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いち。

 こっそりと抜け出した外の世界。そこで拾ったトランジスタラジオ。

 スピーカーが所々破けていて、ぶつぶつ、ざっざとノイズが混じるが、放送が聞こえないということはない。少年はノイズ混じりの音声から、知りたい情報をこしとり、さらに外の世界へと想いを馳せる。


(いつかきっと、こんな家出て行ってやるんだ!)


 外に出てはいけないよ。そんな言いつけを受けていた少年は、子供心ならではの反抗心から、度々外に抜け出していた。そして、その度にこっぴどく叱られるのがオチだった。

 どうして、少年は外に出てはいけないのか。


 その答えを、ラジオの音声が告げていた。


「政府配置特別科学研究所の事故により、『死神の街』と呼ばれるようになってしまったセントリアですが、政府は未だセントリアの隔離と情報配信にのみとどめるという態度を一向に崩しません」


 少年は、相変わらずこの街が『死神の街』と呼ばれていることに憤り、ベッドの白いシーツを握りしめるのだった。政府はこの街を改善する意向を示さない。死神と呼ばれる怪物が闊歩するこの街を、住民がそいつに喰らいつくされるまで放置する気でいるのだろうか。


「結局、ぼくはこの街から出れないのか」


 少年は唇を噛みしめて、薄暗い部屋の中に日光を招き入れる格子窓、その向こうを見つめる。庭に植えられていた木の枝に一羽のカラスが止っていた。空を自由に飛べる翼を持つ鳥ならば、死神からも簡単に逃れられる。どこまでも自由に。少年には、その翼の存在がひどく羨ましく思えるのだった。

 少年は、床を埋め尽くす本の山をげしと蹴りながら、格子窓に近づく。カラスが何かを嘴に加えているのが分かった。


 少年はそれが何か分かったところで、はたりと歩みを止めた。


 本の山が崩れて、床に落ちる騒がしい音。カラスは少年を真っ直ぐに見つめていた。動揺を胸に手を当てて一息ついて、ゆっくりと窓に近づいていく。


 やっぱり、死肉だ。

 

 血が滴り落ちていることから考えて、比較的新しいものだろうか。


「カラスがついばむ人の死肉。それは人間が自らまいた種……か……」


 ふて腐れたように呟いて、埃で曇ってしまった窓を指でなぞる。が、埃は指の腹にはつかない。それは外側についてしまっているからだ。眼下に見える庭の生垣は伸び放題。死神が闊歩する外には、好んで出たがる人など誰もいないからだ。


 誰もが怯えていて、誰もが日々を楽しむことを忘れていて。明日死んでいないことだけを考える。そんな街で死んでいくだけの自分。少年はウンザリだった。


「ああ、死んでしまいたいなあ」


 ぼそりと呟いた一言。それを受けて、何かを察知したかのようにカラスが慌ててどこかへ飛び去って行った。怪訝な顔をして、窓の外を見やる。朝陽に照らされて、埃っぽい空気が白い霧のように見える。目を細めて、外の世界に目を凝らす。


 どの建物も、埃や灰が積もっている。見慣れた光景だ。

 草木が伸び放題になってしまった庭。車が走っていない道。人気のない閑散とした街並み。


 何の変哲もない、いつも通りの廃れた街に見えた。

 安心して、ため息をひとつ。いやな焦りを覚えた。でもなんで焦っているんだろうか。少年は自分で自分に疑問符を浮かべる。死んでしまいたい。今の自分なんてどうでもいいと思ってしまっていたはずなのに。結局は、死ぬことが怖いのか。


「意気地なし」


 自分に向かって言葉を吐き捨てた後、床に転がった本を手に取り、何となく開いたページから読み始める。もう覚えてしまった展開がそこにはあった。


(まるで自分の人生みたいだな。ぼくは、もう知っている物語をなぞるだけ)


 空しさを感じつつも、少年はページをめくっていく。紙面をびっしりと埋める字を視線でなぞり、ページをめくる。本を読むという何の変哲もない行為が刻む単調なリズム。


(物語の人物の死は、その人の人生を象徴するエピソードとして描かれる……。ぼくの死はどうだろう? ぼくが死んだところで、どうなんだ? ぼくは、どんなふうに死にたい?)


 再び字をなぞり、ページをめくる。――だが、そのリズムは奇妙な揺れによって乱された。もう読み終わろうかというページを、指の腹に乗せていたのが、下の階から響く振動で、滑り落ちたのだ。


 何かが倒れたのだろうか。そう思って、自室のドアを開けた。蝶番の金属がこすれてぎぃいと耳に優しくない音が鳴った。


「お父さん、お母さん? 何か――」


 廊下に出て呼びかけたが、家にいるはずの両親からは返事はなかった。


「倒れ……た……?」

 

 代わりにそこには、赤黒い血と肉の塊のようなものがうごめいていた。


 血染めになった包帯に包まれた身体の中央では、剥き出しになった心臓のような臓器がぶるぶると小刻みに震えている。筋肉組織が剥き出しになった四肢が、おびただしい量の血を垂れ流しにしながら、身体を四つん這いにして支えている。身体の下部には粘液を滴らせる人間の唇のような部分があり、うわごとを呟くかのように動いている。

 赤黒い化け物は、自らの重みで床を震わせながら、のっそりのっそりと近づき、唇の中から鋭い棘のついた赤黒い舌を伸ばしてきた。


「うわぁあああっ!」


 少年は、どたどたと床をあてずっぽうに叩きながら、生まれたての仔馬のような歩き方で逃げ惑う。

 何処に向かえばいいのか、退路は後ずさりのみ。即ち、自室に飛び込むより他はなさそうだった。幸いにも、赤黒い怪物の動きは遅く。馬鹿になってしまった歩き方でも、逃げ込むことはできた。だが、そのドアを閉めるような時間的余裕は残されていない。

 赤黒い怪物は、ドアの外枠に手をかける。大きさがひどく違っていて、禍々しい形になっているが、どことなく人間の手の形を思わせる。

 赤黒い怪物には、眼球らしき組織は見当たらず、少年が動いて音を発する度に、ぴくりぴくりと反応する。洞窟の中で光を知らずに生きてきた生命体のようだ。加えて、冗談か悪夢としか思えないような外見。途方もない巨大さと、奇怪さ。


 街を闊歩するこの怪物を、人はこう呼んだ。『死神』と。


 死神が歩く先に少年は、本棚を倒し、行く手を阻もうとした。しかし、優に人の背丈を越える巨体を止めることは叶わない。一歩、一歩。四つん這いの手足が床を踏みしめる度に、少年は窓に向かってじりりと追い詰められていった。

 咄嗟に少年は、大切にしていたトランジスタラジオを拾い上げて、窓に向かって走る。しかし、落差に足がすくんで一瞬二の足を踏んでしまう。

 背後では、死神が下半身についた唇の中から、あの茨のように鋭い棘を持つ長い舌が迫っていた。 

 少年は格子窓を開け放ち、二階の窓から飛び降りた。咄嗟の受け身でも、何カ所か強く打ってしまった。内臓が震えて、脆弱な身体が悲鳴を上げている。皮膚も何カ所かすりむいてしまった。


 痛い。痛いっ!

 

 それでも、少年は死にたくなかった。あんな冗談みたいな趣味の悪い化け物に自分を終わらせられるのはごめんだった。

 痛む身体を引きずりながら、走っていく。

 息が切れて走れなくなって、それでもまた走る。――とにかく無我夢中で、それを繰り返し続けた。


 逃げ込んだ先は、使われなくなった地下鉄の駅だった。

 ごみの散乱する、打ち捨てられた冷たい地下は、湿っぽくてカビの匂いがしていた。外からの光が漏れてかろうじて中を照らしている。薄暗いけれど、奇妙な安心感があった。少年はそこで少しだけ我に返り、今しがた自分に起こったことを省みて、頬に一筋の河を流した。


(食べられたんだ……。お母さんもお父さんも、死神に食べられちゃったんだっ!)


 おそらくそれは確実。そして、それを確かめに自分の家に戻ることもできない。これからもずっと、あんな化け物から逃げ惑うのか。そう思うと、瞳から溢れる河は止まらなくなってしまった。


「……嫌だ……、嫌だよ、こんなの……」


 膝を抱えてすすり泣く少年。その膝小僧をぼんやりとした灯が照らす。太陽の光とは別方向から注がれる光に少年は狼狽え、呆けた口を開けて、顔を上げる。

 ひとりの少女が視界に入った。


「どうしたの? そんな顔して」


 少女は、たおやかな黒髪を垂らしてうずくまる少年を覗き込んでいた。端正な顔立ちと透き通る肌をしている。しばらく少年はそれに見入ってしまった後、おわぁあと間抜けな声を上げてのけ反った。少しだけ頬が紅く色づいてしまってる。それを少女は腹を抱えて笑った。


「わ、笑うなっ!」

「ごめん、ごめんてば」


 少女は年のころ、十五歳かそれくらい。少年との歳の差はふたつほど離れている具合だろうか。立ち上がると、少女の背の方が高かった。少年は少し間をおいてから口を開いた。


「……お姉ちゃんも、逃げてきたの?」

「うん、この地下鉄が今も壁の向こう側に繋がっていると信じて……ね」


 にわかには信じがたい情報だった。トランジスタラジオから流れる情報番組は、そんなことは教えてくれなかった。こんなふざけた街から出ることができるというのか。少年は歓喜のあまり、背伸びして少女の肩を揺さぶった。


「ほ、本当っ! 本当なのかっ」

「お、落ち着いて……」


「本当なのかっ」



「――うん、本当だよ」


 もう一度尋ねると、少しだけ間をおいて、唇を噛みしめるようにして少女は答えた。地下鉄の線路は残っていて、電車はもちろん動いていない。つまり、線路を辿って歩けば、この街を出ることができるというわけだ。少年は沸き立った。


「出られるっ。このふざけた街から出られるんだっ!」

「――そうだね」


 対照的に、少女の態度は静かなものだった。



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