ユキとの再会
真田はその夜、新宿駅東口の地下改札でラーメン屋の塚下サナを待っていた。
結局、彼は塚下がユキかもしれないという事実をTOTOに伝えられていたので、キャバ嬢のサナには会いに行くのをやめていた。とりあえず、塚下サナがユキかどうかの確認をするのを先にした。
四月に入り、寒さが弱まりコートはいらなくなっていた。真田は、その時間の早さに毎度驚いていたがこの3月は本当に早かった…と自分でも感じている。TOTOのいうことが正しければ、去年も真田はさなやんとして、ユキとともに恐ろしく早く過ぎる時間の中にいたのだろう。だが、真田はその記憶も時間もほとんど覚えてはいなかった。
「こんばんは〜お待たせしました。」
急に声をかけられ真田は、ドキっとしながら顔を上げた。そこには、昼間にあった雰囲気と違う塚下サナがハニカミながら立っていた。ベージュのワンピースに軽く羽織った白のトレンチコートが妙にかわいい感じを出している。真田が顔をのぞくとしっかりとメイクしていて、華やかさは昼間の時より倍増していた。
「いえいえ。こちらこそお仕事で疲れているのに、変なことに付き合わせてしまってすいません。」
「今日は残念ながら暇でしたので、大丈夫ですよ」
「とりあえず行きましょうか?」
真田はそう言うと歌舞伎町とは逆に進み、以前キャバ嬢のサナと行ったBAR「LIME」へと向かう。真田がなぜか涙が止まらなかったBARだ。かすかに残る記憶では、去年真田はユキとこのBARに訪れている…はずだった。
「なんか…久しぶりのデートみたいな感じでドキドキする」
塚下サナはそう言って真田の横に並んでついてくる。
「サナさんは、今は彼氏さんはいないの?」
「あは。私、記憶喪失者ですよ。いたらぜひ会わせてほしいくらいです。」
塚下サナはそう言って複雑な表情で笑う。と、彼女は急に足を止めた。そこは改札からしばらく行くとある通路のような場所で、ここを抜けて右の階段を上がると「LIME」がある。ちなみにここは、以前真田とキャバ嬢のサナが、かけっこの競争をした場所だった。当然、ユキとさなやんもここで「かけっこ」をしたと日記には書いてある。
「どうしかしましたか?」
「いえ…。なんだろう…」
塚下サナは、不思議そうな顔をしたがしばらくして何もなかったように再び歩き出した。真田は、なにかを悟ったような顔をしたがとりあえず何も言わずに塚下サナの後につづく。
彼女は通路を抜けると、真田の案内も聞かずにスッと右の階段を上っていく。真田はそんな彼女をみて
「サナさんは、まるで私の行くところを知っているようですね…」
と話しかけた。だが、塚下サナは無言で階段をあがり小道を渡ると「LIME」のあるビルの下まで歩き止まった。
「私…。なんでココ知ってるんだろう…。ココ、水槽のBARでしたっけ?」
「…」
「水槽があって…入口の水槽に大きな魚がいて…どこが入口かわからないBAR…」
真田はその言葉を聞いて、思わず目に涙がたまった。と、彼女は振り向くと急に真剣な顔で真田に話しかけた。
「私…。ずっと…ここに来たかったんだ。」
「サナさん…。前にここに訪れたことがあるんですか?」
「はい。それがいつか、誰ときたかはわからないですけど…」
真田はその言葉を聞くと、「とりあえず行きましょう」と、塚下サナをエレベーターに案内した。彼女はエレベーターに乗るとすかさず3階を押した。そして、急に笑顔になり
「ここ、知ってる!私、ここでいつもワクワクしてた気がします!」
と、真田に話しかけた。
「え?エレベーターで?」
「はい。なぜだかわからないですけど…」
急に笑顔があふれ出した彼女を見て、真田も嬉しくなった。3階につくと、確かに入口がわかりにくいBARへと入る、もちろん、大きな魚の水槽を横目にみながら…。
「いらっしゃいませ」
店に入るとすぐに店員が話しかけてきた。
「予約した真田といいます。」
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ。」
真田と塚下サナはその店員のあとに続く。その間、彼女はずっと店の中を食い入るように見ていた。
店員が案内したのは、以前真田が涙したカップル席だった。予約するとき、いきなり最初からカップル席とはどうかと真田は思ったが、今日はここの席でないと意味がない。
予想どおり、塚下サナは怪訝そうに席を見ていた。
中々、席に座ろうとしない彼女を見て、真田は
「席、かえましょうか?」
と尋ねた。塚下サナは大きく首をふり
「そうじゃない。そうじゃないの…。」
と言うと、緊張気味に席に座った。真田もホッとして、なるべく彼女との距離をあけて彼女の左側に座った。彼女は、目の前に広がる水槽をくいいるように見ている。
だが、ふと彼女は真田をみると静かに話し始めた。
「真田さん、話して。私の知らない…わたしのこと」
真田はその言葉を聞いて、「貴女のこと…かは、わかりませんよ」と前置きしながら話し始めた。
「私は去年の2月、雪の降る日にユキという女性に出会いました。彼女は、綺麗で華やかで明るくて、いつも私を元気にさせてくれました。彼女の仕事は、ホステス…いえ、いわゆるキャバ嬢でした。池袋にあるエレメントというお店で、ナンバー1だったそうです。」
「ナンバー1…キャバ嬢…か…。」
塚下サナは、覚えのない膨大な貯金額のことを思い出していた。
「ユキとは池袋にある会員制のBAR「TOTO」で出会いました。逆ナンだったそうです。ですが、それは私に好意があったわけでなく、ある理由がありました。」
「理由って?」
「ユキの夢らしいですが内容は僕もしりません。ただ、大金が欲しかったとも普通では叶えられない夢だったとも言われています。そのために、彼女はある男と組んで、私を実験の対象として選んだらしいです。」
「ひどい…。あの、私だったら本当にごめんなさい…」
塚下サナはそう言って軽く頭を下げた。真田は、いえいえと笑いながら話しを続ける。
「その実験方法ですが、私をユキに夢中にさせることだったそうです。彼女はキャバ嬢ですから、そんなことはお手のもんだったはずです。私は、彼らの予想通りユキに夢中になった。だけど、ここからは理由がよくわからないんですけど…ユキも私の好意に応えてくれるようになった。そして、彼女は迷ったらしいです。自分の夢か私か…。でも結局彼女は、どちらも手に入れようとした。だがそれは、私を実験材料としたいた男への裏切りだった。それで…私とユキはその報復としてなのか、記憶を消されたようです。」
「そうなの…。」
彼女が真田の話しを真剣に聞きながら、相槌をうつと店員が注文を聞きにきた。真田は、すかさず
「シーバスの水割り2つとバーニャカウダーをお願いします」
と答える。店員がかしこまりましたと下がると、塚下サナは驚いて
「どうして…。私が頼みたいもの…わかったの?」
と聞いた。真田はそれには答えなかった。そして、2人はしばらく無言になった。
2人はそれぞれ考えていたのだ。かすかに残る記憶の糸をむりやり引きずりだそうとしていた。
やがて、注文したシーバスの水割りを店員が運んできて机の上に静かに置く。
2人はどちらともなく、グラスを手にとった。
「乾杯」
同時に声がでた。そして…ふと目があった。
真田はずっと彼女の目を見ていた。引き込まれそうな感じだった。そういえば、今まで彼女の目をこれほど凝視したことはなかった。暗い場所なのに…はっきりと彼女の目がみえた。彼女も目を離さなかった。なにかを探しているように真田の目を見ていた。
(この場所、覚えててくれたんだね)
(うん。もちろん。だってこのお店、いつも来てたじゃん)
(シーバス…好きだったろ?)
(うん。バーニャカウダーも…あとローストビーフも)
(朝の3時によく食べてたよな。2人して…)
(本当だよ!バカだよね…2人とも)
(なぁ…ひとつだけ聞いてもいいか?)
(うん…何?)
(あの頃…俺のこと、本当に好きだったのか?)
(好きだったに決まってるじゃん。じゃなきゃあんなに会わないし…つうか一緒に住んでたじゃん)
(当時は、わからなかったよ)
(いつも貴方は…そんなバカな質問してたよね…)
(はは、バカか…)
(バカだよ。好きじゃない人と一緒に住むわけないしょ?)
(俺は、おまえのこと…なんて呼んでたの?)
(さっちゃんだよ。私は…さなやん!さなやんって呼んでた!)
(そうだな…)
そしていつの間にか、2人は笑顔になっていた。
「あ、渡すものがあったんだ…」
真田はふと我にかえるとカバンから、時計を取り出す。以前、リカから預かっていた時計だった。
彼女の左腕を手に取る。塚下サナは時計はしていなかった。真田はその細い腕に、丁寧にその時計をはめた。彼女はその時計をみてしばらく考えていたが
「あ…帰ってきたんだ。私の時計…さなやんが買ってくれた時計だ。」
と言った。塚下はしばらく眺めていたが
「でも、この時計はペアじゃないから嫌だって私、言わなかった?」
「よく覚えてるな…俺の時計がほしいんだっけ?」
「そう!全く同じのが欲しかったの…」
そのどころからともなく溢れてくる現実的な言葉で、真田はこの女性がユキだと確信した。