約束
池袋東口にある、通称ふくろう交番は毎日夕方4時に交替がある。この日も奥で制服に着替えて交替したばかりの磯谷巡査長は、交番前に立っていた。2月特有の寒さで風が冷たかったが、暑がりの磯谷はコートを着ないで制服のみで立っている。
「すいませーん」
突然、横から女性の声がした。磯谷が声がした方向をゆっくり見ると、そこには小柄で若く綺麗な女性が立っていた。髪はすこし暗めのブラウン系で流行りのゆるふわというのだろうか、顔は整っていていわゆる綺麗な女性だった。なにより美しい白い肌が印象的だ。ただ顔に幼さも残っていて人によっては可愛いという印象を受けるかもしれない。ハタチくらいだろうか。
「どうしましたか?」
磯谷も警官である前に男だ。自然と声がいつもより優しくなる。別にだからといってなにがあるわけではないが…
「あの、この辺に「TOTO」っていうバーがあるらしんですけど…見つからないんです…」
「TOTO?うーーん…聞いたことないですね…トイレみたいな名前なので忘れないとおもいますが…。新店かな。」
と、磯谷はマクドナルド横の雑居ビルに目をやった。いろいろな店があるが「TOTO」という名前も、バーらしき店も見当たらない。
「バーとなると、次の信号の方までいかないとないと思いましたが…あ、ちょっと待ってくださいね」
磯谷はそういうと、交番に入っていった。その女性…マキが交番の中を覗き込むと同じ交番勤務の警官とともに地図を見て調べてくれているようだった。マキは優しいなぁとつぶやきながら中を見ている。警察官をこんなマジマジと見るのは初めてだ。ほんとに腰に拳銃あるよっとかいろいろ観察していた。
他の警察官とも目があった。きっと先ほどの警官…磯谷が自分のことをいってるんだろうと推測した。もちろん、その推測はあたっていたが。
しばらくすると磯谷はもどってきた。
「どうでしたか?」マキが期待をこめて笑顔できく。
「すいません。やはりこの付近にはないみたいです。TOTO BARという店なら新宿にあった気がするけど…いや、ごめんなさい。確かなことじゃないです。」
と磯谷巡査長は、丁寧にこたえた。マキは若干肩を落とし、小声で「ありがとう」とお礼をいうとその場からゆっくり歩いて、連れと思われる男の方へ歩いて行った。
「男連れか…にしても綺麗だったな。」
磯谷巡査長のとって好きなタイプだったのか、は警官らしからぬ言葉をつい口にだしてしまったが、その時彼女がその男を連れてこちらに戻ってきた。男は、自分と一緒かすこし上くらいだろうか。どちらにしても、女性とは年の差があるなとますます、相手の男が羨ましくなった。
「まだ、なにか?」
若干、声が不機嫌になっていたかもしれないが、磯谷は声をかけた。自分でもこの女性一人の時との対応の違いに笑ってしまうほどだった。
「何度もすいません。あのですね、あそこのマックの4階なんですけど、なにかお店ってあるんですか?ほら、マックは3階まででしょ。でも建物は4階まであるんでなにかお店でもあるのかと思って…」
その男、真田はそう説明した。磯谷巡査長は、なんでそんなことが気になるんだと訝しんだが、確かに建物は4階建てだった。
「うーーん。確かにそうですが、上はマックの事務所とかじゃないんですかね…」
「やはりそうですかね。ありがとうございました。」
とその男は御礼をいって、女とともに交番を離れた。女がなにかを言いたかったみたいだが男はそれを制して歩いていったので、女もそれに従った。
あーあー羨ましいねぇ…磯谷はそう呟いたが、すぐに警察官の顔になり交番の前に立った。
結局、真田とマキの二人はそのままマックの前に戻った。相変わらず通り過ぎる人の波と、1階のレジは混んでいた。
「本当にここだったらウケる!」
マクドナルドを見上げながら、まるで子供用に目をキラキラさせながらマキが呟いた。真田も同意見だった。特に確証はないが、これがカンというやつだろうか。それに…ここに立っているとなにか心が騒ぐような気がしていた。それがなんだかわからないのだが。
「しんちゃん、わかっているとは思うけど、明日からもう3月だからね!」
ふと、マキが呟いた。ああっと真田が頷く。
「明日から私たち、大変だよ。すごく予定がつまってるの!」
「…そうか。」この女は本当に、人の日記の通りに行動するつもりなんだろうかと真田は思った。真田は日記を見ていないので、日記の主と日記の中に登場する真田…通称さなやんとの関係はわからない。もし日記の中に愛し合う描写があったらマキはそれもなぞるのだろうか?と思った。いや、ぜひそこは外さないで日記のとおりに行動してほしいと、切実に願おうと思っていた。無言でなかなか乗ってこない真田を見てマキは、
「言っとくけど…逃がさないからね!約束やぶったら…大変だよー」
と、マキは若干睨みながら真田を見ながら文句をいった。その目の鋭さに真田はどきっとした。別に怖くはないが、今までみたことのない顔だった。そういえば今日はマキのいろんな表情を見れた日だなと思った。昼間に初めて会ったこともあるが、ゆっくり2人で時間を過ごしているからだろう…。店と違ってチェンジもないしと真田は思った。
「ははは…」真田は笑ってごまかすしかなかった。たった半月前までは、営業で送ってくる一月2回くらいのメールの時しか、マキのことを考えたことはなかった。マキにとっても、真田は俗に言う細い客で大して気にも留めてなかったはずだった。今では、おはようからおやすみまでメールは数多く届いていて、片時もマキを忘れることはない。
「そういえば日記は…見せてくれないのか?」
真田は突然きいた。今なら橘もいるし、日記があればかなりいろいろ調べることもできる。しかし、メールでも電話でもマキは日記に関しては見せることを拒んでいた。
「うん。日記は…しんちゃんは見ないほうがいいと思う。先を知らないほうが映画とかも楽しいでしょ?それに、あなたは、さなやんじゃないし、私もこの日記の娘、ユキじゃないしね。」
真田は黙って頷いた。ただ、ユキ…という名前は新情報だ。なにかと突っ込んでいけば、マキはボロを出して喋るかもしれないとも思った。
「あとね、最後を…目標が達成したら、日記にかいてある最後を変えたいんだぁ…」
意味深な言葉を言ったマキを真田は見た。だが残念ながら、夕日の逆光に照らされたマキの顔からは表情は掴みとれずその最後が、ハッピーエンドかバッドエンドなのかは判断ができなかった。
その後、二人は新橋に向かうことにした。真田が橘と約束した夜の8時まで、マキが一緒にいたいと言い出したからだった。池袋駅から山手線に乗り新橋へ向かう。車内は夕方のラッシュで混んでいたが二人は運良く池袋の乗り換えで座れた。真田の右横にマキが座っている。
「ねぇねぇ、明日…映画いかない?デートしよう?初めてのデート!」
マキが急に真田を誘ってきた。ごった返す車内で、聞きづらかったが真田にはそう聞こえた。
「もちろん、喜んで…」
真田は、そう答えた。マキは満足そうに笑顔で返す。それも日記に書いてあったのかなとも思ったが、とりあえず今は仕事も手につかないので断る理由はない。結局のその後は、明日のデートの話の内容ばかりで、日記のことを話すことはなかった。