秋山実乃里:第一話 まずは相手の出鼻を挫く
バス停から徒歩七分、駅から徒歩十二分、俺の新たな住居から歩いて二十分のところに私立羽津学園は威風堂々、佇んでいる。
自由な校風を謳いつつ、実際は雁字搦めなんて所はどこだってある。縛られる事を嫌った生徒たちはある日、学園長に文句を言いに行ったそうだ。その時、学園長が一喝して、場を鎮めている。
自由とは縛りの中に存在するのだと学園長は仰ったそうな。
そのくせ、意外と自由で結構生徒任せな校風らしい。
食堂はリーズナブルでそれ相応の味を提供し、購買部は生活できるほどの品ぞろえを自慢している。農具用品からバナナ専用装着ゴムまで、注文品は匿名をもってして提供されるそうだ。ちなみに、売れ筋商品は羽津市指定のゴミ袋らしい。
男子四割、女子六割という元女子学園だった感じを匂わせてはいる。男子は学ラン、女子はブレザー、セーラー、イートンジャケット……ま、簡単に言うのであれば何でもいいそうである。男? 男は駄目よ、男は学ランでも着ておけばいいと言うのが学園長のお言葉である。俺としては、学園長、よくやったと褒めてあげたい。
どっちかと言うと男子の方が少ない学園に転校してきたもんだから、男友達と仲良くやっていきたいものだね。
俺は隣で俺の説明をしてくれている先生の言葉を聞きながらそんな事を考えていた。
「では、真白冬治君、自己紹介をお願いします」
既に先生があらかた説明しちゃってるんだけどなぁ……こういうのに興味のない人間は本当にどうでも良さそうな顔をする。そんなどうでもいいと言う表情をされただけで柔らかい心の持ち主である俺は傷ついちまう。
「隣羽津学園から転校してきた真白冬治です」
ネガティブな思想を追い払うよりも受け入れちゃう俺はおそらくマイナス思考の人間。何事も前向きが肝心だと思っていたのも中学生まで。絆を深めつつあったと勘違いしていた女の子は自分よりおそらく不細工な男子生徒の彼女になった。
また、憧れの教育実習生の女性は中年の体育教師が持って行った。おっと、よくある、好物ですなんて勘違いを抱いちゃいけない。驚くことなかれ、その体育教師は女性だ。世界の広さを痛感させられた。
柔らかい心の俺は、ただそれだけのことでカウンセリングに通った。泣きながら何故か親友の母親に訴えたりもした。優しく慰められて友達の母親の胸で涙を流した思い出は、今では記憶消失装置を使って消し去りたい記憶ナンバーワンに輝いている。
転校時に渡された手紙に、おばさんはいつでもふゆ君の事を待ってるからね……と綴られているのには堪えたぜ。
転校も不安九割、諦め一割という具合だ。いきなり通うべき場所が変わるのに希望を持てる奴は詐欺師か宗教家の素質があるだろうよ。
「みんな世間が悪いんだ!」
そう叫んでガラスを割りまくった友人もいる。
成るほど、至極まっとうな意見だ。俺もそう叫んで窓ガラスをたたき割りたい衝動があったりもする。
ただまぁ、感じ方が人それぞれなのは誰だって知っている事だ。それを認めるか、認めないのかの違い。
話が完全にずれてしまった。
俺がこの学園にやってきたのは親の転勤のためなのだ。
実は、誰々のボディーガードで……、学園の秘密を探るため……、異世界から召喚されてこの世界を知るため……だったら結構面白い話が出来ていたと思う。死神が転校してきたとか最高に楽しそうだ。
ま、そんなことが現実に起こったら面倒そうだし、対処に困る。あくまで、日常の延長線上でしかない。
「じゃあ真白君の席はあそこね」
「はい」
簡単な自己紹介も終わり、今度は俺の居場所を教えてもらう事になった。
「えーと……?」
指差された先は当然、空白の席……ではないようだ。
何故、すぐに気がつけなかったのだろう……単純に緊張していたから天井付近を見ていたからだったりする。
「あの、あそこに人がいますけど…」
「え?」
クラス中がざわついた。
俺の席だと指差された場所に座っているのは二の腕辺りまでの髪の長さ、透き通るような色白、整った顔立ちの女子生徒だ。
それだけだと、単なる美人さんに見える。いや、ね、美人さんなのは間違いないけどさ、首のあたりに何か、鋭利な何かが突き刺さってて、現在進行形で口から血が垂れてるようにみえるんだがね。
その隣の席は誰も座っていないものの、ノートが拡げられているのだ。誰か教室からいなくなっているのだろう。
日本人形のような可愛らしさと共に、不気味さも併せ持っていそうな人物だ。
「誰か、そこに座ってますよね」
「お、おいっ、転校生には何か見えてるのかよ」
激しい音をたてて、一人の男子生徒が立ちあがろうとしてこけた。
「せ、先生をからかっているのよね?」
「やっぱり、転校してきた生徒はあの人が見えるんだわっ」
「呪いよっ。転校生にかけられてた呪いは本当なのよっ」
どういう事だよ……さっき、日常の延長線上だって言ったじゃないのよ。
一瞬にして俺の顔色は真っ青、頭の中は真っ白になった。先ほどまで騒がしかった教室に今度は静寂が包みこむ。
え、何これ……いつの間にか非日常ルートですかと誰かに聞きたかった。
それも数分、俺の席に座っていた少女がおもむろにノートを広げた。
『ドッキリだよ』
彼女を皮切りに他の生徒達がノートを広げた。
『引っかかった』
「は、はぁ?」
困惑する俺に、先生は右手を差し出してきた。それを大人しく掴むと握手される。
「おいでませ2-Gへ」
そして、クラスメート達が立ちあがって頭を下げる。
「これからよろしくね、真白冬治君っ」
何なんだろう、このノリは。
かつて無いほど俺は動揺していただろう。正直に言って、面倒くさそうなノリだった。
自分がこのノリについて行けるかどうか多分に不安になる。
「いやぁ、いい表情をしてくれた」
「本当、一週間前から練習に励んだ甲斐があったわね」
やんやと叫ぶクラスメート達のアーチをくぐりぬけて、指定された席へと向かう。
とりあえず席に着かせてもらって一呼吸。
「ふぅ」
「私は秋山実乃里」
先ほどのお化け少女が俺に挨拶をしてきた。
「はは、どうも」
うんざりした感じをさすがに出すわけにもいかない。いたって爽やかっぽく笑って見せた。何かとお世話になるだろうお隣さんだ。
既に、辟易としているものの、こんな学園行きたくないとごねる年齢でもない。
まぁ、転校したいなとちょっと思ったけどさ。
「さっきも挨拶したけど、俺は真白冬治だ」
「真白なんて変な……こほん、おかしな苗字」
言いなおしたけど、あまり本音を隠せてないぞ。
「俺も変だとは思うがね、日本全国探せばいるっちゃいるんじゃないの?」
根暗な感じは見た目だけのようで、お化けの化粧をとれば美人さんの女の子のようだ。人見知りもしないらしい。
「ねぇ」
何かメモ帳に書き記しながら、秋山は俺に話しかけてきた。
「何」
「真白君って呼んでいい?」
呼び方ってのは大切で、仲良くなってからも堅苦しい呼び方をする人は多々いるもんだ。おそらく、秋山との仲も名字で呼び合う程度で終わってしまうかもしれないな……ちょっとだけ、寂しく思いながらも俺は名字で呼んでもらうことにした。
「ああ、それで構わないよ」
「ありがとう、冬治」
右手を握りしめられ、俺はため息をついた。
「……好きに呼んでくれ」
日本人は話す時に目を逸らす傾向があるとかなんとか、何かで読んだか見た気がする。しかし、秋山はそんな素振りは見せずに、しっかりと見据えてくるタイプの人間のようだ。
隙を見せたら付け込まれるような相手かもしれない。人見知りどころか、相手の心の奥底まで土足で踏み込む人種かもしれないなと警戒しつつ、何と無く、笑って見せた。
「ふむ、愛想笑いを行う人間っと」
「俺の記録はやめてくれ」
全く、初日から調子を崩されまくりだ。秋山実乃里が隣の席だが、これからうまくやっていけるのだろうか。
一割ぐらいはあった筈の希望も、今では不安九割、ためらい一割である。




