赤井陽:第六話 すれ違いが交わる時
中間テストも終わったある日、俺は帰宅途中に違和感を覚えた。
「……誰かに尾行されてる?」
何となく、後ろを振り返る。其処には誰もいなかった。最近じゃ、ここらも電柱が地中に埋まってるから隠れる場所は無いはずだ。
先ほど曲がってきた曲がり角まで行って確認してみたものの、其処に誰かがいるわけでもなかった。
周囲を見渡しても人の気配なんてない。
「……うーん? 気のせいか」
俺がにじみ出るほどダンディーで女をイチコロリしちゃう、もしくは某国のエージェントなら尾行されるかもしれない。しかし、そんなことはない、ただの学園生だ。
気のせいだと割り切って歩いていてもやっぱり誰かの視線を感じるし、音もかすかに聞こえてくる。走りはじめてすぐさま後ろを振り返る。
「やっば!」
「…」
大きな狼がこっちに走ってきたかと思うと屋根の上に一瞬で跳躍して見えなくなった。
「……はぁ」
あんな知り合い、一人しかいない。
「赤井」
「え、えーっと、あたしは赤井じゃありませんよ?狼違いでは?」
ふざけた調子の声が降ってきたので俺はイライラするしかない。
「いいから、おりて来い」
辺りを見渡し、人がいない事を確認して、手招きをする。俺は赤井と違って慎重な性格なのだ。
「えーっと、これはその……」
「あん?」
目の前にやってきた二メートル近くの狼を睨みつける。今なら倒せそうな気がするほど、狼は縮こまっていた尻尾なんて垂れ下がって元気が無かった。
「赤井、人が通ったらどうするんだ! ばれるだろっ」
「ご、ごめん」
「ほら、さっさと人間に戻れよ」
今一度周りを確認してそう告げる。
「だ、駄目だよ! 計画……じゃなくて、色々とこれには事情が!」
「事情? もしかして戻れなくなったのか?」
赤井と話して居たら毎回囃し立てられたり、目の前の狼が挙動不審で何かを企んでいたからなぁ……相談しようにも声をかけづらかったのか?
イライラが募って冷たくしていたのも確かだけれど、一切謝らない赤井の態度も俺の気に障ったのだ。心に余裕がなかったのかもしれない。
「どうなんだよ」
「え、えーっと」
少し悩むそぶりを見せてポンと手を叩いた。
「そ、そうなの! 狼人間の状態から戻れなくなっちゃって、あは、あはは…」
「……でも、ほんの三十分前までは人間だったろ?」
右隣の席に狼が座っていたらクラス中パニックになっていたはずだ。
「……え? あ、そ、そうなんだよね。ちょっと帰り道で興奮してこうなったと思ったら落ちつこうとしても戻れなくってさ」
「深呼吸してみろ。はい、すーはーすーはー」
「すーはーすーはー……あ、戻っちゃった」
俺の頭より一個分小さくなった赤井はどうしようかと悩んでる。
「よかったじゃねぇか」
「あ、う、うんそうだね」
「赤井、嘘付いてないか?」
「ついてないよ?」
「じゃあ、俺の目を見てみろよ」
俺の目を見ようとしない。こちらからあわせようとすれば、逸らし続けている。
「……よし、じゃあ話をしてくれたらこれまでの事は水に流してやるよ」
「え? 本当?」
疑惑の視線は俺の目を射ぬいていた。やれやれ、自分が疑うのはいいのかよ。
「俺は赤井に対して嘘をつかないよ」
騙したりはするけどな。
「白取君……」
何やら感動したらしい赤井は目に涙を溜めていた。
本当に忙しい奴だ。
「……うん、そうだね。あたしが悪いんだ」
赤井はあっさりと俺の事を信じ、話し始める。
「実は……」
これまで俺の事を騙していたわけではなくただの空回りだったと言う事、今日追いかけていたのは背後から襲ってそのまま不良のたまり場に捨てるため。不良のおもちゃにされているところへ……恰好よく登場し、俺を救出させるためだったそうだ。
「……自作自演かよ」
アホだ。
「謝ろうと思ってたんだよ? でも、だんだん機嫌が悪くなっていくしどうすればいいのかわからなくなっちゃって……無視されちゃうし」
赤井の言うとおり、頭に来ていた原因を作った事にはなるのかな。
「無視して悪かったよ。でもよ、いつでも謝るタイミングはあっただろ?」
「えっと、何だか恥ずかしくってさ。やっぱり、こう、ムードというか、一番いいタイミングで謝りたかったからさ」
照れた様子で頭を掻く赤井にため息しか出ない。
「そんなの気にするなよ。ただごめんって軽く謝ればいいだけだぜ」
ぷにっと鼻先を突いてやる。
たったそれだけで狼じゃない赤井は顔を真っ赤にさせる。
「……だ、だって、恥ずかしかったんだもん。ごめんって、そんなに軽く言えないもん」
「やれやれ。ま、お前の用事は終わったんだろ? これから赤井の家まで送って行ってやるよ」
「大丈夫だよ、あたし、強いし」
「おバカ、女の子を一人で帰すほど腐っちゃいないよ。それに、家は比較的近いんだから迷惑でもない。なにより、久しぶりに話したい事もあるからな」
何度か話しかけそうになって言葉を飲み込んだりしたのだ。
俺の言葉に赤井は頬を掻いて胸を逸らすのだった。
「白取君がどーしてもあたしと帰りたいって言うのならいいかな」
ちらちらこっちを見る赤井にチョップをしてやる。
「痛っ!」
こいつ、フラグを立てた瞬間真っ先に折るタイプだな。
今回はいいだろう。大人しく俺が折れてやるさ。
「どうしても、赤井の事を家まで送り届けたい。だから、送らせてくれ」
「チョップをした後にそうやって頼み込んでくるなんて……素直じゃないなぁ」
「どっちがだ」
「痛っ、また叩いた―。もっとお馬鹿になったらどうするのっ」
「もうそれ以上はならないよ」
「じゃあ、お馬鹿になったら責任……取ってくれるよね?」
もじもじする赤井に俺は頷いた。
「ああ、きっちり小学一年生から高校三年生までの勉強内容全部頭に叩き込んでやるから安心してお馬鹿さんになることだな」
「勘弁してください」
こんな下らないことから赤井家への帰宅は始まり、他にも色々な話をする。
運動会からあまり話していなかった(殆どの方がいいかもしれない)から話のネタに苦労することはなかった。
「あ、もう……着いちゃったね」
「そうだな」
「ねぇ、家に上がって話そうよ」
誘ってくれるのは嬉しいが、家族の人にも迷惑だろう。夕飯のいい匂いが漂ってきている。
「また明日もどうせ学園で会うんだ。話す時間なんて沢山あるぜ? 別に喧嘩してるわけじゃないしな」
「そうだね」
「ああ、じゃあな」
「うん、白取君ありがとう」
赤井が家の中に入るのを確認すると俺も自宅へ帰る事にした。
一分も経たないところで電話が鳴り響いた。
母親からのお使い電話かと思ったら表示されるたのは先ほど家の中に入っていった人物だ。
「なんだ、赤井からか……もしもし?」
「白取君が寂しいと思ってさ、家に帰りつくまで話し相手になってあげるよ」
「……本当の事言わないと切るぞ」
「何の事かなー」
「じゃあな」
「うわー待ってっ。言うからさっ」
慌てた様子の声がダイレクトに伝わっている。
振り返って赤井家を眺めると二階の窓から赤井が手を振っていた。
「冬治君とまた話せる事が嬉しくってさ」
「大げさだな」
「やっぱり、喧嘩はよくないなって……喧嘩していたわけじゃないけどね。あたしが悪かったんだからすぐに謝ればよかった」
赤井にしてはやけに素直である。
「あのさ、こっち見てくれる?」
「ああ」
赤井家の方を見ると先ほどよりも窓から顔を出していた。
そして、俺に向かって口パクをしている。
「……聞こえなかった」
「言ってないもん。いつか、ちゃんと言うから覚えててね」
「忘れないうちに頼むぜ」
それからまた話に花が咲いた。
結局、俺が家についても赤井と電話をしていて彼女の母親が『いつまで彼氏と電話をしているの』という声が聞こえてきた。
「わー、彼氏じゃないってば。冬治君に聞かれたらどうするのっ」
そんな慌てたやり取りがこっちにダダ漏れで突然通話が切れると言う何とも言えない終わり方になってしまった。




