黒葛原深弥美:第二話 スケベじゃない
運動会が徐々に近づいてきている。
俺は去年の運動会を知らないので段取りがわからない。
ちょっと特殊だから今年は様子見がいいよと先生に言われ、主に雑用を担当する事になった。
そう言う事情で、図書館で黒葛原さんと一緒に(左隣だからか)四季先生から頼まれた本を探している。
「ないなぁ」
頼まれた本は『ケンコーヨガ第八巻』だ。
絶対、運動会じゃ使わないだろ。三十歳の数学教師、ケンコーヨガ大八巻で何を企んでいるのだろう。
頼まれた以上は、絶対にこなす気持ちで俺は本を探している。しかし、見つからないし、この時間帯は忙しいようで司書待ちの人も結構いた。市の図書館を兼ねているからか、想像していたより人が多い。
本棚の反対に居るであろう黒葛原さんに聞こうと息を溜める。
すーっと、息を吸い続けて気がついた。
「おっと、そういやここは図書館だったな」
きっと、声を出したら司書様に怒られていたところだろう……かなり。
説教が名物とは良く言ったものだ。しかも、図書館のどこに居ても聞こえてくるほどの大声で怒られる……本末転倒だぜ。
さっき怒られたばかりなので恐怖はまだ身体に残っている。再び怒られるのも嫌なので棚を迂回してから黒葛原さんに会いに行くことにした。
「……これじゃない」
脚立に乗って黙々と探している黒葛原さんを簡単に見つける。
見た目も相まって図書館に潜んでそうな感じがした。
図書館の魔術師、図書館の黒の魔法使い、図書館に潜む魔物、深淵より出でしネクロノミコン……ああ、駄目だ、どれも中学生が好きそうな名前ばかりだ。
黒葛原さんの足元までやってきて上を見上げる。
「……白か。っと、見てちゃ駄目だな」
ちょうど俺から見てパンツが見える位置にのぼっていた。危ない、こういうのは俺が気をつけなくちゃいけないからな。ばっちり脳内メモリー記憶させてもらったけどな。
「なぁ、変わろうか? 危ないぜ?」
「……大丈夫」
黒葛原さんはもう一段、脚立を昇ろうとしたところで足を滑らせた。
「あぶねぇっ」
「……!」
綺麗に動けたのは相手が女の子だったからか……これが男だったら多分、いいや、絶対助けてないね。
黒葛原さんにはかなり迷惑かけてるからな。何とか、落ちる前にお姫様だっこをやり遂げる。
審査員が見ていたら満点をくれていたに……。
「……あぅ」
「大丈夫か?」
「……うん」
どうやら、満点をとったはずが、おっぱいを取ってしまったようだな。
左手で思いっきり、黒葛原さんの左胸を掴んで……初対面の頃を思い出した。
「……」
黒葛原さんは俺の左手をじっとみている。
「怪我しなくてー、ほんとーに、よかったよー……うん」
俺はそれに気付いていないふりをして、下ろす。
ごまかしが成功したのか、それとも運命と諦めたのか……黒葛原さんは一度だけため息をつくと上を指差した。
「……あった」
「お、本当だ……っと」
今度は俺が足元に注意しておらず、黒葛原さんと一緒に落ちてきていた本に蹴躓いて彼女を押し倒してしまった。
「いてて……」
「……」
俺が上、彼女が下……なんて、アホらしい。
俺と黒葛原さんの間にこういう事が起こるのはしょっちゅうだ。
なので、お互い気にしないように(彼女は何も言ってこないのでわからないが)している。
「……これ」
「え? あ、本当だ」
探していた『ケンコーヨガ第八巻』が『結構ヨガ大発汗』の隣に鎮座していた。一体何の本だ、これは。
いつものように黒葛原さんを起こし、転がっていた本も元の場所へと戻しておく。放置していたら司書さんが超怒るからな。
「じゃ、先生に渡しに行こうか」
「……うん」
二人で歩きはじめる。黒葛原さんは無口な為、俺が喋らなければ最後まで会話が無い。俺が話を振っても、あまり答えてくれないので一人で話をするのが役目になりつつあった。
それでもまぁ、彼女は俺の話をちゃんと聞いてくれている。全ての話を覚えているのかは分からないけれど、どうでもいいときに以前俺が話した話を振ってきてくれる事がある。地味に嬉しい事だ。
「運動会って楽しそうでいいよなぁ。俺、あまり参加しないで見ていられる立場みたいだけどさ」
「……」
相変わらず、相槌も何もないものの、話は聞いてくれているようだ。やはり、目立った反応はやっぱりしてくれなかった。
それでも、せっかく女子といるのだから会話を続けようと思う。
今一つ、黒葛原さんとは交友が深められていないからな、しかし、それなりに彼女の性格や、人となりがわかってきたと思うので彼女についての話もしてみよう。
「えーと……」
「……?」
駄目だ、思いつかねぇ……褒めても何でこの人はいきなりこんな事を言っているのだろう、なんて思われたくないしなぁ。
くそ、こうなったら……背に腹は代えられん!
「俺、黒葛原さんには期待しているよ!」
「……え?」
「体操着姿、あまり見ないからさ。さすがに運動会じゃ体操服着るでしょ?」
「……うん」
多少、スケベだと思っても構わん。黒葛原さんは俺の事を『あいつはスケベでどうしようもない奴だ』と言いふらしたりはしないはずだ。
ちょいと強引かもしれない方法だ。ちょっとおかしな話を振れば精神状態を乱した状態に少しはなるはず。その間に付け込むのだ!
「体操服、似合うと思うよ」
「……この前、会った」
「え?」
黒葛原さんからの思いがけない返しに俺は首をかしげる。
「……ああ、そういえば会ったね。俺が忘れ物取りに教室戻ってた時……曲がり角で押し倒したんだっけ? いやー、やっぱり体操服姿の時は布が制服に比べて少ないから胸、掴んじゃった……ときの……感覚が……えーと……会ったっけ?」
「……うん」
俺は女子相手に、しかも胸を揉んだ相手に対して感触の感想を言おうとしていたのか!
ま、まだだ……ここから挽回して見せるさ! どんな手を使ってでもな。
「ごめん、いきなり記憶喪失になった。しかも、超局地的な! 体操服姿を忘れちまった」
「……」
そして、当然向けられる疑惑の視線に俺は再び腹をくくる。
しょうがねぇ、これだけは言わないつもりだったんだが……ええい、ままよ!
「黒葛原さんの胸の感触で体操服姿なんて一切、記憶に残らなかったんだ!」
「……ふーん」
普段から涼しい表情しているけどさ、やっぱりそうなんだ……みたいな感情が付与されている……気がする。
「だ、だから、着るよね? 運動会で、体操服着るよね?」
「……うん」
この話は終わりにしよう。
続けていたら、俺の精神がもたない。
「それで、運動会では何か競技でるの?」
「……二人三脚」
「へぇ、相手は?」
「……いない」
いつもの調子で、黒葛原さんはそう言った。
これはチャンスではないか?
失墜した俺の評価を今再び、彼女の隣に居てもおかしくない隣人として、友達としての地位を確立することが出来るはずだ。
今更恥ずかしがっても仕方がない。
「じゃあさ、俺と二人三脚組もうよ!」
「……嫌」
どうやら、嫌われているようだ。もう一度言おう、どうやら、嫌われているようだ。
そりゃそうだ。どんだけおっぱい揉んでんだ! って一発殴られてもいいぐらい事故っているのだ。黒葛原さんだってそりゃ、いい加減怒るわな。
「……」
でもね、それらは全部、事故なんだよ。
だから、ここで俺が引いてしまえば、何か色々と終わってしまう。
黒葛原さんに誤解されたままじゃ、嫌だ。折角、面白い出会い方をした相手なのだし、仲良くしたかった。
「そこを何とか、お願いします」
「……」
へこへこ頭を下げてみる。
「……他にも、余っている子……いる」
「え? そうなの?」
あ、そうなんだ。じゃあ、別にいいかな。でも、この学園って確か……男同士の二人三脚もあり得るって言っていたもんなぁ……。
うーん、男二人で二人三脚か……。
「……お前と組むと凄く、あんしんするぜぇ」
「俺もだ!」
「アッー」
今、かなり嫌なビジョンが見えた気がする。疲れているのだろうか……いいや、ただの気のせいさ。
気のせいだと信じたい。
「俺は黒葛原さんがいい」
「……普通に、女子もいる」
もう、騙されないぞ。あ、そうなんだーって約束保留してたらどうせ柔道部かラグビー部のいい男が出てくるんだろ?
「それでも、だ」
「……胸が大きい子、紹介、しようか?」
え? マジで? お願いしますっ……そんな言葉を俺は飲みこんだ。
「俺は黒葛原さんのがいい」
「……」
言って少し考えた。
あれ、俺……何だかものすごくやらしい事を口走らなかったか? 黒葛原さんのほうがいいって、言ったよな。聞きようによってはもしかしたら、凄く変な言い方になったかもしれない。
しかし、黒葛原さんはいつもの調子で頷くだけだった。
「……そう」
それだけ言って歩き出した。いいのだろうか?
おいて行かれる程の歩幅ではない。それ以降は喋らずにそのまま教室まで戻る。
いまいちわからなかったものの、黒葛原さんの横に俺の名前が書かれていたからオーケーだったようだ。
「ありがとー、黒葛原さん」
「……別に、いい」
しかし、許可してくれた割には俺から胸を隠すようになった気がする。
気のせい……だよな。




