秋山実乃里:第二話 罠に嵌める
五月の頭、その頃にもなれば俺の存在なんて転校生からたんなる生徒に格下げである。友達として付き合う相手、付き合わない相手といった線引きがしっかりと出来上がってきていた。
ただ、奇妙な事に、『普通の人としての関係』から一人だけ外れた人間がいた。
初日に出会って携帯電話の番号やアドレスを交換した相手なのに結局連絡する事は無かった、そのような人もやはりいる。
実際、学園に毎日通って顔を合わせているのだからそういった関わり合いの少ない人間とは学園の外で顔を会わせずに話をすると言ったこともない。
『今日の八時学園前で待ち合わせ』
しかし、彼女とは違った。簡単なメール文で何度か呼び出され、奇行に付き合わされている。
学園で話をするかと言えば、そうではない人間なのだ。
その人物の名前は秋山実乃里と言って、俺の席の隣の人物である。話しかけようとすると察知されるようで逃げられるのだ。
「おはようさん」
「おはよう」
お昼の学園ではたったそれだけのやり取りだ。話す事も特になく、秋山実乃里と一緒に居る時間は殆どない。
彼女の奇行に付き合わされるのは夜だ。
『今日の八時半学園前で待ち合わせ』
五月に入ってもなお、週に一度の奇行は続いていた。
「学園の夜を感じてみたい」
最初に彼女の口から聞かされた時は首をかしげるしかなかった。やらしい感情が一瞬だけ首をもたげたものの、疑問のほうが早く浮かぶ。やらしい感情は理性が列整理を行っているのでちゃんと順番を守っているから安心してほしい。
「学園の夜を感じてみたいだって? そりゃまた何でだ」
一般人なら当然の感覚。
何となく、彼女の気持ちが理解できるような気もする、でも、だ。再び学園へ向かう労力、見つかった時の対応、捕まった後の罰を考えるとそれより得をするような何かを感じられなければその行為に意味など持たないだろう。
さすがに、中学生とかの無謀さを持ち合わせているわけでもない。
学校中の窓をたたき破るほどのやる気も持ち合わせてはいないのだ。
「肝試しかな」
その答えを聞いてどう返していいのかわからなかった。秋山実乃里の整った顔には愛想笑いが張り付いているのが目に見えてわかる。そして、本人も隠すつもりが無いのだ。
「お前さんにつきあうつもりはないよ」
そういって、そっぽを向いて消えてしまわなかったのは何故だろう。結局、今日もこうして学園内に侵入したのは中学生の頃の無謀さが残っていたからなのかもしれない。
「で、今日はどこに行くんだい」
日によって秋山実乃里が向かう場所は違う。
「今日は演劇部の部室」
「え、マジかよ」
ついそう言ってしまったのも仕方が無い。何せ、演劇部の部室と言えば部室棟の地下一階全部を使った場所なのだ。演劇に力を入れたかったからとか実は宴会場だったとかそう言った噂があるようで、お化けが出ると言う共通の噂があった。
衣裳部屋なんて旧校舎をふた部屋使用しているからな。きぐるみから、際どいナース服まで……本当、何がしたいのかよくわからないね。
「演劇部は地下一階だろ。そんなところに夜、行くのかよ」
「怖いの?」
挑発するような秋山実乃里の表情に俺は頷くしかない。その問いかけに主語は無い。
「怖いさ……ほんの少しだけ。ほんのちょっとだ、つま先、いいや、先っちょぐらいの怖さしかない」
簡単に頷いてついつい見栄を張ってしまう。
「勿論、怖いのは見つかることが怖いんだ」
「てっきり、幽霊の類が怖いのかと思った。初日のあの表情、面白かったよ」
長髪の後は馬鹿にするような目を向けてくる。よかったな、秋山よ。俺が最近の若者だったら今頃泣いてママの胸で涙を流しているところだったぞ。
「お化けなんてよ、居るわけないだろ」
「じゃあ、私が死んだら冬治に付き纏ってあげるね」
「それだけは勘弁して。一番相手にしたくない」
そうなったら俺の人生お先真っ暗である。静かに見守ってあげているならまだしも、秋山がお化けだなんて想像もしたくない。
「ま、お化けはともかく、見つかったり捕まったりしたら本格的にまずいだろ」
事実、お化けが出るよりも警備員とか教師とかそっちに出会う確率の方が高いはずだ。
行くのはやめよう、なんて言葉が出るよりも先に部室棟へとついていた。校舎の窓から見える距離だし、警備員が来る距離でもない……かな。
まだ職員室に電気がついているので侵入するなら早くしなくてはいけない。誰かがまだ後者に残っているのなら色々といいわけの使用があるからな。
「これでよし」
今回も、秋山実乃里は鍵で部室棟への鍵を開けていた。
「何でそんなものがあるんだ」
金物のこすりあう音と共に秋山が振り返る。
「スペア。卒業生に物好きが居て作ったんだってさ。たった一人に受け継がれる羽津学園の伝統だよ」
「何だってそいつは秋山に鍵束を渡したんだろうか」
「一番有効的に使えるからじゃないかな」
「一体何使うつもりで作ったんだ、最初の馬鹿は」
俺の言葉に秋山は首をすくめる。
「保健室でやりたい事があったんだってさ」
「……やりたいことねぇ」
無言になった俺の頬を秋山が突き始める。
「あれ? どうしたの?」
「返答に困るようなことは言わないでくれよ」
「ま、それはいいとして……このスペアも殆どが使えなくなっているんだけどね」
秋山実乃里はそういって鍵を右手で遊ばせ、音を鳴らす。
「さ、行こう」
「そうだな」
二人で部室棟へと入って階段を下りる。其処にも鍵がかかっているので乾いた音を出しながら扉を開けた。
「何だってこんな事をするのか教えてもらえないかい?」
「小説のネタのため」
「小説?」
「そう、小説……うん、開いた」
秋山実乃里に続いて中に入り込む。其処には体育館の半分ほどの広さがあった。
広いし、異質だ。何か人影の様な物が見えている気がするし、そいつらは一斉にこっちを見ている気がする。
秋山には見えていないようなので、うん、これは俺の恐怖に対しての幻覚に違いないね。今後は居ない者として扱うとしよう。
「小説を書く為にわざわざ侵入しているのか」
「そうだね、うん、そう」
話をしながら、何かを探すようにして秋山実乃里は乱雑に道具が積まれている場所へと向かう。俺が特に何かしたいわけでもない為、その背中を追った
「他に理由をあげるのなら、特別な存在が欲しかったからかなぁ」
「特別な存在? 小説とは関係ないだろ……これまでも誰かと一緒にこんな事をしていたのか」
「ううん、これまで一人だったよ」
首をかしげるしかない。俺って、彼女にとって特別な存在なのだろうか。
まだ出会って間もない。しかし、彼女に呼ばれたのは俺が転校してきた週の土曜日だ。初日の挨拶ぐらいで、その後はろくに話した事も無かったりする。
「秘密を共有する友達……だね」
「それが俺?」
よくわからんが、俺って其処まで信用されるような人間なんだろうか。
身体からにじみ出る、信頼のエキス……自分で言っていて気持ちが悪いな。
この人は信頼できるって人間を目指していたから、秋山からの言葉は意外と嬉しかった。
「うん、だけどね、信じてはいないんだ」
どこへ行った、俺のにじみ出る信頼エキス……。
面と向かってこんな事を言われても当然、嬉しくはなかった。
「矛盾してないか」
「信頼関係ってすぐに壊れるでしょ? なんだろう、お互いの弱みを握りあって、それでけん制し合うような関係が一番だと思う。お互い、腹の内を探り合うような……そんな、心安らぐ関係が欲しいの」
どう考えても心安らぐような関係ではないだろう。
「弱みを握りあって、腹の内を探り合ってもいい事なんて一つもないだろ」
疑問をぶつけると首を竦められる。
「いいや、抜け駆けしようとしたらこっちも弱みを誰かにばらす事が出来るから対等だよ。信頼だとか、嘘臭い言葉で成り立っている関係はいつか裏切られて、終わってしまう……私はそう、思ってる」
ひねくれすぎだろ、秋山。一体お前さんの過去に何があったんだ……と、思ってみたものの、意外と元からこう言った性格なのかもしれない。
「そんなもんかね」
「そうだよ」
そう言われれば、そうなのかもしれない。持って生まれたものならば、過去じゃなくてこりゃ、前世があるなら前世で本当に碌なことが無かったんだろうな。
「ん? いや、待てよ。俺は別に弱みを握られちゃいないぞ」
秋山に握られている物なんて何もない。部屋に来られた事もないから十八歳以上のみが閲覧を許可されているあれや、小学生のころに隠したテスト用紙の存在なんてわかるはずもない。
「そう、だから今日まで準備してたの」
「準備だ? 一体何の?」
「ちょっと、こっちに来て」
心にやましいものがあるわけないが、俺は不用意に秋山にちかづいて……そして、足を払われた。思った以上に素早い動きで的確だった。
こんなにも簡単に、女の子に倒されるとは思わなかった。男として言わせてもらう、ほんのちょっと、ちょーっとだけ、油断しただけなのだっ。
「うわっ」
情けない言葉を出して藁にもすがる気持ちで近くにあった何かを、今回それは秋山実乃里という人間だった、を掴もうとしてそのまま倒れた。秋山が俺を倒すことは出来ても、俺を支えることは無理だったようだ。
「いててて……」
「ほらね」
電気がついたと同時に、フラッシュの音が聞こえてくる。
この時ばかりは珍しく、俺の頭が高速回転をしてくれた。もっとも、その高速回転も事後に行われれば意味などない。
「……なるほど」
今頃立ち上がったところで遅いだろう。きっと、カメラには秋山実乃里を押し倒している男子生徒が映っているはずだ。
「これで対等」
真下の彼女は見た事の無いような笑みを浮かべて俺を見据えている。
「……このまま襲っちゃったらどうするつもりなんだ」
秋山の立派な胸に俺は手を置いている事に気が付いた。
大丈夫、安心してほしい、まだ理性は働いて居るから……もちろん、襲うなんて言うのは冗談だ。
この言葉に心配無用だとばかりに扉の方へ顔を動かした。
階段を誰かが降りてくる音がしたのだ。慌てて離れて、電気を消し物陰に隠れる。
「だ、誰かいるのか?」
若干、怯えた様子の男子生徒の声だ。こんにゃくの一つでもぶつけてみれば十中八九、悲鳴を出して逃げ出す事だろう。もしくは、腰が使い物にならなくなって情けない撤退劇を見る事が出来るはずだ。
「気のせいかな……気のせいだよね」
一人しかいないはずなのに、誰かに確認をしている。俺の隣に気付けば秋山実乃里がやってきていた。
「ドキドキするでしょ?」
その質問には頷かざるを得ない。
「そりゃあな。ドキドキしすぎて心臓に悪い」
男子生徒が居なくなってすぐに俺たち二人も部室棟を後にした。
「いい気分転換になったよ。今後もまた、メールを送るから」
「俺が嫌だと言ったらどうなるんだ」
どんな答えが返ってくるのかすぐに想像できたものの、一応、聞いてみた。
「ばらすよ」
「だろうなぁ……はは、変な人に目をつけられたものだ」
何一つ解決にはならないもののため息をひとつ、ついてみた。




