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赤井陽:第八話 トイレの個室

 夏が寒かったら誰も市民プールに行かないだろう。

「わーい」

「きゃはは~」

「……はぁ」

 見事に子供達…ばかりではない物の、とりあえず俺が『わーい飛び込んじゃうぞー』等と言ってダイブは出来まい。そもそも、ここは飛び込み禁止だ。

「今日夏祭りあるからそれまで時間潰そうって魂胆なんだろうなぁ」

 ぼけーっと目の前を歩いて行く中々よいスタイルの女性を見送る。

 赤井に勉強を教え、前回より俺は順位を落としながら……期末テストは終わった。あの子はやる気を出すと凄いタイプなのね。まさか夜の十時まで拘束されるとは思いもしなかった。

 勉強を教えると約束したので俺も勝手に帰ると言えず、向こうのお母さん達も娘が珍しくやる気を出しているのだからと許可したのだ。

 ま、やる気を出した赤井が学園二位に食い込むとは驚いたがな。増長甚だしい狼娘さんはそれから毎日、俺にその点数を見せて『どうどう? これがあたしの本気なんだよーえっへん』なんて言ってきた。

 相変わらず調子に乗りやすいタイプだ。

 まぁ、その後『これも教えてくれたおかげだよ! 二人の共同作業ってやつだもん』って言われて悪い気がしなかったけどさ。

 夏休み前の事を思い出しながら、プールサイドでぼーっとしていると肩を叩かれる。

「待った?」

「……あ? ああ、ちょっとだけな」

「お待たせ~見て!ビキニだよ?」

 恥ずかしがるタイプだとは思っていなかったが、積極的に見せるようなタイプでもあるまい……それが、俺の前で惜しげもなく水着姿を見せてくれていた。

「ばっちりでしょ?」

 緋色のビキニだ。プロポーションはともかく、似合っていた。

 元気な性格をしているから夏が一番似合う季節だ。

「見とれちゃってるね? 似合ってるって事かな?」

 無理して堂々と振舞っているのは顔を見れば一目瞭然だ。真っ赤に染まっている。

 ここはそれを指摘しないほうがいいだろう。

「ああ、似合ってるぜ」

「ど、どのくらい似合ってる?」

「どのくらいって……また困るような事を聞くなぁ」

 俺はボキャブラリーの少ない人間だ。水着姿はとりあえず似合ってると言っておけばいいぐらいしか知らない。

「うーん、凄く似合ってるぞ」

「抽象的すぎ。具体例が欲しいな」

 彼女でも何でもない女友達の水着姿を褒めろと言うのか……しかも、具体例で頼むと来た。

 これはもうこの後俺の讃辞に対して残念がられるか、えっち! って言われるパターンですね。

「早く―」

 さて、どうしたもんか。時間をかけて答えるのも遅いと怒られる。

「うーん……」

「ふふーん、白取君の貧弱な脳みそでは言い表せないって事だね?」

 勝手に勘違いしているようだ。

 貧相なのはお前の胸だと言いたくなるのをぐっとこらえる。

「……ああ、そうだな」

 ある意味、救われた。多分、素直に答えたら俺は赤井の事をまともに見ることなくプールに逃亡をはかるだろう……ダイブで。

「うんうん、あたしは満足したよ」

「そうか。じゃあ泳いでおいで」

「わーい飛び込んじゃおーっと」

 周りが見えていないタイプか? そのままダイブしそうになったのであわてて止める。

「おいおい、そりゃまずいって」

「準備体操は念入りにしたよ?」

「ここは子供が多いからな。赤井が飛び込んで怪我させても困るし、怪我をされても困るよ」

 あと、水着が取れたなんて美味しい…いや、大変な事になりかねないからな。

「あたしは大丈夫だよ?体、頑丈だし」

 制服や私服で胸を叩くんならいいけど、水着…しかも、ビキニで胸を叩いてほしくはない。

 膨らむのに失敗しました、というのも中々悪くないとそっちについ視線がいってしまうのだ。

「こほん、せっかく綺麗な足とか手をしてるんだ。怪我とかして痕が残ったら嫌だろ?」

「あたしは別に気にしないけど」

「俺は気にするよ」

 プールで血を流す怪我をすると凄いんだよ。水があるから一気に血が広がって大変な事になる……視覚的にね。

 赤井も理解してくれたのか、ちょっと照れて俺から眼を逸らした。

「そ、そっかぁ…白取君がそこまで言うならやめておこうかなー」

「ああ、辞めておいてくれ」

 周りの人のためにも。

「じゃ、泳いでくるね」

「おう。俺はここで見てるよ」

 そう言うとにやーっと口をゆがめる。

「あたしの水着姿を?」

「そうだな、水着姿だ」

「えっちー」

 そういってさってった赤井に心の中で頭を下げる。

 すまん、いましがた立派な胸を持つ方がこの市民プールに降臨なされた。

 監視員のお兄ちゃんがすかさず望遠鏡を取り出したところで俺はそちらへサムズアップをする。

「ぐっ」

 向こうも返してくれた。

 思う存分水着姿を堪能した後、俺は再び赤井を探すことにした。

「お、いたいた」

 大人しく泳ぎ始めた赤井(泳ぐのが早い)を眺めているだけでも楽しいもんだな。

「ん?」

 途中で気がついた。赤井に尻尾が生えているではないか。

「あいつ……泳ぎ始めてから興奮したのかよ。赤井! 赤井っ!」

 周りに人は多い、それでも赤井の事を見ているのは俺しかいない。

「ん?」

 気付けば赤井の頭から犬耳が出ている。やはり泳ぎ始めて興奮でもしたのだろう……こちらに気付いた赤井を一生懸命呼ぶ。

 手の届く範囲まで赤井がやってきたが、近くの人がこっちを見ているような気がした。

「どうしたの?」

「一旦潜れ」

「え、あ、うん」

 見ていた人は目が悪いのか、細めているものの……気のせいと思ってまた泳ぎ始めてくれた。

 内心ほっとするが安心するのはまだ早い。

 再び顔を挙げた赤井の腕を引いて引っ張り上げる。

「こっちに来てくれ!」

「ちょ、ちょっとっ」

 市民プールに隠れる場所なんて更衣室のトイレぐらいしかない。男子更衣室に急いで連れ込み、そのままトイレの個室へと直行する。

「あ、えと……水着姿に欲情した……のかな。だ、だったらちょっと嬉しいかも」

「冗談言ってる場合かっ」

 尻尾をぱたぱた振っている赤井の耳を引っ張る。

「い、いたたた……耳、引っ張らないでよ」

「人間ならここに耳が無いだろ? 耳と尻尾が出てるぜ」

「え? あ、本当だ」

 防水対策でもされているのか耳と尻尾はいたって乾いていた。

「全身が変わらなくてよかったな」

「う、うん。本当良かったよー犬かきしちゃうところだった」

 心配する所はそこではないと思う。

「耳と尻尾だけか。これまた中途半端だな……」

「そうだね」

 尻尾を振って笑っている赤井が可愛く見えた。恐るべき、耳と尻尾。

「どうかしたの?目が、怖いよ」

「……尻尾触らせてくれ」

 尻尾を触らせてほしいときは言ってくれと赤井に告げられているので早速頼む。

 意外な事に、嫌そうな顔をされた。

「えー」

「この前、事前に言ってくれれば触らせてやるって言ってたじゃん」

「場所が悪いよ……個室で二人っきりだし、最近白取君の尻尾触る時の手つきがやらしいし」

「やら…しい?俺は尻尾に紳士的に向き合って尻尾をもふっているだけだ」

 これだけは断言できる。

 俺はエロい手つきで尻尾を触った事は一度も無い。

 しかし、俺も紳士だ。

「……だが、赤井がやらしいというのならそうなんだろう。俺が触ろうとしているのは自分の尻尾じゃない、お前の尻尾だ。今まで悪かったな。不快にさせていたのには謝るし、今後絶対に触らないよ」

 相手は女の子である。いくら狼人間になって俺より力が強いと言えど、わきまえなくてはいけない。

 赤井の秘密をばらすと一時期脅す事も考えたのだが……ここまできたら身内も同然。ばれそうになれば何としてでもそれを防ぎたいと考えている。

 そんな相手が嫌がることは、したくない。

「そ、其処までは言ってないよ? 今は……ほら、水着じゃん。尻尾を自由にさせるって事は……あたし、そっちにお尻を向けないといけないもん」

 だって、恥ずかしいじゃん……そんな声はしりすぼみになっていく。

「そりゃそうか……すまん」

 全身狼ならいざ知らず、今は水着だ。

 そう思うとこうやって男子トイレの個室に連れてきたのは間違いだろう。

「悪い、ちょっと出てる。耳と尻尾が引っ込んだらまた言ってくれ」

「ううん、いつもありがとう。二年に入って白鳥君がいるから未だにばれてないと思うんだ」

 それから俺たちが再びプールサイドへ出る事はなかった。トイレの個室になんて連れ込んだからどうしても赤井の事を意識してしまう。

 意識するとどうしても胸や尻に目が言ってしまう。それに、赤井の方は耳と尻尾が引っ込まなかった。

 無言のまま二人で市民プールを後にして五分程度歩く。

 どうやって話を切り出したらいいか考えていたら赤井が俺の前へと出てきた

「あ、あの……白取君、今日の夏祭り、一緒にどうかな?」

「別にいいぜ」

「じゃあ後で迎えに行くね!」

 このまま一緒に遊んで直接行けばいいと思っていた俺はちょっとだけ肩すかしをくらった。

「どうかした?」

「てっきり、一緒に遊んだまま行くのかと思ったから」

 そう言うと微笑まれた。

「女の子は準備があるからね」

「そうか、それなら待ってるよ」

「うん! じゃあね!」

 元気に走って行った赤井を見送り、俺はため息をついた。

「……男の狼男は何処かに居ないかな」

 男なら遠慮することはあるまい。尻尾触り放題だし、ドキドキする事もない。

 脳内で想像してみるが、出てくるのは殺気のトイレでの出来事だけだ。

 頭を振って煩悩を脳から叩きだす。

 それでも脳内には少し恥ずかしげに俯く赤井の姿が残っているのだった。


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