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一之瀬百合:第一話 気になるあの子は小っさな先輩

 三学期が始まる前に正月食べた分を減らすため、そして体を鍛えると言う名目で河川敷を走って居た。三学期前日、事件は起こった。砂煙を巻き上げながら何かが突っ込んできたのだ。

「もしかしてがっちゃん先輩か?」

 そろそろ卒業する三年生の知り合いが頭の中に浮かぶ。

 がたいがよくて、よく俺にヘッドロックをかましてくるような人だ。

「でも、あの人は足が遅いと思うんだよなぁ……」

 走ったところは見たことないけれど重武装、重装甲、鈍足の三拍子がそろった人だと俺は考えている。

 じゃあ、誰だと進行方向を見ると犬だった。

「犬?」

 シーズーだったか? 白っぽい綿毛みたいなのがこっちに突っ込んできた。

「わふぅっ」

「おっと」

 あれだけ土煙が上がって居ても、犬は犬。

 俺の胸に飛び込んできてもさしたる振動があるわけでもない。

「はっ……はっ……はっ」

 荒い呼吸で犬がこっちを見ていた。

 シーズー、うるさいから苦手なんだよなぁ……落ちつきないしさ。

 今すぐにでも噛みついてくるんじゃないのか? そう思っていたけれど、犬は俺の顔を眺めるだけで何もしない。

 凄く落ち着いた静かな瞳で俺の事を見据えていた。

 これで喋り出したら非日常の始まりなんだがね。

「待ちなさいですのーっ」

「ん?」

 犬を抱き抱えて数分後、先ほどより凄い砂煙をあげながら誰かが走ってきた。今度は知り合いのようだ。

 これも確かに非日常だな。

「あ、百合せんぱーいっ」

 百合先輩だ。ロリぃで可愛い、先輩である。

「と、冬治ちゃ……きゃあっ」

 俺の数メートル前でこけた……というより、飛んできた。

「っと……」

 犬がいたので腹部で受け止めようとする。

 見た目とかどう見ても中学生(しかも発育の遅い)なので余裕だろう。

「あ、駄目……ですの」

 ぶつかる瞬間、百合先輩がそんな事を言った。

「え……ぐはあっ」

 犬よりは衝撃あるだろうと思っていたが、想像できないような威力だ。凄い勢いで吹き飛ばされた。

 胃の中の物が全部出そうになった瞬間、今度は叩きつけられて引っ込んだ。

「ごはっ」

 背中からダイレクトに河川敷沿いの道に墜落。そのまま吹っ飛ばされる。

 後ろに壁があったら首をどうにかしていた事だろう。

「いててて……うっわ、シャツが破れてるよ……」

 背中に火傷が出来ていた。ついでに怪我もしたようだ。

 あれだけ派手に吹っ飛んで衝撃があったはずなのに犬は騒がず、俺の腕の中におさまっていたりする。

 見上げた根性だな。

「ふあーっ……」

 あくびなんかしてるし、日常茶飯事なんだろうか?

「とりあえず怪我してないかな……」

 被害状況の確認をしていると軽い足音が近づいてきた。視線を向けると百合先輩が心配そうに跪いて俺の様子を確認し始める。

「大丈夫ですの?」

「あ、はい。なんとか……」

 しかし、一体何が起こったのか理解できなかった。

 俺の背中に回って百合先輩は絶句していた。

「百合先輩? どうしました?」

「血が出てますのっ。血だらけですのっ。あ、お、お腹っ。お腹を見せてほしいんですのっ」

 まるで紙のように上半身のシャツが取れたりする……殺気の衝撃に耐えられなかったらしい。

 少しだけ恥ずかしそうに百合先輩は俺の上半身を見ていたが……腹部をみて再び絶句。

 背中がどんなことになっているのか、想像できなかった。しかし、腹は自分でも見る事が出来るので見るとそこには大きな痣が出来ていた。

「砲丸でも当たったみたいだ」

 頭の中で海賊が大砲を撃っているイメージがわき起こる。

「ごめんなさいですの」

「事故ですからいいですよ」

「それでは私の気が済みませんの。私の家が近いですから其処へ案内しますの」

「あ、ちょっと……」

 よっこらせ、そんな掛け声をあげることなく百合先輩は俺を肩に担ぎあげた。

 もう一度言おう。

 百合先輩(身長百五十ぐらい)は俺(身長約百七十、体重六十三ぐらい)を軽々担ぎあげたのだ。

「重くないですか?」

「この程度楽勝ですの」

「……すげぇっすね」

「任せますのっ」

 そしてそのまま走りだした。

 走り出してこけるのではないのか……そんな不安も吹き飛んだ。何と言うか、安定感のある走りだ。

 百合先輩に担がれて約五分。道行く人達から好奇の視線を向けられて耐え続けた。

 俺も百合先輩が男を抱えて走っていたら間違いなく、驚いて凝視するだろうよ。

 兎が猫を担いで走っているようなもんだぜ。

「ただいまですの」

「おかえりー。ダニエルの散歩は終わったの?」

 百合先輩が入ったのは喫茶店だった。犬は喫茶店前で自ら身体をひねり、俺の腕から逃れた。そしてそのまま喫茶店の裏へと走っていった。

 どうやらここが先輩の家らしいな。

 しかし、娘が見知らぬ男を抱えて連れ帰っても一切の反応なしとかどれだけ関心薄いんだよ。

「散歩は終わったですの。ダニエルがやんちゃしてまた逃げ出しましたわ」

「あのー……」

 こっちを見てないのかと思って百合先輩の母親へと視線を向ける。

「その子は?」

 眼が合ってようやく興味を持ってくれた。俺、上半身裸で背中が血だらけなんだぜ? ここまでスルーされるなんて思っていなかったよ。

「後輩ですの」

「後輩ね。でもちょっとやせてない?」

 コーヒーをカップに注いでドーナツを準備し始めた。

 うーん、お尻を向けていると言うのに反応なしとはこれいかに。

「こう見えて冬治ちゃんは私を受け止める事が出来ますのっ」

 百合先輩がそう言うと、百合母はカップを落として割ってしまった。

「え……嘘」

「本当ですのっ」

「ははぁ、なるほど、百合がこの前から話していた気になる後輩ってその子のことね?」

「ち、違いますのっ。冬治ちゃんはそういうあれじゃ……」

「あのー……百合先輩。そろそろ降ろしてもらえると嬉しいんですけど」

「あ、ごめんなさいですの」

 ようやく床におろしてもらえてほっとした。

 あれから十分ぐらい俺を担いでいたのに息が乱れないとか……一体何者なんだ?

 俺の視線に気づいた百合先輩は自己紹介をするよう促した。

「えーと、夢川冬治です。いつも百合先輩にはお世話になってます」

「わたしは一之瀬百合の母親。一之瀬利理よ。ジョニー、百合がボーイフレンドを連れてきたわ」

 ボーイフレンド……直訳すると男友達だよな。特に深い意味はないよな。

「ぼ、ボーイフレンドではありませんわっ」

 百合先輩はばりばり意識しまくってるけどさ。

 ジョニーも犬だろうかと待っていると奥の厨房の暖簾をかきわけて二メートルを超えた男性が現れた。サングラスをしているけれど、右目側に大きな傷があった。腕にも、大きな傷がある。おそらく、身体の至る所に傷があるんじゃないだろうか。

 傷のことは置いておこう。それよいり、肩幅が俺一人分ってどういう事だ。つまり、俺二人分でジョニーさんと同じくらいの幅だ。

「……」

 じっと俺を見下ろす威圧感の塊。あまり歓迎されてないな……まぁ、上半身裸の男を連れてくれば誰だってそう思うだろうけどさ。

「あ、は、初めまして。夢川冬治って言います。百合先輩にはいつもお世話になっています」

「ジョニーだ。一之瀬ジョニー」

 そういって俺の右肩に手を置いた。

「いっ」

 手を置かれただけなのに、金槌で叩かれたような痛みが走った。

「ジョニー、手加減してあげなさいな」

「娘を盗られるんだ。このぐらいの痛みは味わってもらわないと気が済まん」

「それもそうね」

「いたたたたっ」

 ジョニーさんは俺の肩に置いた手に力を入れたようだ。利理さんはにこにこしながら俺の事を見ている。

 気分はスパイ容疑で捕まり拷問を受ける何の関係もない一般市民の気持ちだぜ……。

「パパ、違いますのっ」

「百合ちゃん。違わないだろう? 百合ちゃんがこうやって自己紹介をしてくれる男の子を連れてきたのは今日が初めてだ。これまで来た屑どもはおれを見るなり逃げ出していたぞ?」

 ごつい顔して百合ちゃんなんて呼んでるのかぁ。

 まぁ、確かにこんなのが出てきたら逃げ出すだろうよ。

「パパいい加減やめますのっ」

 百合先輩がそういってジョニーさんの手を掴み捻った。

「ぐぅっ」

「ふぅ、助かった…」

 百合先輩が軽くひねっただけでジョニーさんは手を抑えた。

「こら、百合。ジョニーは料理人よ?」

「それがどうかしましたの?」

「フライパンを握れなくなったらどう責任を取るのよ」

 よほど強くひねったのか、痛そうにジョニーさんは手を摩っていた。

「冬治ちゃんにちょっかいを出すから悪いんですのっ」

「ちっ、もうちょい痛めつけてやればよかったぜ」

「……」

 今何だか恐ろしい言葉が聞こえてきたような気がするよ!

「いつまで上半身裸のままでいるんだ?」

 まるで親の敵とばかりに俺を睨んできた。

「え、あ……すみません」

 俺は連れてこられただけなんだが……。

 利理さんがレジをいじって諭吉を何人か取りだした。そして、諭吉を百合先輩へと渡す。

「これから冬治ちゃんの服を買いに行きますの」

「え、今から?」

「そうですの」

 俺、上半身裸なんだけどなぁ……。

「ほら、これもってけ」

「あ、すみません……」

 投げられたのはエプロンだった。

 上半身裸にエプロンってどういう事だよ。無いよりマシって言うより、凄くマニアックだよ。


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