闇雲紗枝:第六話 胃の弱い方へ
俺……矢光冬治を巻き込んだややこしい計画は首謀者のやる気零により霧消した。
本来は俺の方から難癖付けて御破算にしたかったらしいが、計画の協力者である闇雲紗枝先生の裏切りにより既に頓挫していたのだ。
それを知らずに首謀者の闇雲八枝も計画の失敗を最初から予定していたのだ。
紗枝の計画書に、さらに闇雲八枝の書類が重なる。
それだけではなく、俺の二枚舌、双子が腹を探り合う展開になり余計ややこしくなった。
まさか紗枝先生にキスされるとは思っていなかった俺は……計画がとん挫してもなお、紗枝先生と微妙な距離に立たされていた。
八枝さんが姿を消したと紗枝先生から報告を受けたのは計画の終わりを告げられて間もない時期の事だ。
もっとも、そのついでに俺は……停学の知らせを受けたのだが。
――――――
「矢光冬治君。職員室まで来てください」
七月に入ってすぐの教室にそんな放送が流れた。
「冬治君呼んでるよ?」
「何だろうな?」
七色の言葉に頷き、先に弁当を包む。
「どうせ紗枝先生が使ってるんだろ」
「でも声は体育教師だったよ」
「声真似じゃね?」
好き放題言い始める友達二人を残し、俺は教室を後にする。
「放送室でするときはちゃんと機材の電源切っとけよ。告白垂れ流すよりまだ酷いからな」
「んなことするわけねぇだろ!」
おいおい、あえぎ声を全校生徒に聞かせる気かよ……ふざける友人の顔面に辞書を投げつけておいた。
今の俺は紗枝先生をまともに見る事が出来ていない。
あれだけちょっかいを出してきていた紗枝先生がキスをしてきてこっち、何もしなくなったのだ。
物足りなさを感じつつ、いや、これが普通なのだと自分に言い聞かせて過ごしている。
ただ、目を合わせると頬を染めて逸らすと言った恥じらいを見る事が出来た。グッドだ。
「失礼します」
少なからず紗枝先生が関わっているだろう、そう思って職員室に入ると思ったよりも重苦しい空気が漂っていた。
「あの……」
「こっちに来なさい」
よくわからないままに職員室の奥へと招かれる。
「君、この前……他校の生徒に暴力を働いたそうじゃないか」
「え?」
そう言われて、俺は記憶を掘り起こす。
そういや、この前友人から貸してもらったグラビアアイドルの写真集……なかなかよかったなぁ。
チラリズムは素晴らしいって言っていたけど、ちょっとだけ理解できた気がするよ。
「どうなんだ?」
体育教師の威圧的な態度で我を取り戻した俺は頷いておいた。
「え、ああ、はい」
「なんで殴ったんだ? 一方的だったと聞いているぞ!」
「向こうは三人でした」
でも、こっちから仕掛けました。だって、ちょっかいを出したのはあっちだから……何でそうなるのか。
もし、体育教師がそう言ってきたら終わりだ。なにせ、八枝さんが関わっているからな。下手すると紗枝先生の方にも飛び火しそうだ。
「反省しているのか?」
「それなりに」
すっかり忘れていたので反省も何もない。
「……君は今日から停学だ」
「は?」
「可哀想に……君にやられた三人は一部記憶を失っているそうだぞ」
周りの教師はなにも言ってこず、俺から目を逸らす者も多かった。
疑問に思って紗枝先生を探すものの、席を外しているようだ。
「自宅でしっかりと勉学に励み、反省するんだな」
「……わかりました。失礼します」
これ以上、職員室に居ても仕方がない。
しかし……おかしなこともあるものだ。
「一体誰だ? 殴られた三人は一部記憶喪失で俺を訴えるのも無理だと思うし……」
まさかばれるとは思いもしなかったぜ。
教室に戻ると既に情報が周っていたのか、友人と七色が駆け寄ってきた。
「冬治……お前、停学になったのかよ」
「ああ、しかし、情報が早いな?」
「闇雲先生が教えてくれたんだよ」
なるほど、職員室にいないと思ったらこっちに来ていたのか。
すでに帰るための準備は友人達がしてくれていたようで、鞄を渡される。
「どうせ短い間だろうからな。ゲームでもして楽しめよ」
「いいなぁ、ちょっとだけ羨ましいかも」
お気楽そうに言ってくれている二人に俺はため息をつく。
「だな。そろそろ期末に向けて勉強しないといけないし……大人しく勉学に励むよ」
あの体育教師、絶対若い頃は勉強してねぇよ。どう見ても脳みそまで筋肉でできているよ! なんて悪口を言えるわけもない。
またどこから告げ口されるのかわからないので、俺は大人しく家に帰ることにした。
上履きから靴へ履き替えていると、雨が降ってきた。
「傘なんてもってきてねぇよ」
より取り見取りの傘立てからどれか見繕うかと思っていると紗枝先生が物陰から現れる。
「冬治君」
「さ、紗枝先生……びっくりさせないで下さいよ」
よかった、停学中に窃盗がばれたら退学もんだったぜ。
傘だけに不幸がかさな……いや、何でもない。
「俺に何か用事ですか?」
「……あのさ、職員室でなにも言わなかったの?」
「え? 何の話ですか」
そう言うと紗枝先生の眉が斜めになった。
「停学の事」
「俺自身、忘れていましたし、事実ですからね。弁明しようにも無理でしょ」
「八枝の事を言えばいいじゃない」
それはそうなのだが、何だか憚られる。
紗枝先生の事を離さなくちゃいけないし、そもそもあの裏路地はホテル街道に続いているからな。
話してもプラスになるとは思えないのだ。
「紗枝先生に面倒かけたくないんで」
「本当に?」
疑惑のまなざしを向けられ、俺は首をかしげた。
「あの、一体どうしたんですか?」
「八枝と連絡が取れなくなったの」
「え、そうなんですか?」
元より、俺は八枝さんの事をよく知らない……とりわけ、紗枝さんの前では殆ど知らないように演じてきていたつもりだ。
「うん。冬治君は知らない?」
「初めて聞きました」
期限が切れたら部屋を出て行くと言っていたので、その通りにしただけだろう。
「本当に?」
「はい」
やたらしつこく食い下がってくる紗枝さんに疑問を抱いてしまう。
「私は冬治君の事を信じているからね?」
「やだな。信じるも何も知りませんって。何で八枝さん……とやらの行方が気になってるんですか。双子だから?」
「そうじゃないけど……胸騒ぎを覚えるの。また何か企んでいるんじゃないかって」
「はは、そんな馬鹿な……?」
待て。
一笑に付してみたものの、それが今の状況じゃないのか?
「あの、紗枝さん。俺が停学になったのは一体誰の仕業ですか」
「え?」
こいつは何を言っているのだろう、そんな視線を向けられた。
「いや、勿論自業自得ってのはわかってますよ? でもですね、俺自身忘れていた事で、場所は裏路地、あの時一緒に居たのは八枝さんだったはずでしょ? 他に目撃者は居ないと思うんです」
「そう、ね……うーん? でも、冬治君が殴ったのは事実だから殴られた他校の生徒の友達が連絡してきた……そういえば保護者だったかも。なんとか聞きだしたんじゃないかな?」
それが普通だろうか?
まぁ、俺の気のせいだろう。
「じゃ、俺そろそろ帰りますね」
「送って行こうか?」
「いえ、結構です」
八枝さんのおかげで当分車には乗りたくない。
結局、紗枝先生に見送られる形で学園を出たので傘を持つ事が出来なかった。
十数分程度で辿り着く帰り道ではあるものの、濡れるのは必須である。
「あーもうっ!」
コンビニで傘でも買おうかと考えるが、家まで近いうえ、パンツまでいい具合に濡れている。
足元に気をつけてアパートまで走って帰る。途中、水をぶっかけた車に悪態をついておいた。
「ん?」
自分の部屋の鍵を取り出そうとすると、アスファルトの廊下にお尻を着けてしゃがみこんでいる女性を見つけた。
左側のサイドテールに、沈んだ表情の女性は俺と同じで濡れていた。
「八枝さん?」
「冬治、くん?」
俺を見てはっとなり、彼女は駆け寄ってきた。
濡れている事などお構いなしに、肩を狭め、俺の胸に顔埋めてくる。
「もう、どこにも行くあてが無いの」
「駄目です」
「此処に置いてくれるよね?」
「駄目です。嫌です」
「お願い、話だけでも……」
「無理っすー」
「話だけでもっ、聞けーっ!」
胸倉を掴んで俺を睨んできた。
「とりあえずどいて下さい。部屋に入ってシャワーを浴びたいんで」
「……一緒に住まわせてくれたらイイコト、してあげちゃうぞ?」
しなを作って俺にアピールしてきた。
「いえ、間にあってるんで」
「そんな、一人遊びばかりしてちゃ駄目だぞ?」
「えーと、鍵は……っと」
扉を開けると濡れ鼠が入ってきた。
「ねー、いいでしょ?」
「駄目です。八枝さんには悪いですが……」
なにせ、お隣には紗枝先生がいるのだ。
八枝さんと暮らして居たら絶対にばれる。ばれたら……その、色々と大変なことになりそうだ。
「そもそも、俺の所じゃなくて紗枝先生の所に行くのが筋でしょう?」
「いけるわけないでしょ?」
小馬鹿にしたように八枝さんは俺を見ていた。
「何故ですか。姉妹でしょうに」
「姉妹だからこそ、よ。言ってみれば冬治君もあたしの弟みたいなものよ」
「はぁ?」
このおねーちゃんは一体何を言い出すんだろうか。
「いい? 葉奈はあたしの妹だもん。その兄である冬治君は間接ながらあたしの弟ってこと」
「……じゃあ、葉奈ちゃんの所へ行けばいいじゃないですか」
一時期は一緒に暮らしていたものの、父親に戻って来いと言われて一旦帰っている。
これで葉奈ちゃんがこの家にいるのなら問題ないんだけどなぁ。
どうやって追い出そうかと考えていると雨にぬれたままだったのでくしゃみが出てしまう。
「はっくしょん! うう、シャワー浴びよっと」
「あ、待って。じゃ、シャワーだけ貸してよ。冬治君が入った後に、あたしが入るからさ?」
まぁ、シャワーぐらいならいいかな。
洗濯機の中に濡れた制服を放り込み、俺は浴室へと入る。
「とりあえず八枝さんには俺の服を着てもらっておくか。明日ぐらいに取りに来てもらおう」
駄目なら隣の紗枝先生に渡しておけば大丈夫だろう。
そう思っていたら浴室の扉が開いた。
「どもー」
「うわっ!」
ただでさえ狭い浴室だ。
俺は転倒しそうになって慌てて体制を整える。
その時点で八枝さんは俺の後ろに回ってひっついていた。
「な、何ですか!」
「しーっ、黙っておいた方がいいんじゃない? 耳を澄ませてごらんよ」
「耳を澄ませるって……こんな状態じゃ冷静になれませんって!」
はたけたタオルは隠せていたのか微妙だった。
まぁ、今は背後に回っているから見えないんだけどね。
「どう? 大人の味は?」
「うっ……」
うん、今度はその……感触が。
ぴんぽーん。
「え? こんな時にお客……って、放してくださいよ」
「行かないほうがいいよ。紗枝、呼んどいたから」
「は? 何でそんなことするんですか!」
案の定、扉が開いて紗枝先生の声が聞こえてきた。
「冬治君! 紗枝を見かけたって本当?」
「さ、紗枝先生!」
浴室に近づいてきている音が聞こえ、俺は叫んだ。
「ま、待っててください! 今すっぽんぽんなんです!」
少しの沈黙の後、紗枝先生の声が届く。
「私は気にしないけど?」
「俺が気にします!」
「あたしも気にしないよ?」
「うう……やめてくださいってば」
身体を押しあててくる八枝さんに理性を保たせる。
いきり立つのだ、俺の理性!
なにせ、近くに紗枝先生が居るのだ。
「それで、八枝をどこで見かけたの?」
「これで嘘ついたら、共犯と一緒だよね?」
八枝さんのいやらしい顔が俺を見ていた。
くぅ……此処にいます!
そう言ったらどうなるかアホでも想像付くぞ。
いっそのこと、開き直って説明してみるか? うーん、でも学園を出てくる時に絶対に知らない的な感じで、話してしまっているしなぁ……。
「……冬治君?」
「さっきはこの辺りをうろうろしていました。夕方ぐらいに紗枝先生の家に来る予定だと思います」
この時、俺は八枝さんに敗北したと言っていい。
八枝さんの憎たらしい笑顔が視界に入ってきた。
「そっか……そうだよね。ちょっと興奮して慌てて出て来ちゃった。ごめん、帰るよ」
「あ、はい」
紗枝先生は出て行き、八枝さんは笑っていた。
「で、どうする? いい事、してあげようか?」
「いや、遠慮しときます」
再突入を恐れ、そんなことしてもらう度胸はない。興味はあるが、紗枝先生が頭にちらついて離れないのだからしょうがない。
これ以上は、完全に裏切り行為だ。俺は紗枝さんの事が……。
「へたれ」
「風邪をひかないよう、ちゃんと温まってきてくださいね」
八枝さんの言葉なんて聞こえないふりをし、俺は浴室を後にするのだった。
「さすがだな」
八枝さんの靴は巧妙に隠されており、服も時間をかけなければわからないところに入れてあった。
おまけに、携帯電話を見てみるとメール送信欄に『双子見ました。至急お願いします。鍵、開いてます。』の文字を見つける。
胃薬を買っておいた方がいいぞと、死んだおばあちゃんが助言してくれたような気がした。




