赤井陽:第七話 知らなくていい事
気付けば期末テストがもう目の前。
これさえ終われば念願の夏休みだ。突入秒読み、クラスメートの中には『あれ? まだ夏休み来てないの? とっくに来てたかと思ったぜ』とのたまうアホもいた。
俺のお隣さんも夏休みが近づいてきたからか、少しおかしくなっていた。
「ぐっへっへー白取先生―期末テストが近いですなー」
「そうだな」
「準備は万端ですかな。自身の程は?」
「ある程度は」
期末テスト一週間前、『なんとかなるなるなるしすとー』と一昨日は叫んでいた。
赤井も意外と勉強していたのかもしれない。
「じゃあ、勉強教えて!」
ぱんっと手を叩かれて拝まれる。
「……そう言うのは俺より点数高い人に言ったほうがいいぞ」
「無理だよー。だって、あれ見てよ」
目の下にクマを作り、一生懸命自習しているクラスメート達を指差した。
「ああまでして勉強しても、得られるものなんて何もないよっ」
「点数とか、未来とか、達成感とかあるんじゃねーの?」
俺も真面目にちゃんとしているほうではないから何とも言えないがな。平均点以上は一応取れてはいるが……自慢にもならない。
「暗記でもしとけよ」
「どうせ脳が覚える事を拒否しちゃうもん」
「一昨日は余裕綽々って雰囲気だったぞ。一体どうしたんだ」
「うん、よくぞ聞いてくれました。うちのお母さんが『次のテストで点数低かったらお小遣い下げる!』と言ってきたのです!」
「そうか、頑張れ」
自分の尻に火がつくと人間って現金だよな。わが身が一番可愛いもんだからそうやって初めて実力を出せるのだ。
後、赤井のお母さん点数低かったらって結構厳しい条件だよな。前回に比べてや赤点を採ったら、といったちゃんとした条件じゃないから赤井母が九十点採っても『駄目、点数が低い。お小遣い下げます』といってしまえばいいのだ。
「お小遣い下げられるの嫌だからお勉強教えて!」
「何故に俺が無条件でお前さんに教えにゃならんのだ」
今は自習中だ。ゾンビみたいに頑張っている連中の妨げになるのはまずいだろう。
「甘い、甘いよ白取君」
「今度はなんだ」
比較的薄そうな胸を(着やせだと言い張る本人)叩いて俺を指差す。
「ふっふ、今、あたしの勉強を手伝ってくれたら……なーんとっ女の子にもてない白取冬治君とデートしてあげま……」
「冬治くーん、テスト終わったら二人でゲーセン行こうよー」
七色が自習時間は自由時間だとばかりに手を振っている。
「ああ? よく聞こえねぇ―。わりー、後で詳しく聞くわ。それで、赤井……何だって?」
「……うう、白取君があたしに勉強教えてくれたらあたしとデートしてください」
「文脈、おかしくないか?」
涙目になっているなんて一体、この短い間に何があったんだ。
「あ、あのさ、ちょっと携帯電話見せてくれない?」
懇願する赤井も珍しいので俺は携帯電話を手渡す。
「ほら」
いくら自習時間とはいえ、ケータイいじるなんて不真面目すぎるぜ。
「電話帳見てもいいかな?」
「ああ」
ディスプレイを覗きこみながらしきりに頷いている。
「女子、男子、家族、普通でわけてるんだ、ふ、ふーん……女の子のところはどうせ、あたしだけだよねー」
おそらく独り言だろう。返事をして騒がれても嫌なので黙っておくことにした。
「あ、終わったら返してくれよ」
「うん」
これ以上話していても埒があかないので一つでも英単語を覚える方にシフトする。
暗記物はちゃんと点数に出るからな。俺にとっては必要な得点稼ぎの材料だ。
「……春成、夏八木、秋口、晩冬先輩、百合先輩、がっちゃん先輩、美也子先輩、七色……あ、あの、白取君?」
まるでお化けでも見たかのような表情で俺の肩をゆすってきた。
「何だよ」
「あたしの、あたしのアドレスが……女の子の場所に無いんだけど」
今度は涙目になった。
「ああ、この前登録したばっかりだから普通のところに入っていると思う」
ささっと操作して確認しているようだ。
「……普通の所にもないよぉ」
「あれ? おっかしいな……」
こっちから赤井にかける事は基本的に無いからなぁ……あっても、履歴から電話かけたりしてるし。
履歴の所にはしっかりと名前表示されているのでおそらくどこかのフォルダに入りこんでいるんだろう。
「まさか、ここで……男の子として仕分けされているんじゃ」
「待て、先生が来た」
またもやケータイを操作しようとする赤井の手から奪い取ろうとして避けられる。
何とか二回目で奪取し、急いでポケットに滑らせようとしたが間に合わなかったらしい。腕を掴まれてしまった。
「こら、白取君!」
「あっ……」
三十路の数学教師、四季萌子先生が俺のケータイを引っ張り出す。
「授業中に携帯電話は操作しちゃ、ダメでしょ?」
「あ、いや、これは……赤井、さんがっ」
「赤井さんはちゃんと勉強しているわ」
かなり近い距離でそう言われる。隣を見ると教科書逆さまに読んで勉強しているアホがいた。
「……はい」
「没収だからね……めっ!」
めっ!って……先生、もう三十路ですよね。
そんな事言ったらどうなるのかわからない。男子生徒が『四季萌子ルートへようこそ!』『おいでませ萌子さんルート』『三十路攻略編』等とふざけた文字をノートに書き込んで見せてきている。
次の休み時間にこってり絞られた俺のケータイに先生のアドレスがしっかりと刻まれていた。
早速消そうとすると、携帯が何故だかフリーズしてしまう。
「あ、あれ、消えねぇ……」
「ねぇ、白鳥君。遊んでないで早く勉強教えてよーっ」
「わかったよ。ま、いいか」
世の中には知らないほうが幸せという事もある。
多分、これがそうなのだろうなぁ。




