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春成桜:第四話 春成の心

 春成桜はある日を境に、それまで興味も無かった男子生徒の事が気になって仕方がない。

「……夢川、冬治か」

 人差し指を顎にくっつけて考える。集合写真に写る彼の笑顔はただの笑顔だ。特別格好いいというわけじゃない。

 それでも、相手のことが気になっていた。

「はぁ……」

 気になっている、その言葉だけ聞けば響きはいいと思う。常に彼の事を考えている。現実は違う。信用できないから気になっているのだ。これが信頼とか、誠実、憧れ等と言った前向きな言葉ならよかった。

「なんで漏らしちゃったんだろ」

 夢川冬治の事が気になり始めたのは桜がお漏らしをしてしまった日に他ならない。桜は暗がりやお化けが大の苦手だ。幼少のころに暗がりでゴールデンレトリーバーに馬乗りに遭い、首をあまがみされたのだ。犬は何とか克服できたのだが、暗がりはダメになった。

 あれから、少しだけ日が経っていた。

 よく言えば気になる男子と一緒にいる時間が増えた。悪く言ってしまえば目の上のたんこぶである夢川の近くに居るようにしていた。口を滑らせたり、こちらを脅すように、ちらつかせて何か言わないか心配してのことである。

「言わないから、安心していいよ」

 冬治は確かにそう言った。等価として何か要求されると思っていた桜に何も要求してこなかった。それが彼女を疑心暗鬼に陥らせていた。

 彼女の根本として『何かをしてもらうのには対価が必要』と言うものがある為、気を利かせたつもりの冬治は『もしかしたら脅すのかもしれない』等といった反対の結果を生んでいたのだ。

 この歳になって『怖くてお漏らし』なんて事が他人に知れ渡ればよくて転校、悪くて自主退学せざるを得ない。この事がばれるなんて想像しただけでぞっとするのだ。他人が自分を見る目は掌を返すように変わってしまう事だろう。

 実際は彼女の思い込みなのだが、人の内面と言うのは本当の自分の世界だから嘘でもそうだと思ってしまう。

「夢川君、次は移動教室だよ」

「え、ああ、うん」

「一緒に行こう」

「わかった」

 頭痛の種である夢川は何も考えていないようだ。いや、そう見えるのかもしれない。他の人にどう見えるのかは不明でも、春成にはそう見えている。

 一緒に歩いて横顔を盗み見る。何か悪だくみをしていないか、直感じみたものだって春成にとっては貴重な情報だった。

 何故、対価を要求しないのか。隣を歩く本人に直接聞いてみれば問題は早急に解決する。ただ、春成自身の一刻も早く忘れたい気持ち、そしてもしかしたらもう夢川は忘れているのではないか、それなら無理にほじくらなくてもいいはずだ等と言った実に淡い期待がある。そのため、変に確認するような言葉は口にできず、なかなか一歩を踏み出すことができない。

「ん?」

「あ、何でもない」

「うん?」

 横顔を見た結果として…特に何も考えていないように見える。

 昼休みになっても春成は夢川と一緒に昼食をとることにしている。これまでは主にクラスメートの女子と一緒に食べていた。

 最近一緒に食べなくなったね。誰かがそう言うこともない。

 春成は気付いていないが『どうやら林間学校であの二人はそういう事になったようだ』と認識されていたりする。

 冬治側は少しばかり疑り深い女子として認識しだし、彼女は彼の事を『理解できない男子』と思っている為、どちらかというと距離が離れたと言っていいだろう。

「春成さんさぁ」

「何かな」

 毎回、呼ばれる度に心臓がどきんとはね上がる。

「最近やたらと思いつめているみたいだけど……何か心配ごとでもあるの?」

 能天気にそう言われて、春成は久しぶりにかっとなった。ここまでの感情は中学時代、父親が大切にしていた本を捨てた時以来だ。

 危うく『誰のせいだ!』と怒鳴りつけそうになるものの、太くてたくましい理性が押さえつけてくれる。

「…う、うん、ちょっとね」

 ここで怒ったら逆切れもいい所だ。

 春成は自分が悪いのだと申し訳ない気持ちになってさっきまでの感情はすっかり萎えてしまった。

 そんな春成の事を知る由もない夢川は苦笑している。ああ、俺って信頼されてないんだなぁ、告白もせずに終わってしまったようだという表情も今の春成には読み取ることが出来ない。

「そっか……ま、話せない事もあるだろうしもっと親しい人に早く打ち解けたほうがいいよ」

「……うん」

 出来ればとっくにやっている。先ほどの怒りがまたわいてきた。

 心の中で壁を一発、叩いておいた。相手の心に響いてくれるのならいいが、それはかなわぬ願いのようだ。

「それよりさ、最近暑くなったよねー」

「そうだね。夏服でも熱いし」

「冷房が無いと私暑さで死んじゃいそう」

 とりあえず落ちつかせるためにいつもの会話をすることにした。当然、相手の言葉の中に真意が隠れているのではないか……そんな気持ちも忘れない。実に難儀で疑り深い性格だった。

「たまにスカートが羨ましくなるよ。俺もあおって冷気を入れたい」

「はは、確かにそうかも」

 相手を見るに、ただ会話を楽しんでいるように思えた。桜は改めて考えてみると目の前の人物のことを表面上しか知らないことに気づく。

 一見するとマイペースそうな性格をしている男子生徒だ。顔は良く言えば普通、悪く言えば特徴のなさそうな男子生徒である。成績も突出して素晴らしいわけでもなく、運動神経も群を抜いているわけでもない。また、カリスマ性についてだが女子にもてるという話も聞いたことがなく、だからといって男子生徒と特別仲がよいという噂もない。

「でも、男子ってスカートを煽っていると嬉しいんじゃないの? パンツがみられてさ」

 男がえっちだということは当然、知っていた。これまで告白してきた中でそっち方面の告白をしてきた変態がいたこともあった。

 あくまでそれは確認のため聞いたつもりだった。そんな桜に冬治は首を振った。

「いやいや、幻滅だよ。もちろん、見られれば何でもいいって言う人もいるのかもしれないけどさ。俺は下着で興奮したりはしなかったなぁ」

 首をすくめる冬治にそういうものなのかと情報を更新させる桜。パンツを見せてお漏らしの事を黙ってくれるのなら安い気がした。ちなみに冬治のほうは先日のことを思い出させてしまったかもしれない、失言だったかとほんの少しだけ肝を冷やしたりするが杞憂だ。

 おもらし事件の話に派生しないか不安そうに桜は相手を見る。彼はほんの少し困った笑みを浮かべているだけだった。

「変な方に話が行きそうだから話題変えるけど……春成さんは夏休みどうするの?」

「夏休み? まだ先じゃないかな」

「え? あと二週間で夏休みだよ」

 そう言えばそうだった。

 春成はカレンダーを見て少し焦る。今の状態がいつまで続くかわからないが、相手の予定を知っておくことに越したことはない。

「わ、私はまだ計画立てていないけれど……夢川君は?」

「俺は普通に友達と遊ぶかなぁ……特に決めてはいないね」

 冬治の知り合いについて詳しい事は知らない。もとより興味のない相手のことを詳しく知っている人なんてまずいない。

 彼の友人である四季統也と言う男子生徒はうわさ好きである事は知っていた。この前の林間学校についてちょっと居なくなった二人の事にあれこれ突っ込んで聞いていたぐらいだ。

 冬治と話を終えて、ニヤニヤしていたところを見ると何か掴んでいるのかもしれない…彼に対しての噂は聞いた事が無い。しかし、四季統也はあまりいい噂を聞く相手ではなかった。一部では不良だということも聞いたことがある。素行なんかは特に悪いところが見受けられないが、噂がある以上は怪しいものだ。

 疑心暗鬼状態となっている桜にとって、すべてが敵に見えてくる。善意の塊の相手であっても、中心に何かよからぬことを考えているんじゃないかと思ってしまうのだ。

「し、四季君とも遊ぶ?」

「統也? ああ、多分」

 これは危ない。春成は内心焦った。

 しかし、自分が一緒に居れば何か問題が起こる前に対処できるはずだ。悪だくみをしているのかもしれない。二学期が始まって、全校生徒に知られているのではないか……連日そのばかり考えているので少し疲れてきているのは確かだ。あり得ないだろうとも彼女は考えるが、一度出てきた不安は簡単に消えてくれなかった。

「な、夏休みさ……私と一緒に勉強しない?」

「え、いや、それはさすがに…」

 露骨に嫌そうな顔を浮かべる冬治に桜はやっぱりばらすつもりだったのかと不安になった。

「何で? 何か不都合なことでもあるの?」

 顔を近づけると困ったような顔で冬治は言った。その言葉を聞いていた周りの生徒たちはぐいぐいきてるねぇ、林間学校でいいことがあったのかと勘繰ったりしている。

 もちろん、そんな周りの視線は桜に届くことはない。

「……夏休みも勉強ってさ、どうかなぁ」

 ただの杞憂だったようで、遊びたいらしい。それなら、相手の不満を解消させれば一緒にいることができる。

 大丈夫、自分の道はまだ修正できるんだと桜は言い聞かせ、少しだけ精神的に軽くなった。彼女の本心を冬治が知ったら苦笑するほかないだろう。

「た、たまには息抜きで遊びに行くから!」

 相手の喉元に食いつかんばかりの勢いである。

「う、うん」

 急接近に冬治は小刻みに首を縦に動かした。冬治にとって悲しいことに、気になる相手からランクが下がり、ただのお隣さんへと変わっていたりする。

「よし」

 何かを守るために、何かを失う……彼女の好きな対価は今まさにクラスで誤解を生んでいたのであった。


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