夏八木千波:第六話 夏の花火
今日は夏祭りがある。
「千波、今日の夏祭り一緒に行かないか」
窓の向こう側に居る千波に向かって俺はいたって平静を装って誘ってみた。心臓はずっとフル稼働、喉はからから、目の前なんてゆがんでいる。
「……一体、どうしたんですか」
千波は少し驚いていた。この前俺の部屋に一人でいた時のような甘い声は当然、出していない。
一体俺の部屋で何してたんだと聞いたらおそらく大変なことになる。だから、この秘密は墓まで持っていくつもりだ。
「別に、どうもしてないよ」
それより、お前さんの方がどうしたんだと危うく言おうとして口を閉じる。
「せっかくの兄さんの誘いですけど……お昼から夏祭りに友達と一緒に行くんです。言ってませんでしたっけ?」
「そ、そう言えば言ってたな」
少し前から言われていた事だった。そうだった、完全に忘れていた。
千波の気持ちに知る前だったから『そうか、何かあったら電話しろよ~』って答えた気がする。
現金なもんだな、俺も。どうにかしたいなんて思った癖に、結局行動するまで時間がかかっている。
「……あー、さっきの夏祭りの事は忘れてくれ。ちょっと俺、疲れてるみたいだ」
「最近なんだかよそよそしいって思ったら今度は誘ったりして……情緒不安定ですね」
千波の言うとおりだ。
これでは変な目で見られそうだ。俺も千波に気持ちを伝えたいから雰囲気のいいところにしたいんだけど空ぶってしまう。
悩んでいたら千波に声をかけられた。
「いいですよ。友達と行って、夕方また兄さんと一緒に行きますから」
「それは楽しくないだろう? 同じ場所に行くんだぜ?」
屋台一週目は狙いを定める。そして、どのお店に行くかを決めて二周目からランク決めした店に突撃が俺のスタイルである。え? 聞いてない?
「夜は花火もあります。それに、夜は女の子だけで行くと面倒な事が起きますからね」
そう言えば去年、花火見ていたらナンパされて大変だったと言ってたなぁ。確かに、千波とその周辺はレベルの高い娘さんが多い。
ああ、千波にナンパしてきた男は偶然近くにいた夢川冬治って男がぼこぼこにしてやったから安心してほしい。
千波がオッケーした事に俺は小躍りしたくなった。
「そろそろ行きますね」
「そっか、気をつけて行ってこいよ。俺は勉強してるから」
動揺を悟られないように普通を心がける。
「……兄さん、そんなに千波と一緒に行きたかったのですか?」
「え、何で?」
「小躍りしてますけど」
「こほん、これはあれだ、雨の降らないおまじないをだな……」
「はいはい、兄さんがおかしいのは今に始まった事ではありませんね。じゃ、行ってきます」
千波が行ったのをしっかりと確認し、机に頬杖をつく。
「……あれから真面目に考えたけど、俺の方がもろ影響受けてるじゃねぇか」
それもそうだろう、あんな姿を見たら動揺するわい。そんなに鋼の心なんて持っちゃいない。向こうは俺に気づかれていないだろうから普段通りに当然できるさ。
真面目に考えようと思っても、答えなんて出てこなかった。
多分、千波は告白したらオーケーしてくれるだろう。やはり、出来るだけムードがある場所でやっときたい。
「……どうしたもんか」
変に時間をあけずにあの時後ろから抱きしめておけばよかったのかもしれない。
後悔先に立たずとは良く言ったもんだぜ。
「俺より、千波のほうが気にすべき事だよなぁ……あいつ、俺の部屋で……何してんだよ」
あいつが言っていた匂いってたぶん、俺の匂いのことだよな。
改めて自分の匂いを嗅いでみる。
「……特に匂わねぇよなぁ」
匂いフェチだったとは知らなんだ。小さい頃に俺のお下がりのタオルケットを大切にしていた程度しか知らない。
「……うーむ?」
それからまた悩んでみたものの、答えは出てこず。千波の趣味と言うか、嗜好については何も言うまい。そういったタイプの人間は障害があればある程萌える、いいや、燃える、タイプだ。匂いを嗅ぐのは駄目って言ったら風呂でも覗かれそうである。
冷静になる為、ブリッジしてたら千波が帰ってきた。
「兄さん、何を?」
「あ、頭の体操だ」
「もう手遅れだと思いますよ」
「え」
何だか凄く冷たい声が聞こえた気がした。
「なんて言ったんだ?」
「何でもないです」
「そうか。ま、いいや。えーと、準備はできたか」
俺はすぐさま飛び起きてくるくる回る。落ち着かないぜ。
「子供ですか」
「うん」
「えぇ?」
そんな俺を呆れた目で見ていた。
「もうちょっと暗くなって行きましょう」
それもそうか、気ばっかり急いでしまって仕方がないのだ。
今か今か、来るな来るなの相反する心境で……俺は千波と一緒の夏祭りを待っていた。
そして、時は来た。
「浴衣着たのか」
玄関前で待っていたら扉が開いて、黒と朝顔のマッチした柄をした浴衣姿の千波が出てくる。
「……はい」
千波の浴衣姿なんて滅多に見ない。最後に見たのは一緒に夏祭りに行った時かな。
「今日は兄さんと一緒ですから……その、どうでしょうか」
「よく、似合ってるよ」
「そんなに素直に褒められてしまうと裏があるんじゃないかと思います」
素直に褒めたらこれである。これまでの自分が、今を作っているなんて言葉を思い出した。
隣の千波が可愛すぎてどうにかなっちまいそうだ。
「……何だかそわそわしてますね。何か悪いものでも食べたんじゃないですか」
「ちょっと、目に毒な光景をな……」
「……兄さんのスケベ。小躍りしていたからカーテン閉めなかったのに……」
「ち、ちげぇよ。っていうか、カーテン閉めずに着替えたのか? 駄目だろ、ちゃんと着替える時はカーテンを閉めろっ」
言って思った。すごく、勿体ないことしてラッキースケベを見逃した事になる。
「……」
千波からすごく怖い視線をもらったので俺は空が綺麗だなーと呟いてみた。
「ん?」
今気付いたけれども千波の奴、俺の居ない間に部屋に入ったりして色々してたんだよな……金目のもんは特にないし心配もしてないけど、えっちな本とか見つけられていたらどうしよう。
一応、見つけられないように二段底とか本のカバーを付け替えたりしてたけどな。わからないように、気づかれないように隠しておいた。最近じゃ、妹物に手を出すようになって俺もどうかと思うんだけどな。
「あ、そうそう……この前エッチな本を見つけましたよ」
「ヴぇ」
「廃棄しました。いいですよね」
「……はい」
俺のエロ本はさておき、それなりにいい時間帯だ。家族とか、カップルが多かったりする。
「っと、もう花火が始まるのか」
出店を回るのもそこそこに、俺と千波は花火のよく見える場所へと移動する。その際、出来るだけ人の多い場所を選んでおいた。
本音としては人気の少ない場所に行って告白しようと思ったんだ。でも、何だか暗がりに連れ込んでやらしいことをするんじゃないか……そんな事を言われたらどうしようと思って人が多い場所にしたのだ。
やっぱり、千波の不安そうな顔なんか見たくない。だからといって告白するから付いてきてくれなんて情けない真似もしたくない。
何発も花火が打ちあがる中、隣が気になってそれどころじゃなかった。人々の歓声もまた、正直に言うとどこか遠くの世界のように思える。
目の前の女の子のことで頭がいっぱいだなんて、誰にも気づかれたくない。
「綺麗ですね」
「……ああ、そーだな。きれーだな」
「気のない返事です」
千波はしっかりとこっちを見ている。花火なんて見ている場合じゃない。
「悪い。ちょっとぼーっとしてたよ」
「兄さん、千波を何で誘ったんですか」
まだ花火は続いている。打ち上げが始まったのは十分前、まだ二十分程度残っている。
花火が終わって、人が少なくなって告白しようと思ってた。
けど、チャンスは今だ。うるさいし、他の人はもっと前に見に行っている。俺たちの近くにはあまり人がいない。
「簡単だよ……俺さ、千波の事が好きだ。前まで……詳しく言うと一年ぐらい前まではそうでもなかった。血なんて繋がって無いけど、俺は兄貴で、千波は妹だったよ。ちょっと怖くて、お茶目なところがあるお前が、好きだ」
最早、花火なんざ視界に入ってなかった。家族がきれーとかすげーとか言っているのも違う世界のことだ。
「だから、俺と付き合って欲しい」
「兄さん……」
じっと見つめてくる千波は迷っているようだった。
思ったよりすんなりいかなかった事に俺は少しだけ焦りを覚えていた。
「……一つ、聞いてほしい事があります」
「何だ」
「千波の相手は生半可な気持ちでは……務まりませんよ? それに、兄さんが知らない千波はたくさんいます」
「何だ、そんな事か」
じゃあ、辞めるわ。つい、冗談で言ってしまいそうになるのを慌てて飲み込む。
「どんな千波だろうと、受け止めるよ」
「……覚悟してくださいね」
「望むところだ」
気付けば花火は終わっていて、俺たち二人は不敵に笑い合っていた。
不審そうに俺達を見てくる連中もいたけど、些細なことだ。
「これから千波を喜ばすには……何をすればいいんだろうな。希望はあるか?」
「千波は兄さんに引っ張ってもらえればいいんです。正直、これからも一緒にいられると思うと涙が止まりません……」
「全く、仕方のない奴だな」
そう言って本当に泣きだした千波を撫でてやり、俺は笑うしかなかった。
舞い上がりたい気持ちのまま、祭りを楽しんだ。いろいろと食べたが、どれも味のことはよく覚えていない。千波のことばかり見ていたからな。




