異世界で巫女さんになりました。
眠れない夜に書いた小説を初投稿です。
その場所は床から天井まですべてが真っ白な石で作られ、銀の装飾が明かりを反射してきらめいている。最も奥まった所には同じく白い石でできている祭壇があり、何かを祀っていることが窺えた。
そんな荘厳な雰囲気すら感じられる室内に、場違いにも思える苦痛に呻く声が響く。その発生源は、柔らかな布を敷かれた床に横たわる、両の指では足りないほどの怪我人達だ。その人達を負傷度合いの高い順に祭壇に近くなるよう慎重に運んでいるのは、白を基調とするゆったりとした衣服に身を包む神官達だった。
「お辛いでしょうが、もう少し頑張ってください。必ず良くなりますからね」
「ほ、本当に……治していただけるのですか? この子をっ」
今にも呼吸や心音がとまりそうな少年を抱えた母親が、神官に縋りつき涙ぐんで訴えている。神官は母親を安心させるようににっこりと笑い、頷いた。
「もちろんです。ご安心ください」
その時、血臭が澱んでいた室内に爽やかな風が通った。その場にいる全員が光が差し込む扉の方を向くと、大きく開かれた扉から入ってくる3つの影が逆光に浮かんで見えた。真ん中の一際小さな人影が先頭になって、まっすぐ祭壇に向かう。シャラ、シャランと、澄んだ鈴の音が祭壇の間に響き渡る。いつの間にか、神官達は揃って跪拝の礼を取っていた。
小さな人影は、頭にヴェールを被った美しい少女だった。女神官とはまた違う、清らかで且つ手の込んだ衣装を身につける少女は、まだ十代の半ばにも満たないだろう幼い面立ちだが、それでも誰もが彼女に目を奪われている。その顔には、この世の総てを慈しむかのような微笑みを浮かべており、何も知らぬ者でさえ触れてはならない存在だと思う、そんな神聖さが感じられるほどだった。
「神官長。重傷者は、ここにいる者で全てですか?」
透き通った声が耳に届き、神官長はハッと自身の役目を思い出す。慌てて答えを返す。
「は、はい! 左様でございます」
「わかりました。では、始めましょう」
少女は小さな階段を上り、祭壇の前に立つ。くるりと怪我人達の方へ向いたときにまた鈴の音が聞こえ、周囲はやっとそれが彼女の装飾品から鳴っているのだと気付いた。それからの事は、一般の民達には理解が及ばなかった。
―――彼女がひとつ、深呼吸した。両手を組むと、その全身が光輝き、纏うヴェールが揺れ、一際大きく鈴の音が鳴り響く。そして次の瞬間、ふわりと両腕を広げると同時に、室内全体に光の珠が降り注いだ。
たった十秒間だけのそれは、きらきらと輝く木漏れ日のように美しく、日溜まりのように優しい温もりを持つ、幻想的な光景だった。光の珠は怪我人の傷口を包み込んだ後、一秒も経たないうちに"傷とともに"消え失せる。
「け、怪我が……!」
「痛くない……もう痛くないよ!」
「奇跡か……!?」
今にも息絶えそうだった者達も意識を取り戻し、信じられない様子で周囲を見回す者、自身の体をベタベタ触って確かめている者もいる。全員生きている。その事実に、歓喜の叫びが部屋中に響き渡った。
「ありがとうございます! 本当にありがとうございます!!」
息子を救われた母親をはじめ、自分たちの手には負えなかった神官達が少女に向かって何度も頭を下げる。少女は穏やかに微笑んで、口を開いた。
「治癒が間に合って、何よりでした。傷は治ったとはいえ、皆さんお疲れでしょう。私のことなど気にせず、ごゆっくりお休みくださいね。どうかご無理はなさらずに」
どこまでも優しい言葉で気遣ってくれる少女に、神官長が代表して礼を述べた。
「本当に、ありがとうございました。巫女姫様」
「お疲れ様です、巫女姫様」
「……別に、大したことじゃないのに。本当、シエラもグーンも心配性なんだから」
護衛騎士や神官達に「今日はもう休んでください!」と最上級の客室に押し込められた巫女姫と呼ばれる少女は、不満げに肘掛け椅子に座り込んだ。髪を覆っていたヴェールも仕事用の礼服も今はなく、簡素だが生地と仕立ての良いワンピースを身に付けている。言葉遣いも表情も一分の隙もない仕事中とは違い、大分砕けている。
「巫女姫様にとってはそうかもしれませんが、我々からすると巫女姫様の術はとんでもないものなんですよ。それを連続で行使するなんて、心配するに決まっています!」
「でも、平気なものは平気だもん。だって、私は"巫女姫"だよ?」
"巫女姫"。それはこの世界の安定を図るため、世界に、世界に満ちる精霊達に選ばれる存在。巫女姫は世界に存在するだけでいいとされるが、逆にいえば必ず存在しなければならない、ということでもある。存在しなくなれば、世界は崩壊の一途を辿る。その理由は様々に囁かれているが、現巫女姫たる少女からすれば単純な理由だった。
巫女姫の役割は、精霊との緩衝役。この一言だ。精霊は人間とは比較にならない、魔力の塊のようなものであるため、精霊同士が喧嘩したり、イタズラしたりでもしようものなら大災害に発展しかねない。巫女姫は精霊に愛されているので、存在していれば巫女姫に迷惑を掛けないよう自制してくれるし、お願いだって聞いてくれる。それによって巫女姫個人の魔力容量がずば抜けて大きくなり、人、もの、場所を問わずに魔力の調和もできるからという理由もあるのかもしれない。
まあつまり、巫女姫が規格外の魔法を連発しても精霊がふんだんに魔力提供してくれるので使用魔力は少なく済み、元々の魔力容量もバカでかいので問題ないということなのだ。
「わかっております。ですが、巫女姫様に万一のことがあれば……」
「シエラ。その辺にしておけ」
室内で唯一の男性が、言い募るシエラを制止する。普段ならばシエラよりも巫女姫の安全に厳しい男の台詞に、シエラは訝しんでその名前を呼んだ。巫女姫は味方ができたかと期待し、やや顔を輝かせている。
「グーン?」
護衛騎士のグーンは、ニカッと笑って白い歯を覗かせる。しかし続けた言葉は巫女姫に対してあるまじき発言だった。
「ミュウに何かある前に、俺が止めるから問題ない。そんでお仕置きな?」
「何それ、私悪いことなんてしないもん。お仕置きなんてされる理由ないよ」
ぷぅ、と頬を膨らませる巫女姫は年相応か、それよりも幼い普通の少女のようだ。黒い双眸にも不満を滲ませている。
グーンは守るべき主人であるはずの巫女姫に、優しく「ミュウ」と呼び掛けた。
「確かに、お前は悪いことはしないだろうな。だけど、俺たちはお前に何かあったらと思うとメチャクチャ心配するんだよ」
「それは、……ごめんなさい」
「謝らなくていい。ただなぁ、ちゃんと事前に相談はしてくれ。俺でも、シエラでもいい。陛下や殿下、魔術師殿でもいい。今回みたいに事後承諾ってのはマジでビビるぞ」
う、と巫女姫・ミュウは言葉に詰まる。暴風と魔物襲来が重なったこの地に来るにあたり、規則を破ってはいないものの強引な手段を取った自覚はあるのだ。術の行使についてはともかく、この件については叱られる覚悟をしていた。
「……はい。以後気を付けます」
「もうしない、とは言わないのな」
「グーンに、嘘は吐きたくないもん。それに、私は巫女姫としての体裁よりも人命が大切だって思ってるから。同じようなことが起きたら、また同じように駆け付けると思う」
ここに喚ばれた日から、およそ二年が経つ。必死に覚えた巫女姫としての立ち居振舞いや礼儀作法も、大分板についてきた。この世界にとって、自分がどれだけ必要な存在なのかも、理解はできる。ただ、やたらと持ち上げられたり敬われたりすることは慣れなくて、居心地が良くないのだ。
だからこそ、巫女姫ではなくミュウと呼んで、普通に話してくれるグーンにミュウはちょっぴり弱かったりする。ミュウにとってのグーンとは、気さくで頼れるいいお兄ちゃん、というところなのだ。嘘を吐くのは、気が引ける。
「でも、悪いとは思うわけだ?」
「心配かけることは、うん、そう思うよ。でも、それ以外は悪いことだとは思わない。巫女姫として、正しい力の使い方だと思うから」
きっぱりと言いきるミュウに、グーンとシエラはハアー……とため息を吐いた。僅かにミュウは体を強張らせ、呆れられたかもしれない、と不安が過る。
「ま、それがミュウらしいんだけどな」
「慈悲深き巫女姫様らしい振舞いですものね。文句が出ようはずもありませんわ」
苦笑しながら言われた言葉に、ミュウは安堵の息を吐き出して笑った。この二人が側にいてくれて良かったと、改めて感じた。
巫女姫として喚ばれたミュウ。正しい名前は美柚という彼女はこちらに来たときまだ十二才になったばかりだった。突如気を失い、目覚めたら見知らぬ場所で見知らぬ大人たちに囲まれているという状況にパニックを起こしても無理はなかった。
ここはどこ?
なんで私知らないところにいるの?
この人たちは何?
どうして私囲まれてるの?
何かされるの?
―――イヤだ、こわい、誰か助けて!
心の中でそんな風に喚いたが、実際には言葉にできずひたすら泣きじゃくるばかりだった。慰めてくれたのは精霊達で、精神に直接ぶつけるように強烈な好意を伝えられた。どうにか泣き止んだ美柚は、彼らに守られながら大人たちからの説明を聞いた。
「自分は世界と精霊に愛される巫女として、世界に喚ばれた」
「この世界にも、人間に世界を渡る術はない」
「巫女は世界の存続に不可欠な存在」
「何不自由ない生活を約束する」
美柚がすぐに理解できたのはこのくらいだった。帰りたいとどんなに訴えても首を横に振られるだけで、精霊に願っても叶えてはくれなかった。
精霊を祀る神殿の本殿に住まい始めてからも、孤独感に枕を濡らさない日はなかった。しかし、魔法を習うようになって、少しずつ美柚は変わり始めた。
「魔法は危険もありますが、面白く便利なものです。学んでいれば、他のことなんて頭から吹っ飛びますよ」
たくさんの魔法を教えてくれて、色んな話をしてくれる人がいた。
「ありがとうございます、巫女姫様」
習いたての治癒魔法で助けた患者から感謝された。
「ミュウと呼んでもいいですか?」
美柚の名前を上手く発音できないからと、呼び名を考えてくれた人がいた。
巫女姫として頑張れば頑張るほど、大勢の人が笑顔を向けてくれた。巫女様、巫女姫様と慕ってくれた。ほんの少しだけど、「巫女姫」ではなく、ミュウと呼んでくれる相手もできた。
美柚の居場所はもうないけれど、この世界には巫女姫・ミュウとしての居場所ができた。
そう気付いたとき、美柚は決めたのだ。二度と帰れないのなら、この世界での居場所を大切に守っていこう。巫女姫として恥ずかしくないよう、しっかりした、みんなに優しい人になろう、と。
美柚は、ミュウは必死に「理想の巫女姫」を実践した。みんなのため、なんて綺麗事を言うわけではない。ミュウは、せっかくできた自分の居場所を守りたかっただけだ。巫女姫としてでも何でも、ここにいても良いのだと、周囲に必要とされることで確かめたかっただけなのだ。
その結果、知り合った人間数名がミュウにアプローチを掛けてくるようになってしまった。ミュウからすれば、友人枠や師匠枠だった人達がトチ狂ったとしか思えない。
「なあ、ミュウ。二人で城下に出掛けないか? ちゃんと守るからさ」
「ふん、ミュウは私と新しい魔術の研究をする方が有意義だ」
「そろそろ神殿じゃなくて城に住まないか? もう君の部屋も用意してあるんだ」
神殿から出てすぐに現れたメンバーに、新しくミュウ付きの神官となった者が彼女を庇う形で前に出た。
「ミュウ様はこれより慰問にいらっしゃる予定ですのでお引き取りを」
「それ以前にみんな、神殿前で待ち伏せるのやめてくれない?」
実は暇なの? 王子や筆頭魔術師って。
ミュウは不思議に思いながらも、彼らの話を流して迷わず馬車に乗り込んだ。デートだの婚姻だのという単語や火花を散らしているような会話なんて、聞こえないったら聞こえない。
とりあえず、ミュウにとってはいつ別れるのかわからない恋人を作るよりも、必要とされていると実感できる慈善活動の方がよっぽど大切なのであった。
※ミュウを名前で呼ぶ人達
王子:キラキラ眩しい優男風な金髪碧眼の王子様。召喚の場に居合わせた幸運な人。一目惚れだけど、ろりこんじゃないよ!
魔術師:王子の国の筆頭魔術師。研究好きな魔術オタク。巫女姫の魔術について知りたくて教えながら側にいたら、本人の方に興味を持った。
護衛騎士:グーンのこと。明るい笑顔が眩しいお兄さん的存在。最初は美柚を妹のように思っていたが、嫉妬を覚えたことで自覚した。
神官:クールでストイックな騎士より騎士っぽい雰囲気の人。元々巫女姫に憧れていたのでお付きになれて内心大興奮。