの様子じゃ取り合って貰えないな。本人に訊くのが一番なんだけど…」


 相手に話す気がないとなれば、グラスプとしての能力では用が足りない。

 うーんと、首を掻いてヴェロニカは木を見上げる。


「それが無理な以上、取りあえず出来るところから色々調べてみるしかないや。……カリスさん、この村に観測所(かんそくじょ)はありますか?気象データを見せてもらいたいんですけど」

「あ、待った。それなら私が行く。資料集めは私の方が得意だし。ヴェロニカは先に戻ってて大丈夫」

「観測所によると日が暮れるぞ。調べものなら家でやれ、一部屋空けてやる」

「ありがとうございます。それなら僕はもう少し残ってから。じゃあ二時間後に、カリスさんの家で」





 今夜の月は雲に隠れて、窓の外には深い()(やみ)が重くたゆたっている。

 カリスの家で落ち合い、空けてもらった部屋に(こも)ってソニアが借りてきた資料と睨み合うこと数時間。ペンの走る音だけが響く静謐(せいひつ)な空間の空気を動かすように、テーブルの上でランプの明かりが小さく揺らめく。それとほぼ同じタイミングで、ドアが控えめにノックされた。


「ヴェロニカ、入るよ?」


 ソニアの声に反応して手を止め、大量に積まれた資料と計算用紙の山から顔をあげた。

 グイッと大きく伸びをするその姿に苦笑しながら、ソニアはドアを後ろ手に閉めて、湯気の立つカップを差し出す。


「はい。カリスさんがお茶入れてくれたよ。休憩すれば、って」

「……ん―っ、ありがとう」


 普段はノンビリしているくせに、植物のことになると何もかも手放しにしてここまで真剣になる。その変わりようには苦笑を禁じ得ないが、植物に対する純粋でひたむきな姿は、ソニアの気に入る彼の一つだ。

インタープリターとしてのプライドや先入観からではなく、この世界にあふれた緑を愛する一人の人間として、彼は正面から植物と向き合っている。

ランプに照らされた横顔を眺めて、ソニアの口元にそっと笑みが漏れた。


「どう、何か進展は?」

「残念だけど、ハズレかな」


 そんなソニアの視線を受けて、資料に目をやりながらヴェロニカは冷える手でカップをくるむ。集中して自分でも気づかないうちに(かじか)んでいた指先が、カップ越しの温もりにジンと染みた。

 四月の終わりといっても夜の冷えこみはまだ厳しい。誘われるように一口(すす)ると、甘い香りが広がって、自然と肩の力が抜けていく。

 ソニア自身も、カップを包みながら机に散乱した紙を覗きこむ。


「気象データで何を調べてたの?」

「色々だけど……えっと、日照(にっしょう)条件(じょうけん)、雨量、冬の平均気温に有効(ゆうこう)気温(きおん)日数(にっすう)と降雪量、雪解けからの気温と、その有効(ゆうこう)積算(せきさん)温度(おんど)だね。本当は土壌中(どじょうちゅう)の平均温度と湿度も調べたかったんだけど、それはさすがにデータがなくて。でもまぁ、視た限りは問題なさそうだから大丈夫かな」

「………………………、え?」


 聞き慣れない言葉をサラリと並べて平然としているその顔に思わず聞き返すと、独り満足げに頷いていたヴェロニカが雰囲気を察して、え―と、と苦笑を浮かべた。

 共に仕事をしていても、お互い触れる分野がまるで違うから、ヴェロニカの口にする専門用語をソニアが分からないのも無理はない。

 だがむしろ、この説明をされて一回ですべて飲み込める人間がどれ位いるのか、大抵の人間が彼女と同様の反応をする事に、彼はきっと気づいてはいないだろう。


「要は、開花に必要な条件を満たしてるかを見てたんだよ」

「へ―…」


 かなり端折(はしょ)って言われても、既に理解する事を(あきら)めた彼女の視線は軽く明後日(あさって)の方に飛んでいる。改めて机の上の紙を見てみたが、何やら複雑な計算式がびっしり書き込まれている。目が回りそうだった。


「全部調べてみたけど過去のデータと比べて、大きく変わったところは見当たらないね。異常気象も無いみたいだし。それに、あの後残って調べたけど、やっぱり目立った傷も開花の支障になる程の内部腐朽(ないぶふきゅう)も無し。………ただ、どう見てもあの蕾、視た限り開花まで一週間もない位だった。カリスさんも言ってたけど、依頼が来た時期から考えると、もう咲いていてもおかしくないんだ。やっぱり、単に成長が遅れてる訳じゃなさそうだね………」

「…そっか」


 インタープリターは本当に少ない。依頼を申し込もうにも、彼等が近くの村や町にいるとは限らないし、依頼書が人の手を介して運ばれるのでは環境や距離的な問題が日数に大きく関わる。だから、彼等に寄せられる便りのほとんどは、より早い伝達手段として伝書鳩が使われていた。

 ヴェロニカの場合も同様で、今回の件も伝書鳩で依頼を受けている。

 カリスから依頼が寄せられたのは、一週間と少し前。それ以前から蕾の状態が変わらないとなると、もう四月も終わろうかという時期の気温だ。やはり何処かおかしい。

 彼は、うーん、と首を傾げた。


「そこだけが唯一引っかかるけど、取りあえず環境条件に一切問題がないのは確定したよ」


 言いながら机を片し始めた彼の背を見て思い出し、ソニアは慌てて持って来た資料を手に取った。


「……あ、私もね。できる限りやろうと思って、観測所に行くついでに色々と役所で見せて貰ったんだけど、こっちもカリスさんの言ってた通りだったわ。去年に、一軒民家の取り壊しがあっただけで、それ以外には何もない。その家も、桜からはかなり離れた所だったから、これが原因ってわけじゃなさそう」


 お互いに、ふぅと溜め息を付いてまた一口紅茶を含む。


「そうすると、やっぱりあの子自身の問題かな。…桜がいつからあそこにあるか分かる?」

「えっと、……記録をみる限り五十年前。その年移住してきた人が苗木(なえぎ)(しょう)で、あの丘に植えたらしいの」

「そっか……………」


 聞いたヴェロニカが思考にふけって、そこで会話が途絶えた。

 静かな部屋で間を保つように、ランプがパチリと爆ぜて油の継ぎ足すタイミングを告げている。

 窓の外を眺めていたソニアは、その音に首を戻すと緊迫(きんぱく)したはずの空間で見つけた光景につい口元が弛んだ。


「………………」

「行ってきたら?」

「へ?」

「気になるんでしょ」


 ソニアに首をすくめられて、キョトンとしていたヴェロニカは無意識のうちに上着に手をのばしていたのにやっと気づいて手を浮かせる。


「気になっちゃうと、いてもたっても居られないんだから」


 相変わらずな性格に呆れながらも少し嬉しくて、照れたように笑う彼へ微笑みを向ける。


「……行ってあげてヴェロニカ。他人の心の中なんて、いくら考えても分からないもの。形がないんだから、直接触れなきゃ見えてはこないでしょ?」


 インタープリターは現場主義でなきゃ。おどけて言うと、そうだね、と頷く。


「じゃぁコレ、調べた事書いておいたから。カリスさんに渡して報告をお願いできる?」

「うん、分かった。了解」


 ヴェロニカが差し出すそれを受け取って頷いた。

 こちらの返事を聞いて立ち上がりながら、ヴェロニカは上着を羽織るとドアノブに手をかける。

 一度振り返える灰色の瞳に笑んで、行ってらっしゃい、と声をかけた。


「ありがとう、行って来ます」


 明るく応えて彼が向こう側へ消えると、部屋のドアがバタリと閉じる。





 夏がまだ遠い春の夜の気温は、むしろ冬に近い。冷えて悴んだ手に息をかけて暖めると、小さな雲が登って空気に溶けた。

 それにつられて仰いだ空には薄い雲が張っていて、本来なら見られるのであろう綺麗な星空はそれに遮られてチラリとも窺えない。

 その代り、輪郭を無くしながらも辛うじて雲間に存在を知らせる月光が淡く足元を照らしていて、それを頼りに俯きながらヴェロニカは昼間歩いた道を辿っていた。


「寒いなぁ…」


 ポツリと零せば、返す声が無い分余計に寒さが身に沁みる。

 耳に届くのは草原を駆ける風の音と、朝日を待ちわびて囁く夜更かしな花の声。

 サクサクと土を踏む自分の足音がそこに混じって、ささやかな重奏を奏でている。


「――、ん」


 不意に足元の道が途絶えて顔をあげれば、すぐ目の前の丘の上、昼間と変わらない姿で囀り桜はそこにあった。

 大きな姿は影のように聳え、背後の闇に(こずえ)が溶けている。季節的には夜風に香るはずの芳香も無く、月夜に目を引く桜特有の鮮やかな色合いも見られない。枝の隙間から覗く曇った夜空と風で囁く草が、耳に籠る静寂を余計に強調して(ひど)く哀愁を誘った。


「こんばんは」



………。



 桜からの返答は、案の定無い。

 ただ、こちらを気にしてるのは気配で分かって、警戒を解くためにヴェロニカはいつもの柔らかい笑みを浮かべて見せる。


「昼間は自己紹介できずにごめんね、僕はヴェロニカ。インタープリターだ。カリスさんから依頼されて、君に会いに来た」



………。



 無言の返答に小さく首を(すく)めながら、特に気にした風も見せずに近寄って、樹皮(じゅひ)にそっと触れる。そこから見上げる樹の姿は荘厳(そうごん)と言える程にとても立派で、それなのに手から伝わる冷たさが寂しげだった。

 触れても、拒絶の意思は感じられない。どうやら話はしてくれなくても、ここに居る事を拒む訳ではないようだ。


――放っては置けない。そう思った。



「一晩ここにいさせてもらえる?」


 言うなり、盛り上がった根の間に体を寄せてごろりと寝転がる。視界一杯に広がる枝の向こう、雲越しに月が見守るその下で、ヴェロニカは静かに瞳を閉じた。






「分かった、ありがとな。で、彼は何処に行ったんだ?」

「囀り桜のところに」

「この寒いのにか、インタープリターは大変だな」

「いえ、視にいった訳じゃないんです。どうしても、気になったみたいで」

「そうか」

「済みません、勝手に」


 詫びるソニアに首を振ると、受け取った報告書を机へ置いたカリスが何かを悟ったように笑う。


「君は、彼と親しいんだな」

「元々、幼馴染で。出身の町が同じなんです。今は仕事仲間ですけど」

「だからか。俺から見てても、二人はいいパートナーだと思うぞ」

「ありがとうございます。…………ヴェロニカ、きっと」

「ん?」


 ソニアはその視線を、机に置かれた報告書へと向ける。短時間で作ったはずなのに、丁寧な字で綺麗に纏められていた。


「きっと彼、あの桜が放っておけないんです。昔から自分より他人の事ばっかり気に掛ける子で、自分の事は全くなのに、他人の感情の変化には凄く敏感だったから」


 植物の事だと尚更、とおどけて見せて、でもとソニアは続ける。


「『人も植物も変わらない。生きる長さと方法が違うだけで、彼等にもちゃんと心があるし、誰かを愛する想いがある。言葉を交わす事が出来ないから皆忘れてしまうけど』ってよく言ってます」

「あぁ。良いインタープリターになるな、将来有望だ」

身内(みうち)贔屓(びいき)になっちゃいますけど、そこだけは私も思います。あそこまで植物に対して親身になれるインタープリターはそうそういません」


 照れたようにそう言って、窓のほうを見ながら、だから、と付け足す。


「…ヴェロニカならきっと、あの桜を咲かせてくれますよ」

「あぁ、信じて待とう」


 笑いあう二人の間で、ランプに照らされたお茶の湯気がフワリと舞う。踊るようにゆっくりのぼると、甘やかな香りと共に穏やかな空気の中へとそっと溶けた。


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