一之瀬百合:第三話 渾名は覇王でした
一月七日、俺は生徒会室に呼び出されていた。
「はい、資料の選定お願いね」
「……ラジャーっす」
晩冬先輩はもう生徒会長じゃないのに、よくやるぜ。
今日頼まれたのは書類の選定。学園の資料とその他資料が混じっているのでそれを分けてほしいとのことだった。
「えーと、こっちが昨年度文化祭費用書類、こっちの被害書類は……ん?」
作業を開始して二十分が経とうとしたところで俺は一枚の被害書類に目を落とした。
「どうしたの?」
俺の真正面で作業をしている晩冬先輩に一枚の書類を渡す。
「一之瀬百合って、百合先輩の事ですよね?」
「そうよ」
まるでそれがどうしたのと言わんばかりの普通の対応だ。
「尾行の欄に机二十四個って書いていますけど?」
「百合なら別におかしくないでしょ」
「机がこんなに壊れる状況を想像できませんが」
教室が窓側に向かって傾き、壁が開いて机が滑り落ちて行くところを想像した。
「……口を動かす暇があるのなら手を動かすっ」
俺の手が止まっている事に腹を立てた晩冬先輩が一喝してきた。
「……はい」
そしてそれから数十分後、全ての資料を分け終えてお役御免となったので俺は先ほどの被害書類の話をすることにした。
「いったいあれはなんですか?」
「あれって何?」
「机の話です」
そういうと明らかに眉がひそめられた。
「夢川」
「なんでしょう」
「そう言う事はね、本人に直接聞きなさい。他人の事を軽々しく喋っていいものでもないからね」
口調がいつものように優しくはなかった……まぁ、普段も優しくないけどさ。
「わかりました。失礼します」
教えてくれないのならやはり、ここは百合先輩に聞くべきだろう。
俺は三年の百合先輩がいるクラスへとやってきた。
「すみませーん、百合先輩はいますか?」
「おう、冬治か」
がっちゃん先輩がにこにこしながら近づいてきた。
「えーと、昨日ちょっと怪我をしたので優しめでお願いします」
扇風機で言うところの微弱でお願いします。
「怪我?」
「はい。上半身をちょっと……うわっ」
いきなりがっちゃん先輩に押し倒されて上半身をひん剥かれた。追剥ってこんな感じだろうか。
「ちょ、ちょっとがっちゃん先輩っ」
「……冬治、こりゃあ……」
教室には俺とがっちゃん先輩というわけじゃないのだ。受験戦争を戦い抜いた暇人が俺達の事を見ていて、女子の先輩は写メに撮ったりしていた。
「冬治君のやらしい画像ゲットー」
「美也子先輩っ、撮るのやめてくださいって」
「それで、そのお腹の痣は何?」
つんつんとお腹を突いてくる美也子先輩を自由にさせたまま、これは百合先輩を受け止めた時に付いた傷です……と、言おうとしてやめた。
信じてもらえそうにない。
「あの、これは……」
「がっちゃんっ」
ごまかそうとした矢先、教室の後ろ扉が開いた。
顎を天井へ向けるようにしてそちらを見ると百合先輩が立っていた。
俺の場所はパンツを確認するのにうってつけのアングルだったりする。
何気に黒い下着を着用されているのね。
「わたくしのパンを食べたのは貴女ですのっ?」
「ああ、わりぃ」
「許さないんですのっ……あら、冬治ちゃん」
「こ、こんにちは……」
上半身裸でがっちゃん先輩に押し倒されているこの状況、二人きりなら勘違いされて困っていた事だろう。
「……はて?」
あれ、なんで百合先輩に勘違いされたら困るんだろうか。
「ほら、冬治ちゃんが重たがっていますの。どいてあげるといいですの」
しっしと追い払うようにしてがっちゃん先輩を押す。
「わかったよ」
たったそれだけでてこでも動かなさそうながっちゃん先輩があっさりとどいてくれた。
「大丈夫ですの?」
「あ、はい。ありがとうございます」
俺のお腹にある痣を見て百合先輩の表情が曇った。
「……やっぱり、痣をつけてしまったんですの」
「えっと……これは別に俺が好きでやった事ですし。百合先輩が怪我しなくてよかったですよ」
「冬治ちゃんは優しいですの」
何だかしんみりとしたいい雰囲気だ。
「おうおう、いい雰囲気出しやがって」
「百合―、どういう事なのか説明してくれるかしら?」
デバガメ根性ありありのがっちゃん先輩、何やら不敵な笑みを浮かべる美也子先輩に囲まれて、俺はちょっと焦ったりする。
「あの、その前に百合先輩に聞きたい事があるんですが」
「何ですの?」
「えーっと……その、言いたくないのなら言わなくてもいいです。机二十四個を壊した事になってますけど、どうやったら机って壊れるんですかね」
俺がそういうと教室が静かになった。
それまでは色々とやっていたり、話していたのに俺達に関係ないような人達まで静かになったのだ。
誰かの行動を……それはおそらく、百合先輩だろう。百合先輩の事をみんなが見ていた。
「なぁ」
静かになった教室でも、がっちゃん先輩はいつも通り俺をハグするのだった。
「冬治……」
「は、はい」
「人には知られたくない事の一つや二つ。あるってもんだよ」
「えーと……ぎゃあああっ」
「特に、乙女の秘密ってもんは自分から積極的に探りに行くものじゃあないんだ。そうやって探りを入れると痛い目を見るぞ」
「見てますっ。今確実にその痛い目とやらを見ていますっ」
昨日の痛みが思い出され、そこにがっちゃん先輩の友達を思う優しさが(感覚的に言うなら痛みだが)しみこむぜ。
「がっちゃん、やめるんですの」
「冬治もいい後輩なんだが、付き合いは百合の方が長いからなー。ま、百合がやめろというのならやめるぜ」
「やめるとか言いながら力を入れるのはやめてくだしあああっ」
「へっへっへ、このまま今度はおれの証を刻んでやるぜ」
それは骨折という証ですね? そんな言葉も叫んでいれば言えるわけもない。
「ほら、やめるんですの」
そして、これまたいとも簡単に百合先輩が俺を助けてくれるのだった。
「大丈夫ですの?」
「は、はい。何とか……」
俺の骨の安全を確かめるとがっちゃん先輩へと向き直る。
「全く、がっちゃんはゴリラじゃないんですから加減を覚えるといいですの。冬治ちゃんが痛がってますのっ」
「何だよ、ロリっ娘の皮を被った重機……違うな。ダンプか? ダンプカーがそう言う事を言うもんじゃないぜ」
かなり剣呑な雰囲気だ。
普段は仲がいいから、喧嘩の時は凄まじいんだろうなぁ。
「はいはい、そこで終わりなさい」
そして、その雰囲気を吹き飛ばしたのは美也子先輩だ。
この二人といるからこういった雰囲気も何ともないのだろう。
他の三年生は教壇に隠れたり、机の下に隠れて震えていたりする。
「がっちゃんはほら、二人に謝る」
「……悪かったよ」
後頭部を掻きながら謝ってくれる。
「いいんですの。こっちからいったから悪いんですの」
「そして、百合は……そうね、冬治君に話してあげたの?」
「まだですの」
「そう、仲がいいのならこれから話してあげなさいよ。人の少ないところでね」
「わかってますの。さ、冬治ちゃん行きますの」
「え、あ、はい」
俺の手を掴んだ百合先輩の手は少しだけ弱々しかった。




