夏八木千波:第九話 愛読書
部屋で本(Iもうと倶楽部)を読んでいると、千波が勢いよく扉を開けてやってきた。
「お邪魔します、兄さん」
「うおぁっ」
可愛らしい彼女が入ってきたのでやめる。そもそも、見られるとまずい類の本だ。
素早く机の下へと隠し、冷静を装って立ち上がる。
若干、内また気味に。
「兄さん、またIもうと倶楽部ですか」
呆れた様子でこっちを見てくる。
「え、ばれてるっ」
「他の妹に浮気、しないで下さいね。あなたの妹は一人だけですから」
理解のある彼女も何だか困る。
これまでは遠慮なくエロ本なんて捨ててきていたのに、それが一切なくなった。こっちが焦ってもまたエロ本ですか? というだけになったのだ。
そういう時、ものすごい自信が千波からあふれ出ているのだ。余裕のある人間は態度まで違ってきているようで、最近、千波ちゃんがなんだか大人っぽくなりましたねと彼女の友達から言われることがある。
「浮気しないから安心しろよ……元は妹系なんて興味が全くなか……ち、違うぞ。千波には大きな関心があるんだ」
「……へぇ?」
闇化、もしくは、病み化しそうだったので慌てて言い添える。
「千波のせいでそっちに目覚めたんだよ」
言いきってものすごく変な事を言ってしまったと思った。
千波も困った顔をしている
「……それは喜んでいい事ですか」
うーん、どうだろうか。
彼氏がお前のおかげで妹が素晴らしいもんだとわかったとか言ったら一発殴りたくなるだろう。
「微妙なところ……いや、是非喜んでもらいたい。千波に『兄さん』と呼ばれる度、絶頂に、天国に向かいそうなくらいだ」
「それですよ、兄さん」
「はい?」
「今日はその為に来たんです」
絶頂に向かわせるために来た……のか?
「おい、真昼間から何をするつもりだ!」
嬉しいけども!
「え……呼び名について相談しに来たつもりですけど。朝にした方がいい話題ってわけでもないでしょう」
「……そうだな」
何を考えているんだ、俺は。まだ真昼間だと言うのに……。
まぁ、俺みたいな彼氏のことは手に取るように分かるらしい。
千波は困った顔をしている。
「真昼間からえっちな事を考えていても兄さんは、兄さんです。そんな兄さんも大好きですけど」
「またばれてる…」
「心が繋がってますから」
「一方的だわょ…俺から千波にはたまにつながって無い時がある」
千波のPCファイルに『兄さん』なんてあるから開けようとしたらパスがかかってた。ちなみに開けていいかと聞いてみたらパスワードがわかるのならいいですよと挑戦的に言われた。手当たり次第に打ちこんでみたけど、駄目だった。
そして、俺に挑戦させてあげたのだから俺のPCのファイルも何か開けさせてくれと言われ、やらせてもらった手前、挑戦させてあげた。絶対にわからないと思っていたのに、一発で開けられてしまった。
「女の子には秘密が多いんですよ。教えるわけにはいかないんです」
悪戯っぽくぺろりと舌を出す千波が可愛すぎた。
そろそろ死んじゃいそうだ。
千波が妹でよかった……いや、彼女だ。幼馴染で、妹で、彼女でよかった。
「話がそれましたけど……」
「呼び名だったか?」
「はい」
「呼び捨てじゃ嫌か?」
それ以外だとちゃん付けしかないんだよな。さんはあり得ないしなぁ。
「いえ、千波のほうが問題だと思っているんです。いまだに『兄さん』って呼んでますよね?」
これがまた、厄介だ。兄さんと言いながらいちゃいちゃしているもんだから禁断の恋をしていると勘違いされる時がある。
「そうだな」
まぁ、いちゃいちゃ以外なら別におかしなところは無いはずだ。何せ、十数年愛用されている『兄さん』だからな。そんじゃそこらのえせ妹どもが『お兄ちゃん』とか言ってもピクリとも心は動かない。千波がいるから言ってもらえる真心のこもった(たまに魔心が入った)素晴らしい呼び名だ。
「たまには変えてみようと思うんです」
「へぇ、どんな?」
俺から目をそらす。なんだろう、何て呼ぶつもりなんだろう。
「と、冬治さんって……下の名前で」
「お、おぉ…」
ほっぺを染めて、名前を呼んでくれた。下の名前……そもそも、苗字も呼ばれないからなぁ、新鮮でいいよ、これ。
「何だかこうやって新鮮な方法を取るのって倦怠期に入った夫婦みたいだな」
「倦怠期……」
これがまずかったようだ。
ネガティブな(もちろん、千波にとって)発言をするとすぐにがっくりしてしまうのだった。つきあう前は、こんな姿を見せてもくれなかった。
「……兄さんは千波の事、飽きました?身も心も攻略して……飽きました?」
どよーんとした空気を纏っていた。
「飽きてないって。何だよ、身も心も攻略って」
「だって……」
いじけるとまるで子供みたいだ。普段は背を伸ばしたい盛りの性格だし、貴重なところを見せてくれるのはそれだけ俺のことを信用してくれているって事だ。だから、その信頼を裏切っちゃいけない。
「千波、お前さんにとって俺はまだ兄さんか」
「私にとってずっと兄じゃなくて片思いの相手でした」
「そうか。だったら、今日から俺の事は『大好きなお兄ちゃん』って呼んでくれ」
「大好きなお兄ちゃん……」
躊躇なく言ってくれるところがまた可愛い。
「千波ぃ、そういうところが可愛いぞっ」
すぐさま抱きしめた。
「ほーらほらほら」
「や、止めてくださいよっ」
それから三十分間ひたすら千波の頬をぷにぷにしてやった。
「……もう、触んないで下さい」
「復活したようだな」
「はい、もう大丈夫です」
それでもまだ、千波は何処か暗かった。
「どうしたよ」
「あの、兄さんは面倒ではないのですか?」
「何がだ?」
「千波の事です。他の子に目移りしないんですか? 千波、思っていたよりネガティブでしょう? 病んだりもしますよ? 重たいですよね。浮気したら、兄さんの事、思いっきり刺すと思いますっ」
泣きながら言う。すごい、説得力だ。
ちょっと悪戯でもしてやろうかな。
「そうだな、目移りする時もある」
「……兄さん。そうですか、目移りするんですね……ははっ」
「待った、その暗い笑みはやめろぉ。鞄から鋭利な何かを出すなっ。もう準備してるのかよ、おまえさん。だから、まだ続きがある……目移りしても、ほんの一瞬だけだ俺には千波しか考えられないよ。十数年も片思いの幼馴染なんて望んだって手に入らない……かけがえのない、相手だ」
若干くさいかな……。
「あの、ありがとうございます」
「そうそう、そういう危ないものはしっかりと鞄の中に入れとけ」
そもそも持ち歩くな、銃刀法違反だぞ。思いっきり刺されたら貫通しねぇかな、その長さ。
「礼は要らないキスしてくれ」
「はい!晩御飯までずっとします!」
そういって俺はベッドに押し倒されたのであった。
「好きねぇ、あんたたち」
そして、母さんがお約束のように俺たちを見ているのであった。




