春成桜:第七話 夏休みの終幕
夏休みは何のためにあるのか。
それは、多分休むためだ。だって、名前にも『休み』って入ってるもん。
だが、俺はどうだ? 春成さんとずっと勉強をしていた。
今更になって『夏祭りの時に告白しとけばよかった。すっごいいい雰囲気だった』なんてそれこそ後の祭りだ。何がチャンスがあったら即決だ、だ。それより俺は勉強したくないと言う気持ちで逃げようとしていたのだ。
あれから、夏祭りで息抜きをしたと思われる春成さんは凄かった。何事もそつなくこなすが、一位ではなくても構わないと思っていただろう彼女は変わった。これまではどうやらリミッターがかかっていたらしい。
俺の両親に連絡して、さらに遅い時間帯まで一緒に勉強してくれた。自分の家で夕食を摂るよりも春成一家と夕食を摂る事が多くなった。
「短い期間だが、まるで息子が出来たみたいでうれしいよ」
「ははは……」
春成父の言葉が冗談とは思えないぐらいで怖かった。
もう、涙が出そうなくらいだ。夏休みの時、いったい何があったのか思い出を思い返しても、特に何もなかった気がしてならない。
おかげで、俺の学力は夏休み終盤で完全に春成さんと同等レベルとなった。ただ、視力はどうやら悪くなってしまったようだが、些細な程度だろう。
それでもまぁ、勉強時間は増えたように見えて一緒に話すことも多くなった。以前よりもかなり距離が近づき、相手が遠慮してこなくなった気がして俺が気を付けなくてはならないこともあった。
春成さんがこちらに身を委ねてこようとする雰囲気もあった。もちろん、雰囲気だから勘違いした俺がお痛をしたらどうなるかは想像したくもない。
「春成さん、夏休み最終日は一緒に勉強できない」
「えー、さぼり?」
「違う」
「誰かとデート?」
そういってシャーペンで掌をぐりぐりしてきた。
「もちろん違う」
「よかった。じゃあ、両親と旅行とか?」
「それなら事前に言ってるよ」
まぁ、大したことはない。
「眼鏡買ってくるよ」
眼鏡がすぐ来るものではないと知っている。まぁ、店によっては出来上がるのが速かったりするらしいけどさ。
「え? 目が悪いの? 私のことちゃんと見えてる?」
そういって、どういうつもりか俺の両頬に手を置いて顔を近づけてきた。俺は当然、目をそらすが相手がそれを許さない。
「あー、こほん、うん、最近ちょっとね。やっぱりはっきり見えていたほうがいいから」
「ふーん、そっか。じゃあ、ついて行ってもいいかな」
疑問ではなく付いて行くよという確認の気がした。
「あぁ、うん。でも、選んでる時に退屈じゃない?」
眼鏡屋さんって眼鏡しか置いてないから開きそうだよなぁ。あ、コンタクトレンズも置いてあったりするっけ(実際に行ってみると補聴器もおいてあったりするが)。
どのみち、退屈しそうだ。
「私もちょうど眼鏡買おうかなって考えてたの」
春成さんもきっと勉強疲れなんだろうなぁ……そんな事を思いつつ、俺はペンを走らせる。
そして当日、春成さんの家へ迎えに行く。
「あら、冬治君」
呼び鈴を押して出てきたのは春成母だ。とても一時の母親で俺の親と変わらぬ年齢のはずなのに若く見えすぎる。
「こんにちは。春成さんはいますか?」
「私も春成よ。デートでもする?」
うん、おかあさんも見た目十分若いから俺、全然いけます。
なんていうのは心の中だけにしておいた。
「失礼しました。桜さんいますか」
「居るわよ。どうぞ、あがって」
「お邪魔します」
リビングに案内され、ソファーの定位置に座る。
「ちょっとここで待っていてね。コーヒー飲みたくなったら勝手に用意していいから。作れるわよね?」
「はい」
勝手知ったる……とはいうものの、当然ながら大人しくしていよう。
「桜―、冬治君が来たわよー」
「え、嘘っ。もう来たの? い、今行くっ」
春成さんには珍しい事に慌ただしく階段を下りてきた。スカートがめくれ上がってちょっとドキッとしてしまう。
パンツとか、もっと凄いのも見ているんだけれど、それでもやっぱりドキッとするのだ。最近は本当、生殺しな状態が続いているからな、精神力も鍛えられたよ。触れる距離にいるけれど、触ったらこの信頼や空気が壊れるのが怖かったから何もしなかった。
何より、一回には春成母がいるからな。
「お、お待たせっ」
「あ、うん」
「どうかな、変なところないかな」
いつもは遊ばせている髪をポニーテールにしていた。チェック柄のプリーツスカートにパステルブルーのシャツ、薄手のカーディガン。どれも似合っていた。
「凄く似合ってるよ」
普段はキャミソールかタンクトップだからなぁ。ドキドキするにはするけど、春成さんには悪いが見飽きた。こういったのは新鮮である。
最初はドキドキしてたけど、慣れてしまってこういう可愛い系は大歓迎だ。もちろん、慣れているのは見た目だけでなんというか中途半端に体をひっつけられるのはなれそうにない。
「じゃ、行こうか」
「そうだね」
お昼はどこかで食べることになっている。夏休み最終日と言う事で今日は遊んで過ごすことにした。
春成さんに反対されるかも……その不安は『ううん! 大賛成!』という返事で何処かに飛んでしまった。
「でも意外だったよ」
「え、何が?」
「今日は遊んで過ごすって言うの。春成さんはてっきり来ないかと思ったもん」
夏休みの最後だ。そもそも、夏休みに男女二人でずっと勉強とか何の罰ゲームだ。いい雰囲気になった事なんてな……くもないよ?
でもね、俺の勘違いだったらすっごく恥ずかしいじゃん。
「春成さんの事は優等生だって思ってた……でも、此処まで勉強好きだとは考えてなかった」
「私だって本当は遊びたかったよ。で、でも……」
「でも?」
言い淀んであうあうなっていた。実に珍しい光景だ。
しきりにこちらを見てくるのが気になった。甘酸っぱさとはまた違う、なんだろう、罪悪感の匂いがする。
「な、何か言い難いことなら言わなくても別にいいよ」
「う、うん、ありがとう。あの、また改めて言うから待ってて」
そう言われても忘れてそうだ。
その後は二学期の勉強の事とか、進路の事を話しつつメガネ屋さんへ向かうのだった。
「私はもう決めてる」
「そっか」
視力検査に向かった春成さんとは対照的に、俺はフレーム選びに没頭する。やっぱり、見た目も大切だけれど長くかけるって言うなら軽さとかも重視せねば。
あとは、ずれにくい奴を選んだ方がいいと眼鏡の友達から教えてもらった。
「決めた?」
「まだ」
春成さんは既に終わったようで俺のところへとやってきていたりする。
「これと、これで悩んでてね」
「ふーん、そっか」
「どっちが似合うと思う?」
ショッキングピンクと若干透明な灰色のフレームレスをかけてみせた。
「う、ううーん…私としてはピンクの方は無しかな」
ものすごく困った顔をしていた。
「そう? なかなかいいと思うけど」
ピンクっていいよね、刺激的でさ。
「あくまで私の意見だから」
「ん、嘘をついてるね? はっきり言っていいよ」
長くいるからか、相手が嘘をつくとわかる。あいにく、向こうもこちらが嘘をつくと簡単に見破ってくるので優位性はあまりないが。
「正直に言うと、センスないよ」
「ぐはっ」
直球で来た。心に突き刺さった。
ここは大人しく春成さんの意見を受け入れることにしよう。ショッキングピンクも、結構気に行ったんだが……駄目か。
「え、ダメ?」
「うん、単純に似合わない」
「……そ、そっか」
眼鏡は約一週間で出来るそうで、メガネ屋を後にした俺達は食事へと向かう。
「何だかさ、一緒に遊びに行くのって……初めてだから緊張するね?」
春成さんの言葉に俺は苦笑するしかない。今さらである。
「でも、夏祭りの時も二人だったけど……というか、夏休み中ずっと一緒だったよ。ご飯だって二人で食べてたし、洗濯物干すの手伝ったり、畳んだりもしてたよ」
「それはまぁ、そうだけどね」
「あとさ、一緒に近くのスーパーに言って晩御飯の買い物もしたよね?」
「まぁね」
部屋で二人っきりよりも外で二人っきりで緊張するとか初デートかよっ! と突っ込みたくなった。
「これって……さ、デートみたいじゃない?」
そう思っていたところだったので俺はちょっと驚く。
俺の表情を見て、春成さんはちょっと傷ついた表情になった。慌てて、彼女が言うよりも先に口を開く。
「違う違う、俺もそう思ったところだったから」
俺の言葉に春成さんはちょっと驚き、笑った。
「まだ、何も言ってないよ」
「ああ、そうだね。先走っちゃって」
「け、けどさ、お互いにそう思うと緊張しちゃうよね」
でも、その言い方からしたら夏祭りの時は特に緊張してなかった事になるよなぁ。
せっかく春成さんが照れているのだから何か気の利いた事を言ってやればよかったかもしれない。
俺としては夏祭りの方が気になった。
「夏祭りの時は……緊張しなかったの?」
「うん。回っているときは全然」
それはそれで悲しいもんだ。
「何でだろうね。夢川君も緊張しなかったでしょ?」
「あ、言われてみればそうかも」
初デートでは普通はこんな会話しないはず。もっと、嬉し恥ずかしみたいな物を俺は初デートとやらに期待したい。
ムードなんてなくなって普通の友人とするような会話をしていると頼んでいた品がやってきた。
「頂きます」
「いただきます」
何度か料理を口に運んで俺はぽつりと呟いた。
「……なんだろう、食べなれているからか春成さんの手料理のほうが俺は好きだな」
「ヴぇっ」
およそ、女の子が口にしないような言葉を吐いてくれた。そもそも、男だってそんな言葉発しないだろうな。
俺以上に驚いた顔になった春成さんは真っ赤になっていた。
「じょ、冗談やめてよ。茶化して遊ぼうって魂胆だねっ。お店の人にも悪いよっ」
先ほどよりも顔を真っ赤にして否定してくるけど、俺は茶化してなどいない。
「いや、嘘じゃないよ」
春成さんは勉強に付き合っているから(どっちかと言うと俺が教えてもらっているのに)と昼飯を毎回作ってくれている。料理の勉強だと言いつつ、元から上手だった。最近は俺の好きな味付けを覚えたらしく、そっちに寄せてくれることも多い。
勉強の合間に、料理の材料を買いに行くこともあった。
毎日食べて居たい味だよ。そう言おうとして気がついた。
「そっか、今日が最後だから春成さんの手料理はもう食べられないのか……」
あれだけあった夏休みはもう残っちゃいな。本当に、残念な話だ。
「え、えっとさ、そんなにおいしかったの?」
春成さんを奥さんにする人はきっと幸せもんだと言おうとして辞めた。何だか茶化しているように聞こえるし、無責任だ。
彼女を傷つけるような言葉に見えて、本当は一番自分が傷つく嘘を言いたくなかった。
だから俺は、真面目でいることにした。
「……うん、冗談抜きで毎日食べたい」
「じゃあさ、お弁当作ってあげようか?」
「それは……さすがに迷惑をかけるよ」
「い、いいから。お母さんに私から話してみる。あ、駄目だったら電話するからね」
一度やると決めたら意外と頑固な春成さんだ……これも、夏休み中に知った事である。
「わかった、お願いするよ。でも、御弁当代だってそれなりにかかるよ? 請求してよね、払うからさ」
お弁当宅配サービスをもし、春成さんが始めたら俺は買い占めにかかるかもしれない。学園の連中は一通り告白しただろうから敵が多いことになるな。
「ううん、いいの。えっとさ、さすがに学園で渡すのは恥ずかしいから……」
下駄箱に入れてくれるんだろうか。あ、でも、俺の方が先に来る事多いからそれは無理かな。それに、そんなの見られたら春成さんも嫌だろうし。
「あ、そうだ。朝、私と一緒に学園に行かない? そうすれば誰にも見つからずに渡せるよ?」
名案だと笑ってそう提案してくれた。
「……なるほど」
やっぱり春成さんは頭がいい。
こうして、俺と春成さんの関係は一学期のそれとは違うものになったのだった。たぶん、一歩進んでいるんだと思う。
また、春成さんのことが気になるあの子になっていた。