只野夢編:第三話 悪夢は回避可能か?
避けられない未来なんてごまんとある。
期末テストなんて片手で充分ですよと見くびっていた結果、馬鹿どもは遠慮なくテストに蹂躙される。
後悔、先に立たずとは良く言ったものだ。
「ぎゃあああ赤い点数だぁあああ」
「きゃあああ僕も赤点を……」
「ぷっ、友人に七色……ちゃんと勉強しないからだろ」
赤い悪魔を与えられた二人を尻目に俺も成績表をもらいに教壇へと近づく。
「はい、矢光君。おめでとう、あなた達普段から仲がいいものね」
「え?」
俺に渡される成績表……絶対の自信があった筈なのに、一つだけ零の文字が浮かんでいた。
俺は真面目に勉強をしていた。他が、この世界がたとえ偽りだったとしても、あの馬鹿たちよりも低い点数とは……何でだ?
「あの、何で現代国語が零点なのでしょう」
国語担当である闇雲先生に訊ねるとほほ笑んでくれた。
「そうね、点数にして九十八点よ」
「九十八点!」
現代国語だけとってみれば、間違いなくトップクラスである。後ろを振り返り、両手を広げた俺に背後から声がかかった。
「名前が書いてあればね」
ジャパンのテストはまず、名前がかけるかどうか試されるのだ。
「……ああああぁぁぁぁぁ」
成績表を床に落とし、俺はおいでおいでしているアホに迎えいれられる。
「はーい、一名様ごあんなーい」
「通してあげてー、彼は心に深い傷を追っているから、近づいたら危ないよー」
二人に護送され、俺は席に着くのであった。
「はい、じゃあみんな席について。知っての通り、この学園では赤点を採ったものは夏休みの一週目、林間学校だから。遊べると思ったら大間違いよ。ゴミ拾いのボランティアが終わったら勉強だからね。追試を受けて合格出来れば帰っていいから」
「おれに双子の兄が居れば……」
「くそぅ、ちゃんと僕も勉強していればよかった」
「なまえのれんしゅー、矢光、冬治……」
すみません、このクラスに時を統べる者はいらっしゃいますか? 賄賂を渡すので時間を巻き戻してください。
そういって助かるわけもない。
普段騒がしい連中は夏休みの一週目を考えてなのか、誰もかれもが口を閉ざした。
生徒思いの先生たちは全員が、この林間学校についてきてくれるそうだ。
放課後、重たい体を引きずりながら友人、七色と共に帰路につく。
「あ、冬治先輩、兄貴、七色先ぱ……なんだか暗いっすね?」
俺達に気付いた夢ちゃんが走り寄ってきて、立ち止まった。友人と違って空気が読める妹である……もっとも、俺達の間に漂っている不幸オーラは思わず発砲されそうなゾンビ臭なのだ。重たい両足を引きずるように、歩いているのである。
「一体、なにがあったんすか?」
「なにがあるのかはこれからだよ」
虚ろな目で夢ちゃんを見る。
「え、えーと?」
「赤い悪魔だ。紙に文字が書かれ、悪魔が召喚されたのだ!」
喚いた兄に夢ちゃんはきょとんとした。
「はぁ?」
「だから、赤の魔物だ」
友人の言葉に意味がわからないと言った感じで俺を見る。
「……俺たち三人、仲良く夏の林間学校行き決定さ」
「あ、そうなんすか。へぇ、でも林間学校……楽しそうっすね」
一年だから良くわかっていないらしい。
そういう俺もこの学園に転校して間もないので噂程度に鹿聞いた事が無いがね。
「ところで、冬治先輩。冬治先輩は……その、夏祭り、一緒に行く人とか決まっているんすか?」
夢ちゃんはのんきにも、夏休み一週目に行われる夏祭りの話を持ち出してきた。
俺が応えるよりも先に、何故か嬉しそうな顔で友人が口を開いた。
「あー、無理だわ。林間学校中は出られないからな」
「出られないって……どういう事っす?」
友人の説明に再び首をかしげる夢ちゃん。
「……離島なんだよ」
「え、マジッすか? 祭りより林間学校の方が楽しそうっすけど!」
羨ましいっす! そんな表情を見せた夢ちゃんに友人は喉を鳴らすような笑い方をした。悪役でも十分通じる笑い方だった。
「あそこが羨ましいだって? 山なら脱走も可能かもしれんがね……連絡船はお昼に一度だ」
やはり、一度体験した人物が喋ると重みがある。
「午前に一度だけ、追試を受ける権利がある。赤点をとった教科のテストを全て受けて合格すればその連絡船に乗って帰る事が可能なわけだ」
「へぇ、なら楽勝っすね」
「ま、そうだな。実際、赤点が一つや二つなら特に問題はない。一度クリアしてしまえば後は遊びに行く許可をもらえる。ただ、三つや四つある奴らはそうもいかないんだよなぁ」
「え、何でだ?」
「何せ、追試の合格ラインは平均点数プラス二十点だからな」
もし、平均点八十点なら百点採るまで合格はあり得ないと言う事になるな。
「でも問題自体は変わっていないんだから楽勝じゃないか?」
「ふふ、冬治君は甘ちゃんだよ」
それまで静かだった経験者二人目がこの夏、僕は初体験をしました的な表情になる。
「……後の方になってくると、気ばかり焦るんだ。みんな、海に遊びに行っちゃうからね」
「取り残されて先生に見られながらのテストか。でも、最終日は全員遊べるって聞いてるぜ?」
たとえテストが出来なくても、最終日は遊べるらしい。
「……はは、そうだね。周りが日焼けしている中、自分だけ白い素肌をさらし、砂浜を走る。離島で勉強缶詰している間、みんなは同じ離島で遊びながら友達の絆を深めるのさ。もしくは、共同生活の中で愛が生まれる事もある……集団の中にいたほうが、僕は寂しさを感じるよ」
何やら悟った表情になった。
「なぁ、二人とも一つだけ聞いていいか?」
「何だ?」
「なぁに?」
「何で、期末前に遊んでたんだ? 勉強すればいいだろ」
経験者なら尚更だろ。
「……そんなの簡単だろ」
「本当だよ。冬治君がこんな簡単な答えもわからないなんて予想外だ」
不敵に笑う二人に首をかしげ、俺は夢ちゃんを見る。
「わかる?」
「わからないっす」
「だよねぇ……答えとやらを教えてくれよ」
「テストが来るなら全力で遊び倒す!」
「赤点採らなきゃ大丈夫……強気でいかなきゃ駄目だね!」
それで赤点採ってるのなら意味がないだろうに。
学園側の考えを真っ向から無視する人間も珍しい。勉強が嫌いなら、中学でて働けばよかったのにな。
「夢ちゃん。期末期間は友人、何してた?」
「いつも通りっす。ごろごろして、テレビをみて、ゲームして寝てたっす」
「はっ! 勉強なんて期末前にしているだけじゃ意味ねぇんだよ。日ごろから予習復習をきっちりしていりゃ、テストなんて別に怖くもなんともない。テスト前にどたばたする奴らの多い事多い事、笑っちまうね!」
言っていることは超正しい。
やっていることは間違っているが。
「お前さんさ、それはあれだわ。全裸でノーパン主義の奴に『パンツをちゃんと着用しないと風邪をひくぞ』って説教している感じだわ」
こいつの行く末が心配である。
まぁ、嫌だ嫌だと騒いでもその時はやってくる。
船の中ではそこそこ楽しめていたのに、いざ離島の宿舎に到着したらマジでつまらなかった。
学校じゃなくて、おそらくホールでみんなと勉強なら楽しめた。
そこには教室が再現されていて、離島にやってきた感じなんて全然受けなかったのだ。
「ああ、これが夢ならよかった」
しかも最悪な事に人数が今年は少なかったようだ。
先生がかなり近い距離で配置されており、本当に勉強漬け。
「くそ、こんなはずでは……」
ため息をつく暇もない。
押し寄せる数式に、漢文……あの手この手で俺を責め立てる水平リーベ、そして黒船の名前等など……。
俺達の夏はまだ、始まったばかりだ。
―――――――
「悪夢だ」
ちっともつまらない離島のバカンスから目覚めた俺は布団からはい出る。
期末テストが四日後に控えている今、自分がやれる事を考える。
勿論、最悪な展開を回避するためだ……夢をなぞるように、未来のレールにのっかっていけばそこそこ自分のためになるはず。
「しかし、誰かの敷いたレールの上に乗っかっているだけ、それでいいのか? いや、駄目だろう」
自分で考え、自分で行動し、未来を変える力が人間には在ると信じたい。
「俺が今から未来を変えるためにやる事……名前の練習か?」
違うな、これじゃあない。
やれることと言えばやはり、勉強だ。
「俺一人助かっても無意味だよな」
そして、期末テスト四日前に遊んでいるあの馬鹿二人を救ってあげるのも人の道だ。
顔を洗い、朝の準備をし始めた俺は放課後の事を考えるのであった。
「さー、今日も遊ぶぞー」
「ゲーセン行こっか」
「だな。ベストスコア更新すっか」
楽しそうな友人と七色は勉強をしているクラスメートを尻目に、話をしている。傍から見たら仲良しカップルに見えなくもない。
う、何だこの見ていてもやもやする感じは……あいつが仲良くしているところを見ると胸がもやっとしてしまう……と、いうのは間違いなく、気のせいだ。
「待ちな」
「お、冬治もとうとう参加か?」
「冬治君もおいでよ! 僕たちと一緒に遊ぼう!」
テーマパークに行ったら聞こえてきそうな謳い文句に誘われる事もない。
「男割りだ」
「……新手の割引サービス?」
「ちがう、お断りだ!」
「そうか。悪いな、冗談に付き合っている程俺たちは暇じゃないんだ」
「精々無駄なあがきでがんばってねー」
進もうとする友達二人の前で両手を広げる。
「絶対に行かせんよ」
「はぁ?」
「遊びたければ俺を倒して行け」
ファイティングポーズを取って見せると友人と七色は顔を見合わせていた。
「冬治、お前……勉強のしすぎで頭がおかしくなったのか?」
「さぁ、かかってくるのか、来ないのか?」
「いいんだな? ほんっとーに、殴るからなっ?」
「ああ、構わんよ」
友人の拳を右にいなし、足払いをかける。
「いてっ」
「俺はマジだ……尻もちついた時点で俺と一緒に図書館行き決定だぞ」
「……今のなし。次は本気でいくわ」
立ちあがり、先ほどよりも幾分ましな顔になった友人が自身の頬を叩いて気合いを入れた。
「ふっふっふ、たまには友達のすかした面に一発入れてみたかったんだ!」
そういって駆けだしてくる友人の足を踏んでやるとそのまま転倒した。
「……ぐぬぬ」
「なっ……あの友人君が秒桁でやられた!」
教室に残っていたクラスメート達も何事かとこちらを見始める。
「あ、兄貴が一瞬で……」
そして、何故だかやってきていた夢ちゃんも転倒した友人を見ている。
「さ、これでお前も俺と一緒に図書室行きだ」
「くそぅ……七色、後は頼んだぞ」
「え、僕?」
クラスメートの視線が七色に集中する。
「あのー……僕は女の子だから見逃してくれるよね?」
「悪いな。友達に男も女もないんだ。帰りたいのなら、俺を倒していくんだな」
「手加減は?」
「しません」
「色仕掛けは?」
そういってスカートを若干持ち上げる。
「そういうのは良くないっす!」
それは夢ちゃんが阻止した。
「相手が女でも、俺は差別なんてしないぞ」
俺の宣言にクラスメート達が野次を飛ばし始める。
「鬼!」
「悪魔!」
「人でなし!」
俺は急遽になってしまったクラスメート達に微笑みかける。
「……実は、闇雲先生の計らいによってこのクラスだけ特別ルールが出来たんだ。友人と、七色が赤点をとった教科の平均点はプラス十点される」
赤点が懸念されるクラスメート達の行動は早かった。
すぐさま、俺側について仁王立ちを始める。
「七色虹、遊びたければおれ達を倒していくんだな」
「そうよ。お遊びは今日までなんだから!」
それでもあきらめたくないのか、七色は小さな拳を胸の前に構える。
「べ、勉強ぐらいでなに熱くなっちゃってるの? 真面目に勉強している人が僕には馬鹿に見えるよ! 勉強、なにそれおいしいの? 頭、湧いてんじゃない?」
その言葉がいけなかったらしい。
それまで黙っていた我がクラスの委員長、馬水雫さんが机を離れる。
「七色さん……今何か言った?」
「え?」
人間が放つようなオーラではなかった。
深いダンジョン……おそらく、裏面あたりだろうか? そこら辺まで潜ってようやく出会えそうなオーラが出ている。
「と、冬治先輩これは……」
「さ、さぁ?」
夢ちゃんの質問に答えられるわけもない。
大気が揺らぎ、机が震え、呼応したかのように窓ガラスが鳴き始める。
それまで騒がしかったクラスメート達は今や教室の隅で縮みあがっていた。
「このクラスに魔王でも降臨しようっていうのか?」
「いいや、破壊神かもしれない……」
現代日本にどちらも必要のない存在だ。出会いたいのならRPGでもプレイして来いよ。
「矢光君」
「な、何だ?」
普段からは全く想像もできない鋭いまなざしが俺を射ぬく。
心臓を誰かにわしづかみされたような、嫌な感じに頬を脂汗が伝う。
「ひゃっ」
俺の後ろに隠れていた夢ちゃんが更に縮こまり、完全に見えなくなってしまったようだ。
「七色さんは私に任せて」
「え? なにを?」
始末するのだろうか。
「勉強よ」
有無を言わせぬ雰囲気に、頷く以外選択肢があるのなら誰か教えてほしいものだ。
今の彼女を止められるものは、人間なんかじゃ火力不足である。
「どうぞ、お好きに」
「ありがとう。期末テストじゃ、八十点平均の女の子にして見せるから」
勉強のできる女子、略して……。
「いーやーだー! べんじょになるのはいやだー」
連れて行かれる七色にみんなで合掌し、再び日常へと戻っていく。
「あれ、友人は?」
気付けば友人の姿はなく、何処かへ逃げてしまったようだった。
「兄貴なら逃げていったっすよ」
「そっか……ったく」
今から探して無理やり勉強させる暇があるのなら、自分の勉強を進めたほうがいいだろう。
図書室へ向かうため、準備を始めると夢ちゃんが俺の机へと近づいてきた。
「あのー……冬治先輩」
「ん?」
「一緒に勉強しないっすか? ちょっと、不安なんすよ。教えてほしいっす」
「ああ、いいよ」
一年前の事を正確に覚えているかどうかは定かじゃない。ま、教科書を見れば思い出すだろう。
楽観的な考えで夢ちゃんと一緒に図書室へと向かうのであった。
―――――――
避けられない未来なんてごまんとある。
期末テストなんて片手で充分ですよと見くびっていた結果、馬鹿は遠慮なくテストに蹂躙される。
「ぎゃあああ赤い点数だぁあああ」
夢の内容が思い出された。
「未来は変えられないのか」
何と無く、七色の方を見る。
彼女も叫んでいるのかと思いきや、馬水さんと何やら話しこんでいる。
「……よかったぁ、追い込み効いたみたい。ありがとう、馬水さん」
「ううん、勉強の楽しさを知ってもらえればそれでいいから」
「うーん、まだちょっと慣れないかな。でも、いい点数採ると頑張ったかいがあったよ」
あの二人は意外と仲良くできるのかもしれないな。
そして俺は……何というか、名前ミスはなかった。
「んー……八十点か」
夢の中だと、九十八点ぐらいだったかな。
これはこれで満足している結果だ。
「冬治ぃ……帰ろうぜ」
「悪い。先約があるんだ」
「先約ぅ? 糞、裏切り者……七色」
「ごめーん。僕これから馬水さんとデートだよ」
「そうそう」
「……チクショー」
思いがけず、一年の問題に手を焼いた俺。
夢ちゃんから感じる『うわ、しまった……どうやらこの先輩は頭あんまりよくなかったんすね』という視線に耐えられなかったのだ。
ちょっと度忘れしていただけだったので、助かったのだが……そこはそれ、残りの数日は夢ちゃんに勉強を教え続けた。
あ、なんだ、この先輩はわざとすっとぼけてたっすねぇ……そう思ってもらいたかったのだ。
俺は自分の点数よりも、プライドを優先する。勉強? なにそれ美味しいの?
「冬治先輩っ、お待たせしたっす!」
「や、テストの出来はどうだった?」
訊ねる俺に彼女はVサインをしてくれた。
「ばっちりっすよ。先輩のおかげで満点二つ、取れました! 先輩も一年の頃はばしばしとっていたんすよね?」
「あ、あははは……そうだね」
ちなみに、俺が一年の頃にたたきだした満点は一つだ。
い、言っとくけどな、以前いた学園はこの学園よりももっとレベルが高かったんだ! なんて、言い訳をしてみたい……。
「先輩のおかげっす!」
「あ、あはは……そんなことはないよ。これはね、夢ちゃんの努力のおかげさ」
立派な先輩としての姿を見せたい見栄っ張りなのだ。
「冬治先輩は……凄くかっこいいっす! 約束通り、あそびにいくっすよ! きょうは自分の奢りっす!」
後輩に奢らせるわけにもいかない……この日の遊んだ金額は全て俺もちさ。
ゲーセン、映画館、晩飯代……なかなか、高い料金だった。
帰り際、今度ある夏祭りに誘われ、俺は頷いた。
「……お財布にとっては悪夢だな」
夢ちゃんの栄養はどこへ消えてしまうのだろう。
貧相な胸の事を考えながら、俺は帰路へとつくのであった。




