春成桜:第六話 友達との夏祭り
俺は今、自分の無計画な嘘で苦しんでいた。
「はぁ……」
そりゃあ、そうだ、以前は『いつか告白したい』と思っていた相手と四六時中顔を合わせ、勉強を続けさせられれば誰だって離れたいと嘘もつくさ。
結局、海に行く予定だった日も一緒に勉強したよ。残念そうな春成さんの顔を見ると変な罪悪感で一杯になった。
だから、俺は春成さんと夏祭りに行く約束をしたのだ。なんだろう、彼女と仲良くなりたい、あわよくば大人の階段を……ぐへへ、よりもある意味不純な動機だ。嘘の罪滅ぼし、そこまで重く考えることじゃないけど、他人の喜ぶ顔をぶち壊したのは気分が悪い。
気づけば夏祭り当日。その日も俺たち二人は一緒だった。字面だけなら最高なんだけどな。シャープペンシルとノート、参考書と熱い逢瀬を繰り返している。もう恋人と言って差し支えないシャーペンにはジュディーという名前を付けておいた。
「海は残念だけれど、夏祭りは楽しみだね。勉強した後、待ち合わせしようか」
「あ、うん」
夏祭りの日もやっぱり勉強するんですね。今の俺は明日から三年生になってもいいぐらい学力ありますよ、はい。
そして夏祭りの当日、四季統也から連絡があった。春成さんと夏祭りに行くんだっ、お前と話をしている暇なんてないと言うと実に嬉しそうに『じゃあ会って話がしたい。今後の為だ……こないと、あのことばらしちゃうぞー』などと無理やり奴と会う事になった。
約束したのは春成さんと会う一時間前だ。
「おう、どうしたよ」
「ふっふっふ…」
いやーな、笑みを浮かべながら近づいてくる不審者一人。
「もしもし?警察ですか? 羽津神社前に不審者が…」
「誰が不審者だよっ……善良な一般市民さ」
事案待ったなしだな。と言うか、最近の事案は悪ふざけで通報もあったりしてないか。
「善良ねぇ。嘘くせぇ」
「もし、そうなったらお前も一緒に豚箱行きさ」
それは自分が不審者だと認めているよな?
「……冬治、お前何か泣いてないか?」
「泣いてないよ」
ああ、久しぶりに友達と馬鹿なやり取りができただけで涙腺が緩むなんてなぁ。なんでもない日常がこんなにうれしいことなんて思ってもみなかったよ。
「久しぶりにお前さんと会えてうれしくてな」
「……いや、確かにそうだけどね。なんだか気持ちが悪い」
数年ぶりにあった親友みたいな感じだ。
「それで、話って何だ。俺は電話で言った通りこの後春成さんと約束があるんだ」
「切り替え早いな」
すぐに終わると言われたから会う事にしたのだ。春成さんが俺との夏祭りを楽しみにしていて一時間前に来たらどうするんだ! 来てないから、結果は見えてるけどさ……。
あの人、決まり事とかきっちり守りそうなイメージがあるんだよな。遅刻したりしたら文句は言わなさそうだが無言で圧をかけてきそうだ。
もし、そんな春成さんが一時間前に待ち合わせ場所にいたら俺はハートを撃ち抜かれそうになっただろうよ。蚤の心臓をなめるんじゃない。
「なぁに、すぐに終わる」
こちらに右手の内側を見せてきた。
「……お前さん、生命線短いな」
「うっさい。違う。誰も手相を見てくれとは言ってない」
「……え? 俺には見えなくてお前さんには見える何か特殊能力的なものが右手に宿っているとか?」
右手に黒い炎でも宿ってんのか? 大体の人が後悔するからそういった一人遊びはやめとけよ。今現在進行形でやっている奴は明日から真面目に生きろよ。
「違うわい。そういうのは一年前に卒業した」
「案外最近だな」
黒焔を操る一年生、四季統也はもういないのか。
「はっきり言え、何がしたいのかわからないぞ」
そう言うと堂々とした態度でこう言った。
「二千円貸してけれ」
「お前さんなぁ……なんで俺が……」
俺の態度は想像していたのか下卑た笑みを浮かべやがった。
「おれ、みたんだよ。お前が林間学校の肝試しやった日に女子部屋に侵入したのをさ」
そう言われて頬が引きつったのを自覚できた。
やヴぁい、こいつ、下手したら……春成さんがどんな状況だったのか知っているのかもしれない。
「……他は見てないのか」
これは俺が明らかに何かを隠していると相手に伝える質問だ。博打だが、確認しないわけにもいかない。あの出来事は俺しか知らないと彼女は思っているだろう。もし、ほかのだれかが口にすれば俺が話したと思われる。
そうすれば彼女に嫌われて勉強三昧の日々からも解放されるだろうが……それはなんだか嫌だった。
「何だ、もっと何かしてたのか。それはもっと強請れたって事だよなぁ……冬治にとってはラッキー、おれにとっては残念だが、それ以外は見てない」
ほっと胸をなでおろす。よかった、こいつは俺が女子の部屋に侵入して下着を盗んだ程度と思ってくれている。
まだ俺は勉強付の日々が送れるらしい。嫌な現実だが、戻れるのならそれに越したことはない。
「ま、見られたからには……仕方ねぇか」
「なんだ、認めるのか」
「まぁな。事実だから」
財布から二千円を出して手渡す。もし、ばらされたら面倒だ……春成さんの事を話さなくてはいけなくなるだろう。
さすがに、女子の部屋に侵入したなんてばれたら俺だって自分が可愛い。春成さんの事を話してしまうかもしれない。
一瞬、悲しむ彼女の顔が浮かぶ。
もちろん、そうならないよう努力はするから想像の春成さん、許してくれ。実物の春成さんより数倍かわいくなったが、しょうがないさ。
「ぐっへっへ、今後も一つ、よろしくお願いしますよ兄貴ぃ」
今後も強請る気満々だな。
くれてやるのは一度きりだ。
「今後? 渡してやってもいいが……あまり調子に乗るなよ?」
「おっと、俺にそんな口の利き方でいいと思ってるの?」
お互いにらみ合う。
「お前さんの旅行バッグの中からとあるブツが出てきたのをこっちはばっちりカメラに納めてあるんだぜ?」
知られて困ることを知っているのはお前さんだけじゃない。
俺の一言で統也の顔が真っ青になった。
「な、何の事かね」
途端に狼狽する嘘のつけない男。ダメだねぇ、そんなんじゃポーカーもできないんじゃないのか。
「さぁねぇ。自分の胸に聞いたほうがいいんじゃないの?」
「うぐ……口止め料、二千円で足りる?」
統也は俺から受け取った二千円を戻してきたが、俺は下卑た笑みを浮かべてやった。責めるときに使うだけじゃない、守るときのためにも切り札は持っておかないと。
「お前さんねぇ、そのお金は坂和さん関連で必要なんじゃないのか?」
「そ……そうだよ。格好付ける為に必要なんだよっ。だから、貸してくれぇい!」
そのまま頭を下げられる。元から貸すつもりだったので別に構わない。やたら電話で『おれと坂和さんは運命の糸で~』等と連呼していれば今日の夏祭りに行かないはずはないだろう。
うらやましい話だ。こっちは彼女でも何でもない子と勉強の毎日だ。進展する気配はぴくりともないぞ。俺の恋愛の神様は何をしているんだ。
「わかったよ。貸す条件だが……さっきの事は忘れろ。もし、思いだしたりしたら……これを提示する」
そういって俺は携帯電話をちらつかせる。この中に証拠の画像は入っている。もちろん、不慮のことを考えてパソコンにもバックアップ済みだ。
俺の態度が気に障ったのか、急に統也は気色ばんだ。
「おれは、停学や退学なんて怖くないよ。それにそっちこそ見られて困るものがあるだろ……」
虚勢を張っちゃってまぁ、かわいいものだね。
「退学ぅ? 何、勘違いしてるんだ」
「は? 違うのか」
「俺は坂和さんに告げるだけだよ」
途端にかわいそうなくらいに顔が真っ青になった。
「……そ、それだけはやめてくれ。わかった、忘れるから。今後一切、その話は出さない」
理解の早い友達をもてて、俺は嬉しいよ。
「ドラマの悪役ごっこは終わりだ。ほら、さっさと行ってやれよ。坂和さんと夏祭りデートだろ」
こいつこそ、アルファベットに呪われて、数学の公式に尻を掘られて死ねばいい。
「そんなこと言うなよぉ、まだ待ち合わせには時間あるんだ。ちょっと話そうぜ?」
その後、坂和さんについての愚痴を少し聞かされたが頬は緩みっぱなしだった。三発ほどぶってやりたい気持ちが襲ってきたもののぐっと我慢する。
「おい、そろそろ行ったほうがいいぞ。あの子のことだからお前さんのこと待っているんじゃないのか? 早めに行って、逆に待って行ってやれよ」
「そうかな。わかった。行ってくる」
「おう、今後もうまくやれよ」
この後、あいつが何をするかは俺の知ったことではない。あいつと坂和さんが仲がいいのは周知の事実だ。少し、羨ましい。
「俺なんて一緒に勉強だからなぁ……」
今では好きなだけ勉強していいと春成さんのお父さんからも許可をもらっている。変に信頼勝ち得ちゃってるよ。くそ、娘はやらんとかすげぇ圧をかけてくるのなら親父さんを理由に逃げることができたのにな。そういえば、好きな食べ物は酢豚って言ってたなぁ。って、なんで俺は春成さんの親父さんの好きな食べ物を知っているんだよ。どうでもいいじゃないか。
それから十分後約束の時間までまだ三十分はあったものの、春成さんがやってきた。浴衣なんて期待していなかったものの、見慣れていない私服だ。逆に新鮮である。春成さんの家で勉強するときとか結構肌を露出してたし、無防備と言うか何と言うか。
ほんとはね、最初はちらりと色々見えそうだったのでドキドキしっぱなしだったよ。それも三日が限界でそんな事よりさっさと宿題をなんとかしないとなーとかに移行しちゃった。ちょいちょい谷間なんかも見れたんだけどさ、凝視できない、触れない、って思っちゃうと興奮もしなくなった。哀れなこの男を誰か笑っておくれ。
俺、男として色々間違ってる。春成さんのお父さんも娘の格好を注意してやってくれと俺に言って来るようになった。どうしてこうなったんだ。
「早いね」
「私より夢川君の方が早いよ。どうしたの?」
「ちょっと野暮用」
「ふーん」
詳しく話す事もないだろう。もう春成さんも気にしていないようだし、ぶり返すのは良くない。
「まだちょっと早いけど行こうか」
「そだね」
春成さんと夏祭りなんて心躍る。ちょっと前までなら単純に思っていたはずだ。
変な事にこだわってしまう俺は、さーて、どうやって海の事を弁明しようかと考えている。黙っているのは心苦しいけれど、話して呆れられるのも嫌だった。
ベストは毎日勉強の日々から解放してもらいたいと告げることだろう。そうすれば俺のだらけた夏休みが返ってくる。それなりに日数は削られているものの、それでも勉強しなくていいのは大きい。
そうなったら俺の天下よ。ぐえっへっへ、これまでだらだら出来なかった分、毎日だらだら過ごせるのだ。もちろん、春成さんも遊びに誘うつもりだ。ずっと勉強でこもっておくのは体に良くないと思う。
「笑っちゃって、どうしたの?」
「あ、いや……楽しいって言うか、これから楽しくなるって思うとつい、ね」
「笑うのはいいけど、迷子にしないでよ?」
冗談っぽく笑う彼女を見るのは久しぶりだ。
「それは大丈夫。あ、今日は俺が全額もつよ。勉強とか宿題でかなりお世話になったし」
あと、たまに夕食もお世話になったしな。
「え、そうなの?今月危なかったから大人しく甘えるね」
これで、とりあえず海の事はチャラだね。やっぱり、言わない方向で行こうと思う。
お賽銭を投げて二人で屋台見回りながら歩きはじめる。
「こうやって歩いていると……」
「うん?」
つい、あの肝試しのことを口にしてしまいそうになった。能天気な俺だから、油断してしまうとつい言ってしまいそうになる。
「……いや、何でもない」
「なんでもないって、もう、ちゃんと最後まで言ってよ」
軽く叩かれたが、相手は俺が何を口走ろうとしたのかわかっていないらしい。その顔はわらっている。
どうごまかしたものかなと思っていたら、屋台のおっさんと目が合った。
「そこの兄ちゃん」
「はい?」
「射的やっていってよ」
渡りに船だった。誤魔化すには最適だ。
「こういうのって必ず呼ばれるよねー」
「そうかな」
「セオリーだね。頑張って!」
何がセオリーなのかは知らない。でも、春成さんはやる気満々だ。俺にやらせるみたいだけど。
頑張ってくれと言うのだから頑張るしか無かろう。
「どれか欲しいものある?」
準備をしながらリクエストを聞いてみることにした。
「んーそうだねぇ」
ターゲットを絞るように段に置かれた哀れな置物たちへと視線を流していく。
「取るのが難しい奴」
「オーケー、男は発射するのが得意だから任せておいて」
えへへと意地悪く笑っている春成さんに下品な返事をしておいた。
それからご希望通り、取るのが難しそうな奴を探す。どうせ、こういうのは取れないのだ。取れそうで取れないやつを選ぶよりも、絶対に無理な物を選ぶべきだろう。
思い出代金として払えればそれでいいさ。
「宇宙選管ヤマポとあっちの意地悪そうな熊のぬいぐるみどっちがいい」
「うーん、クマさんかな」
意地悪そうな熊は俺の腰ぐらい大きいものだった。俺としてはヤマポが欲しかったりもする。勿論、取ることが出来ればの話だ。
「過去十年、これを取れた奴はいねぇよ」
「えぇ? 十年物ですか。ばっちい」
「安心しろ、毎年世代交代しているから」
「しかし、なんで取れないんですかね」
腕利きのスナイパーが来たら取れそうなもんだが。
「だって、とらせる気、ないもん」
なに、語尾のもんって。おっさんがいうセリフじゃねぇよ。
「おじさん、そう言う事は言っちゃ駄目だと思うんだけど?」
「客寄せパンダだよ、こいつは熊だけどな」
パンダもクマだろ。
「こいつ目当てに、ついつい、カップルが釣られちまうんだよ、兄ちゃんたちみたいにな」
そういわれてお互い顔を合わせ、なぜだかそらした。
「彼氏が彼女にいいところを見せようとして、こいつに阻まれちまう。ダメだった時、俺はそのカップルに対して心の中でざまぁみろと言うのさ」
何このブラックな感じは。あと、店主の性格が悪すぎるよ。
「ま、帰り際にざまぁみろって言っちゃうんだけどな」
「ひどい……」
「そいでな、こいつは絶対に落とせねぇようになってる」
「そう言うのも言っちゃ駄目」
いいから黙って聞けとばかりにウィンクしてきた。まさか、女の子より先におっさんからウィンクされるとは思わなかったぜ。
俺は今後、ウィンクされるたびにおっさんのことを思い出すのかもしれない。それは嫌だ。
「当然、そんな豆鉄砲じゃ落とせねぇよ。その豆鉄砲で狙い続けてもいいがね……こいつには仕掛けがあるんだ」
「そうっすか。仕掛けねぇ……」
「ヒントはだなぁ……」
話を聞きながら適当に銃をいじっていると誤射してしまった。断じて、おっさんがうるさかったからではない。
「いってぇ」
「あ……」
ゆでダコみたいなおっさんのこめかみに直撃したのであった。俺、狙撃手の才能あるかも。
「……こういう場合はやっぱりおっさんがもらえるんだろうか。良かったね、春成さん。とるのが難しそうなってリクエストをクリアできたよ」
明日から春成さんの家に行くとこのおっちゃんがいるのか。そう考えるとつい吹きだしてしまう。ん、あれ、よく考えたら勉強するから俺もその場所にいるってことになるな。なんだその不思議な空間は。
ああ、現実逃避している場合じゃないってのに。
「じょ、冗談言っている場合じゃないんじゃないの? 謝らなきゃ」
それもそうである。
春成さんを連れて逃げてもよかったが、素直に頭を下げることにした。
「すみません」
「あの、ごめんなさい」
なぜだか春成さんも一緒に頭を下げてくれた。
二人で謝るとおっさんは自分の頭をなでている。特に怒っているわけでもなさそうだ。
「いや、謝罪はしなくていい」
あたまをぽりぽりと掻いて、にかっと笑う。
「よくあるんだが、こうやってちゃんと謝った客がいたのはよ」
結構頻繁にぶつけられるのだろうか。
おっさん、かなり顔が怖いもんなぁ。客が来るのだろうかって不安になるぐらいにさ。
「ま、いいや。これ持っていけ」
おっさんはそう言うと春成さんに熊を渡す。
「え」
「後頭部に……ほれ」
其処には『熊』と書かれていた。成るほど、ある意味仕掛けだ。
「俺の名前は熊田っていうんだ。俺にあてればこいつをプレゼントってわけだな」
くだらねぇ。
「うーん、普通は気付きそうだけど」
春成さんがそういっておじさんの頭をまじまじと眺めている。
「これに気付いたと思う奴は俺が目を合わせてじっと見るんだ。するとどうだ、やっこさん、俺に手を出してこないのさ」
そりゃあ、仕掛けに気付いてもこんなおっさんがじっと見てくるんじゃ狙いも付けられないだろう。
とりあえずおっさんにもう一度謝って二人でその場を後にする。
「リクエスト通りのものだよ」
俺はそう言って春成さんにクマを渡す。
「え、でも当てたのは夢川君だから」
「いいよ。春成さんがもらいなよ」
見るたびにクマを思い出す。そんなクマは要らない。それに、春成さんが欲しそうにしてるし。
「も……本当にもらっちゃっていいの?」
「うん、元からあげるつもりでいたから」
それに、その熊をみるとあのおっさんを思い出すから。
その後も二人で夏祭りを楽しんだ。綿飴や、たこ焼き、焼きそば、リンゴ飴、チョコバナナ……春成さんが俺の財布を食べているように見えた。結構、入れていたつもりだけれど残りが五百円である。
この子、案外食うのね。新たな一面を知った気がする。
「あ、夢川君今度はあそこの……」
まだいけるらしい。俺はもうギプアップだ。
「あーっと、そろそろ花火大会の時間だなぁ。いかないと人が多くて大変だよ」
「え? そう? まだ少し時間があるよ?」
「場所取りが必要だって。ほら、行くよ」
「う、うん」
さて、お財布をぎりぎりで守った……次は花火大会である。
これまた花火が綺麗で、人が多かった。鬱陶しいくらいいたけど、迷子にならないようにと春成さんと手をつなぐ事ができたのは嬉しい。
打ち上げられる花火を特等席で見ることが出来た。
「うわ、すげぇ……」
こんなに花火がきれいで、夏祭りが楽しいなんて思えたこと、あっただろうか。友達と一緒に来るのとはまた別だ。
いや、待て俺。春成さんは友達だ。俺たちの間に明確な絆はないし、今のところちょっと常軌を逸した勉強友達だ。毎日、先人が残してきた知識を日々頭に詰め込んでいた。
そんな大したことはない関係だと思っても、俺の中で特別に思い出に残るのには間違いない。大人になって花火を見たら、今日のことを思い出すだろう。
「綺麗だね」
「うん、こんなに楽しいのならちゃんと浴衣を着て来ればよかった」
「あ、そうなの?」
着るつもりはあったのか。
「ちょっと歩いて帰るのかもって思ってたから」
そういわれてちょっと残念だったりする。
彼女の視線は俺からまた花火へと移行する。彼女の横顔は、どこか懐かしむものだった。
「昔は夏祭り、楽しみにしてたんだ。浴衣を毎回着ていたし、はしゃぎまわってさ」
懐かしむことは誰にだってある。俺にもあるし、ここで花火を見ているほかの人たちだってそうだろう。初めて花火を見た日のことを覚えているだろうか? あれほど衝撃的なことはなかった。あまりの大きさに、俺の友人はびっくりして泣いたりしたことがあった。
「成長するにしたがって浴衣も着なくなって、友達と来てもそんなに楽しく思えなくなってきたんだ。いつしか、行かなくてもいいかなって思い始めちゃった」
花火を見る彼女の横顔はどこか寂しさを感じさせる。
「……そっか」
俺もつられて花火を見た。これまた一段と大きなものが打ちあがり、夜空に咲いている。
「花火って切ないよね」
「え?」
線香花火のことかと思ったが、違うようだ。彼女の視線の先には花火ではなく、俺がいた。ちょっとだけ、ドキッとした。
「どうして?」
「一瞬しか輝けない。思い出の中に残って輝くかもしれないけれど、それは美化されているものだもん。次、花火を見るときにまた楽しく思っていたころの……美化していた花火の思い出を引っ張ってくるから、これじゃないって思っちゃう。そう思うと、楽しめない。人間は過去に生きてるわけじゃないでしょ?」
彼女にとっての今は、美化された過去の花火とどちらがきれいなのだろう。
俺から目をそらし、再度彼女は花火を見る。心に焼き付けるように、今度また花火を見たときに今日をちゃんと、美化したものとして写るように。
「そうかな、俺は美化していいと思うよ」
「え?」
「楽しかった思い出だからね。必ずしも、今が楽しいって保証はいつでもないよ」
子供に戻りたいって思う大人なんて腐るほどいるだろう。俺らの年齢の中でも、あの頃に戻りたいってやつは少なからずいるだろう。
「それに、美化するぐらいだから大切なものさ。そうやってきれいな思い出を集められたら面白いと思うんだ」
「そうかな?」
そうだよとは言えなかった。俺と彼女は違う人間だから、同じものを見ているわけじゃない。綺麗なものを等しく綺麗だと感じることは出来ない。
「考え方の一つとして知っていてくれればいいよ」
それでもまぁ、そういうものなんだって知ってもらえるのは大切だ。理解してくれればそれでよくて、受け入れてもらう必要はない。
そろそろ夏祭りも終わる。俺は今後の夏休みについて春成さんと別行動を取ることにした。
「どうしたの?」
「あ、うん。ちょっとね」
夏休みの最初は、春成さんと一緒に宿題を終わらせたら一緒に遊びに行くもんだと思っていた。まさか、殆ど部屋から出ずに勉強とはね。そして、初めて遊んだのが夏祭りでは……やっぱり、辛いのだ。少しだけ期待していただけにその分失望も大きい。
俺は彼女に対して遠慮していたのだ。彼女と俺は違う道を歩いている。
「あのさ、春成さんに話があるんだ」
「話?」
「うん」
花火も終わって俺は人の少なくなったその場で春成さんに言う事にした。心なしか、彼女は覚悟を決めたような、嬉しそうな顔をしている気がした。
「えーっとさ、これまでずっと勉強してたじゃん」
「う、うん。それがどうかしたの?」
まだ春成さんは気付いていないようである。彼女はやはり、別の話をされると思っていたようだ。
「明日から、別行動したほうがいいような気がしてね」
「え……」
凄く驚いた顔をされた。こういうのに弱い俺はすぐさま取り繕うように話を続ける。だって、驚いた後に何だか泣きそうな顔をするのだ。
それはもう、反射的に涙を流したとしか言いようがない。彼女は、そんなに俺との勉強が楽しかったのだろうか。
楽しむ要素なんてなかった。彼女の隣に俺がいて、わからないところがあるなら会話はする。ごはんの時もちょっとした会話で終わりだから。
「あ、いや、ほら、俺ってば春成さんに勉強を聞いてばっかりだからさ、勉強好きな春成さんの邪魔になってるって思うんだ。そ、それにね、最近は春成さんの家ばっかりでご飯まで用意してもらってるもん。やっぱり、迷惑だよね」
こうやって俺の方が悪者、お邪魔虫っぽくしていれば大丈夫なはずだ。そうだよねー、ちょっとは迷惑かも知れないって悩んだ後に言って、それでおしまいだ。ちょっと寂しいけど、これでいいはず。
春成さんだって少しは思っているはずだ。いくら慣れたとはいえ、彼氏でも何でもない相手と一緒にいて不快にならないわけがない。
俺は今日、春成さんと一緒に花火を見られてよかった。この思い出は、美化されるのだろう。彼女と最後の思い出が作れて本当によかった。
「ごめんね、これまで居座っちゃって」
「ううん、そんな事無いよ!」
即答で来たよ。
撮らぬ狸で夏休みを想像していた俺の妄想は音を立てて崩れ去った。それと同時に、どこかほっとする自分がいる。
「一緒に勉強できて、私は……」
少し悩んだ表情を見せる。それは、誰かへの確認だろうか。
「私は、夢川君と一緒に居られて嬉しい」
そして、そういってくれた。
「そ、そう?」
「だからさ、また明日から……」
また悩んだ表情を見せる。今度は、また別の言葉を探しているようだ。
「一緒に……勉強、しよう?」
いまだに繋いでいた手をぎゅっと握りしめられる。上目遣いで、ちょっと上気しているその顔は可愛かった。ほかに、言葉が見つからなかったんだろうなぁ。
「うん……」
あ、しまった。
つい、相手の顔を見ていたら安易に返答してしまった。
どうも、俺は自分で思っているよりも流されやすいタイプのようだ。ただまぁ、その後に春成さんが満面の笑みで笑ってくれていた。
「これからもよろしく」
と言ってくれたから良しとしよう。
「またさ、来年も一緒に来ようね? もちろん、夢川君がよかったらだけど」
「……うん、よかったら今度は浴衣を着てくれると嬉しいかも」
「準備しとく! 新しい奴をね!」
来年の俺は、彼女の心の中で美化してもらえるだろうか。今年の俺と、どちらが上なのだろう。
それがちょっとだけ、楽しみだった。




