偽メール
橘の事務所は赤坂にあった。
赤坂という地に、自分の事務所がある…ということは自慢できるポイントではあるが、彼の事務所は居酒屋等が多く入った雑居ビルの上だった。知り合いの居酒屋に頼み込んで、最上階の事務室みたいなところを事務所として使わせてもらっているのだ。
この場所に事務所をおいた一番の理由は大手代理店がその場所にあるからだ。
仕事も情報も貰える代理店は、情報を扱う橘にとって非常に重要だった。
ただ彼の肩書きは、コーピーライター及びコンサルだったが。
真田からの意味不明な依頼は最初、暇つぶし程度に仕事の合間で調べていたが、ここ3日間彼は夢中になっていた。最初はネットで調べていたが途中で直感的に嫌な予感に気づき、もっぱら電話取材と現場取材に切り替えていた。
今日会う約束をした真田には、だいたいわかったぐらいの勢で伝えたが実はその真相のほとんどはまだ謎だ。
真田の予想に反して、橘はこの1件に大きな興味をいだいていた。
「おっと、そろそろ出んとあかんわ…」
時計は約束の夜8時の15分前だった。急いでカバンの中にノートと携帯、財布だけを入れて赤坂見附の駅へ向かう。居酒屋の横の階段をいっきに駆け下り、全力で駅まで走り銀座線に飛び乗った。
「ふう…10分遅れやな…」
8時には間に合わないことは確定していたが、自分にしては上出来だと思った。橘は、真田とは違い時間にルーズで、常にギリギリの選択を良くする。仕事柄なのか性格なのかわからないが、こればかりは30歳を過ぎた今でも直らなかった。
と、メールの着信を知らせるバイブがなった。
「急で申し訳ないが場所を高田馬場にかえたい 真田」
あれ、急に場所を変えるなんて珍しいな…と橘は思ったがこれで遅刻の言い訳がなくなったと気が楽になった。が、次の駅で新宿方面に乗り換えなくてはならない。橘はカバンを握りしめ次の駅で降り、逆方向の電車に乗った。
彼が高田馬場駅についたのは、それから20分ほどたってからだった。あのあとすぐに一応返信したが真田からの返信はなかった。
とりあえず早稲田口を出て、到着した旨をメールをして外に出た。
橘は無類のタバコすきだったので、返事がない真田を駅前の喫煙所で待つことにした。高田馬場の喫煙所は大学生でかなり混んでいてスペースはかなり狭かった。橘はカバンをしっかりと抱えながら、その場所でしばらく待つことにした。
と、メールが鳴った。
「今、どこにいますか?駅に着きましたか?真田」
とメールがきていた。橘は「喫煙所にいます」とメールを返す。
と、橘はメールを見返した。
「ん?」瞬間的に橘は動いた。
素早くその場を離れ、喫煙所の横にある「BIGBOX」という商業ビルに入った。その間にもメールのバイブ音がなっている。その携帯を無視するように橘はBIGBOXの裏出口からタクシーを拾った。
「すいません、急いで新橋まで」
と告げ、後部座席に深く座り込んだ。多くの学生たちの中に紛れて助った…と橘は思った。窓から恐る恐る喫煙所を除くと学生たちがスマホをバチバチしている。
実はあのメールを読み返した瞬間、橘はメールの相手が真田でないとわかった。真田は、メールや電話では腰が低い。遅れるとか、場所変更などどという事態になったら、すいません、申し訳ありません という言葉が無数にあるはずだ。しかも言い訳がましく、遅れた理由をコンコンと書く性格だ。
あんな一言メール自体が珍しい…むしろないと思ったのだ。あの内容なら電話してくるだろう。
急いで真田に連絡しなくてはと思ったが、携帯は危ない。仕方なくスマホで待ち合わせ場所のバーに電話をした。
「あいかわらず、遅いなぁ…」
と真田はなにも知らなかったように、マスターに変わって電話に出た。
「真田さん、携帯さわらといてください。今からすぐ行くんで。」
と橘は電話を切った。幸いだったのは、待ち合わせ場所をメールで書かなかったことだ。念のため、メールを見直したが場所は、「いつものとこ」としか書かれていない。
「ふう…でも早くねぇか…」
橘は大きなため息をつくと、都会の流れる光をタクシーの窓からゆっくりと見ていた。