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青い愛染 上

 ゆっくりと膳にあるものをたいらげる。

 舌にのせ、かみしめながら鼻に抜ける香りまでを感じ尽くす。

 隠し味が前に立ちすぎ。

 薬味の風味が少し足りない。

 糖が多い。

 酒を飛ばしすぎ。

 しょうがに頼っているが、そのあやうさが悪くはない。持ち味になるか。

 手首と足首をつなげられ這う少女。

 じっと、男をにらみつけて見ている。ぎゅっと、まぶたが目を押し下げると、男と娘は似て見えた。

「許せない。なんでこんなことをするのよ。」

 男は水を口に含み、ゆすぐようにしてから飲む。音も立てずにそっと。

 そして小料理のひとつひとつを、何度も確かめるように口に運ぶ。

 舌に不愉快。

 全体に大人しすぎる。調和がない。

 ふわっとしすぎて何も、味、香り、感触、色味も印象に残らない。

 少女はもがきもせずに、料理を口に運ぶ男をじっと見とれている。

 こんなに熱心に食べてくれる客は、いない。

 やわらかそうな着物。

 新品の足袋。

 帯地は見たこともない、いや着物も、こんなに淡い色無地でいてしっかりとした品と見るものに分からせる品質。知らない。

 たっぷりとした柔らかそうな亜麻色の髪。

 高い鼻、少し、鼻頭が丸みがあって優しそう。

 だけれどその目は横に大きく瞳は小さな三白眼。長閑に離れて位置する眉も、表情によっては意地悪そう。

 形の良い唇は、肉感的な存在感。

 強い曲線も荒々しい首。

 身体もそうなのだろう。

 ぎゅっと締まった曲線が着流しの上からもありありと分かる。

 この人、美しいんだ。

 美男子、という感じじゃないけれど。

 背格好がすごくいい。

 面長なのが貴族を思わせた。

 手首と足首をくっつけて縛られている。お尻だけが上を向いて。

 苦しくなって、下を向いた。顔を畳につける。かまいやしない。おしろいだって使いやしないのだから。

「どんなことをした。」

「何を、ですか。」

「異国の地にて料理を学ぶ。そのために、この料理屋の主に口利きさせるためにどんなことをしたというのだ。お前こそ何をしたんだ。」

 なんでこんなことをするのか、許せないと言った娘への返事らしかった。

 男は正面を向いたまま、良く通るが低い声で尋いてきた。



 男、歴倉蒼維ふゆくらあおいは目の前に座るドレス姿の女に、にこにこと笑顔を向けていた。

「ええその方とは別れたんです。潮時でしたの。香月たかつき卿とは続いてますの、ムーンフレーバーという香を下さいますので、毎夜あの方といるかのよう。ご本人も忘れてしまいそうで忘れられない。お香なんかにね、変な感じね。」

 女は、とろりとした視線で歴倉を見るが、その気になれないのを不思議がっていた。

 目の前の男は、かなり高位の貴族で、自分に優しく、見てあの胸の厚さに引き締まった腰のあたり。

 抱かれたい。

 首にうでをまわして甘えたい。

 なのに、色っぽいことは何も言えない。

 甘えん坊な目線も送れずに、気の利いた台詞まわしでムードを作ることも出来ない。

 変な相手だわ。

 濃い桃色の薄衣を重ね花の精のように装って。銀糸のストールで撫で肩を隠すように見せる。

 細すぎないうでが自慢。

 可愛らしすぎないお顔も、演じさせてくれるのよ、いくつものわたしを。

 まるで小娘だわ。この男性の前では。おかしな気分ね。

 思い切って席を立ち、男の座るチェアーの肘掛けに腰を降ろした。

 口元に笑みを浮かべたまま、男は女を見た。

 少しの間、女は男を目を細くして見ていたが、ふと笑みをこぼすと立ってバルコニーから店内へと移った。

「じゃあね。良い男で悔しいわ。わたしのパパはハゲデブチビで、でもとってもチャーミングなのわたしのことが大好きなのよって、子供の頃言いたくて!」

 蒼維はにこにこと女を見送る。

「ひどいわ、貴方はわたしが嫌い。でもわたし、お父さんにそっくりよ。」

 一瞬だけまじめな顔をして娘は去っていった。

 観葉植物が巨大化したうるさいカフェで。

 娘は桃のサンデーを食べた。

 余しを口に入れる蒼維。

 ろくでもないからこそ、可愛い。

 だけど素直に抱きしめられず、お父さんだよとも言えず。

 何だろうね。

 席を立った。

 悪い椅子に疲れる。

 あんなに会ってみたかったのに。

 自分に似ていれば余計に愛くるしいと思ったのに。

 桃の味がだえきを溢れさす。

 行き場の無いもやもや。

「きゃっ」

 他の男を誘惑する桃色の姫に、キスして逃げた。

 たっぷりとだえきを注いで。

「死んでしまえ」

 と言われたが、娘とは三回会った。

 娘の母も一緒に旅行して。完全に別れた。



「どうして働くのよ。」

「自分のためよ。」

 母は妾。愛人なんて格好よさげだけれど、体の良い囲い女よ。

「あの方が何でもして下さるわ。」

 縞の着物をぴしりと合わせて、黒繻子の帯を巻き付ける。

「ねえ。あなたは、貴族なのよそれも宮廷に住み暮らす朱族の中で一番の、あの方が父さんよ。」

「いらぬほどこしよ。」

 玉のかんざし鼈甲のくし、絹の花かんざしは子供の頃うれしくて使ってて、捨てられない。

 宝石の付いた指輪。

 総絞りの振り袖、丸帯、全部全部母に押しつける。

「要らないのよ。物なんかで、わたしを縛り付けるなと言っておくことね。お母さん、わたしは貴女を悪く思いたいんじゃない。ただ父だというその人をわたしは知らない。知らない人から物はもらえない。」

 哀しそうな母の目を見れずに、さっさと立ち去った。

 蒼維が物陰で笑っていた。

「申し訳ありませんわ。御前。」

「いいじゃない。」

 蒼維は振り袖を受け取る。

「知らない人だなんて。忘れてしまっているだけよあの子。」

 そうだね、と蒼維は思いながら振り袖を優しく撫でる。

「似合うと思ったのだけれどね。」

 その若い情熱を燃やすものは、支える誇りはなんだ。

 三日ほど、蒼維は小館に暮らす女のところにいたが娘は気が付かなかった。

 その間に、娘の仕事も分かった。

「御前。」

 振り返ってやる。

 立て襟と身体に沿ったすその長いドレス。

 ヴェールからのぞく瞳。

「あの子を見捨てないで。」

 軽くだが目を見てうなずく。

 段差を降りるときに従者の肩に手をかける。


 令嬢の気紛れと初めは相手にされなかったのだそうだ。

 それでも、女の身で料理人を目指すことができるのは令嬢だから、なのだそうだ。

「焦らないで良い。上へ上へと急がないで良い。ていねいに、自分の料理と出会える道を行きな。」

「はい。」

 意味は分かっていた。

 正統ではやってゆけない。

 だから「令嬢」の看板も利用しろと言うことなのだ。そしてそれが活路でもある。

 板長は、優しい人ではない。

 はじめから、令嬢の出世の階段は取り外している。

 道は、イロモノしか無い。

 それでも料理がしたい。

 食べる人に喜んでもらいたい。ある日、知らないお兄さんがふらりとやってきて、母が一瞬だけはじけるような笑顔を見せた。

 鯉を釣ったとか言って、自ら台所にはいってお兄さんはうろこを剥いだ。母も手伝って楽しそうに。

「楽しみに待っててね。」

 楽しそうなお母さんの様子にわたしも嬉しくって胸がころころとして、笑っていた。

 着物を着たお兄さん。

 玄族人のように見えたけれど、眉は優しそうに目から離れてゆるやかだった。


 料理、ね。

 いろいろと美しいものを見せたと思っていた。

 絵を送ってやったし白族や玄族のドレスも、青族のドレスはさすがに実母にかなわぬが。

 夕方、トンボの往来の中に連れて行き日本国の謌を謌ってやったりもした。

 この子が小さい内は、まだ時間に余裕があった。

 町に出て着物を選ばせてやり帯や掛け襟、髪の形まで館の中でお姫様にしてやった。

 それがおれなぞ、知らない人にされてしまっているとは。

 おれがばかだからね。

 十年以上も会わなければ、いないのも同じことではないか。


 あのお兄さんが父なのだ。

「お父さんだよ。」

 とか、言わなかった。あの人は。


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