春成桜:第八話 桜の心
最近、春成桜は調子がいい。
二学期始まっての学力検査では初めての学年トップに躍り出た。両親は何かわけあり顔で絆の力はすごいなと笑っていたりする。
初めてのことだったので嬉しかった。ただ、それよりも夢川冬治が自分の次だった事の方が嬉しかったりする。必ず近くにいてくれる、そう思わせるだけの力があった。
そして、運動の成績も何故か上がっていた。お風呂上りに運動していたのが功を制したのかもしれない。
男子が近くに居ると顕著であり、冬治に見られているかもしれないと言う気持ちが彼女を頑張らせていたりする。これまでどこかで手を抜いていたのだろう。
極めつけがお弁当の存在である。
桜は自分のお弁当を詰めているので二人分作るなんて造作もなかった。初日は少し手間取ったものの、冬治の食べる量を知った後は問題が無く、食べている姿を想像するとあっという間に終わるのだ。
冬治が美味しいと言ってくれるだけで、世界だって救えそうな気がした。
「でーきたっと」
「頑張るわねー」
母親が隣でちょっと呆れていた。桜がご当地キャラのキャラ弁を作っているから呆れられるのも仕方がない。かなり手が込んでいる。
「ううん、頑張って無いよ。楽しいことを頑張るってこと、ないじゃん。私最近楽しくって仕方がないの」
充実しているとはこの事だろうか。このお弁当を見てどんな反応をしてくれるのか気になった。
「そんなに冬治君の事好きなら告白すればいいのに。」
「あっ……ありえ無いよっ。今のところはただの、友達だもん」
取り繕うように笑って見せる。母親である蓮華は更に呆れていたのだった。
「臆病ものねぇ……あれだけ一緒に勉強していたのにさ。あの子も、脈ありなんじゃないの?」
「ち、違うってば。それに、こ、告白しようにも……色々あってそれどころじゃないの」
そう、それどころではないのだ。
もし、冬治の方から告白してきても今のままでは断ってしまうだろう。それは、がっかりさせるかもしれない。もしくは、はっきり、断れず、なぁなぁで保留にするに違いない。それはお互いにとって良くない関係になる可能性があった。
それでも、笑顔で頷いて冬治の彼女になるわけにはいかないのだ。
一つ、問題があると桜は考えている。
母親が指摘した通り、自分は冬治の事が好きだ。ただ、こうして仲良くなるきっかけが『もしかしたらお漏らしをばらすかもしれない……監視しよう』という桜にとっては不純な気持ちが入り口だった。
後ろめたい気持ちがあってはいけない。桜にとって、男性と付き合うのは憧れと理想があった。それは幼いころより聞かされた両親の話だ。
父と母は中学の時に知り合って、そのまま苦楽を分かち合い、相思相愛で結婚したそうだ。一人目の男性、それが桜の目標だった。遊びで誰かと付き合うつもりは無いのである。だから、桜の父親は娘が決めた男に文句をつけるつもりはないのかもしれない。
告白する、もしくはされるならこの問題を解決するしかないと彼女は考えている。
冬治のことは間違い無く信じていなかった、監視していたと告げれば冬治はがっかりするだろう。それはまちがいない。
そして、それ以降はお弁当を受け取ってもらえず、今のような仲の良い関係が崩れる。自分だったら、そうするだろう。そんな不安がよぎってばかりだった。
運がいいことに冬治は既に林間学校の事をすっかり忘れているのであるが……。
桜にとってはとても大切な事である。
「冬治君が来たわよ」
「う、うん。今行く」
二学期に入って、正直に話そう。
その誓いも二週間以上過ぎてしまっていた。これほどまでに、この関係が心地よいものだと思っている自分が怖かった。進むことが出来なければ、容易く崩壊するのが惜しいのだ。臆病者だと鏡写しの自分が泣き笑いを浮かべている夢を見た。
それでも、今はまだ冬治と一緒にいられるだけでいい。きっかけが欲しかった。
お弁当を渡し、いつものように学園へ。冬治は困った顔をしている。
彼の不安な顔を見ると、なぜだか不安になってくる。
「えっと、どうかした?」
そしてつい、聞いてしまうようになっていた。
「ああ、いや。俺のほうじゃなくて、春成さんのほうが気になってね。今日、何だか元気ないみたいだからさ」
「そ、そうかな。わかる?」
「顔に出やすい」
心を見透かされたようで恥ずかしかったが、気づいてくれるのにうれしかった。
「もしかしてお弁当づくりが大変なんじゃない?」
それでもまぁ、外れることを口にするのにはがっかりする。
「そんな事無いよ!」
食いつく感じで冬治の顔面へと迫る。わかってほしいという気持ちがとても強く前に出てしまう。
多分に、冬治の気持ちよりも桜のほうが相手を想う気持ちは強い。いつからこうなってしまったのか、桜にはもうわからない。
「びっくりした、どうしたの?」
「ご、ごめん。何だか怒鳴り散らしたみたいで……」
冷静でいられない自分に、自己嫌悪に陥ってしまう。冬治はそんな桜の肩に手を置いた。
「いいよ、前はこうやって素直に感情を表に出さなかった。誤魔化すっていうか、流そうとしてた。本音で話してくれてるからうれしいよ」
「そ、そうかな」
「うんうん、遠慮なく何でも言ってよ」
そうやって言われるだけで落ち込んだ分、気分が上昇。自分の感情に振り回されているけれど、冬治が近くにいてくれるのならそれもまたよいと思えてしまう。
「お弁当は楽しく作ってるから安心して。今日は、ご当地キャラのキャラ弁作ってきたよっ」
元気に笑って見せる。相手にすべてを話せない自分にちくりと心が痛む。
「それは楽しみだなー」
のんびりそんな事を返してくる冬治の気持ちを踏みにじっているようで、嫌だった。それでも、今のような関係が続いてくれれば嬉しいのだ。誰かが追い立ててくれればいいのにと考える。
他力本願では問題は解決しない。それでも自分ひとりの力では前に進むことは出来ない。誰かに大丈夫だと背中を押してもらったり、追い立てられなければ動けない。
意外にも、その機会はすぐにやってくる。彼女が望んでいたきっかけだった。
「おや……」
「どうしたの?」
下駄箱で冬治が立ち止まり、何かを拾い上げている。その横から覗きこむ。
「これは一体?」
それがいったい何なのか、春成は一発で気がついた。
「それって、ラブレター?」
「こここっ、恋文だってぇ!?」
ピンクの便せんに、ハートマークのシールが付いている。春成が持っているマンガや、アニメで何度も見かけた事のある代物だ。いつか、書こうか、いや、やっぱり直接話して伝えたい、なんて考えていたりもする。
こういうとき、男子は諸手を挙げて喜ぶのではないか。おそるおそる冬治の顔を見ると苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。
想定外の顔に、驚くしかない。
「あれ? 冬治君……なんだかすごい表情だけど? うれしくないの?」
「うれしいよ」
その割に、表情に変わりはないが疲れた笑顔を浮かべた。
「……なぁーんてね、春成さん、俺がラブレターもらえると思う?」
唐突にそんな事を聞かれた。
「え、も、もらえるんじゃないの?」
現に手に持っているものはそれだろう。
「いんやぁ、それは無いね。俺にくれる女子なんていないよ。在り得ない」
断言された。一度でも書こうと思っていた自分が全否定された気分だ。
色々と聞きたい事や、言いたい事もあったものの、その時はそれっきりで終わった。
その日は桜にとって気が気でない一日だった。隣の席にいる冬治は真剣な顔をしているし、先生には何度か当てられその度に『こら、授業中は夢川じゃなくて黒板のほうをみておけよ』等とからかわれクラス中に笑われた。それでも、冬治は全く笑わずずっと考え事をしていたのがちょっと寂しかった。
昼食は屋上でとることにした。勿論、冬治も誘っている。
お弁当を食べる時もあんな表情するのかな。ちょっと不安だったものの、いつもの顔に戻っていた。
弁当箱を開けて、冬治は固まっている。
「……凄いな」
「……今日は、自信作のつもり」
あのラブレターさえなければ、声はもっと弾んでいただろう。今朝のことが気になって口の中はからからだ。
「そっくりだよ……俺、ご当地キャラ知らないけどね」
また真剣な表情になってお弁当を眺める冬治に不安になってしまった。
「あの、冬治君? どうしたの?」
せっかくの自信作より、ラブレターを気にしているのだろうか。考えないようにしてもつい頭の中を占領されてしまう。
ここじゃないのだろうか、きっかけは。どこの誰とは知らないが、ライバルのような存在が現れたわけだ。明確な関係性のない二人は仲の良い友達程度だ。少しばかり路線を外れてはいるが、彼氏と彼女ではない。やきもちをやいてもお門違いだ。
「あ、えっとさ……」
困惑気味の冬治の視線と重なる。普段なら、気恥ずかしくて目をそらすのに、今日ばかりはその視線を受け止めた。
「う、うん」
何かとても大切なことを言われるんじゃないのか。覚悟は、できていない。
「……どれから手をつければいいんだろう」
心底、桜はほっとした。
会話の流れを考えれば、あり得ることのないものなのに気にしてしまう。
そんな桜の心を知ることなく、冬治は悩ましげに人差し指をくるくる回す。
「可愛くて手をつけらないのも問題だ」
さすがにここまで能天気な姿を見ていると、自分一人が不安になるのは馬鹿らしく思えてしまう。
今はラブレターのことを忘れよう。ほんの少しだけ。
今、彼の隣にいるのは自分だと桜は自分に言い聞かせる。
「じゃ、じゃあさ、取ってあげるよ。はい、あーん」
実に自然にこの行動を取ってしまった自分がかなり恥ずかしかった。
「あ、うん。あーん」
そして、ポカンと驚く事も無く、茶化すでもなく、あっさりとそれを受け入れた冬治に桜のほうが驚いたりする。
桜の表情を見た冬治は首をかしげている。
「どうかした?」
「え、ううん。何でもないよ。おいしかったかなって」
「うん、いつも通りおいしい」
別におかしなことではないのだろうか……そう思いながらそのまま冬治に食べさせ続けたのだった。その時間は、幸せで誰にも譲りたくないものだと改めて思い知らされた。
ラブレターというイレギュラーに悶々として気付けば放課後になっている。桜は立ち上がった冬治に訊ねることにする。
「あ、あのさ、ラブレター…どうするの? 中身は見たの?」
「悪戯に一票」
そういって冬治はラブレターを指でつまんで見せる。
「放課後、校舎裏に来てくださいって書いてあった。差出人不明でね」
「でも、悪戯じゃないって可能性もあるんでしょ? それ、絶対に行ってあげたほうがいいよ」
「まぁ、春成さんの言う事も一理あるなぁ……本物かも」
実は、悪戯だったりする。
悪戯をしかけた本人達は各々が先生達に呼ばれていたり、急に部活のミーティングがはいったり、彼女に呼び出されたりしていたのだ。
彼女に呼び出された奴はラブレターを入れたところを見られて詰問中である。あれは悪戯だと説明するが、彼の彼女は全く信じてくれていなかった。
悪戯はするものではないとその彼氏は心の中で反省していたりする。あぶりだすことでこのラブレターは偽物だという手の込んだ処理をしているがおそらく冬治はきづくことはないだろう。
「じゃ、行って来るよ」
「うん……いって、らっしゃい」
どんな返事をするのだろう。いけないとは思いつつ、桜はついて行こうと心に決めるのだった。