土谷真登:第十話 下駄箱は宝箱
俺専用となりつつあった拳は初めて空を切り、耳に風を送るだけだ。
「……殴るなんて、出来るわけねぇだろ」
「そ、そうか」
悲しみに暮れた表情を見ると何故だかドキッとしてしまう。
「何だか……泣いてね?」
「なっ……泣くわけないだろ! 馬鹿やってないで帰るぞ!」
右手に俺と自分の鞄を掴み、左手で俺の手を掴んだ。
「そうだな。帰るか」
コンクリを穿つ程の拳の割には柔らかくて女の子の手をしていた。
「土谷」
「何だよ」
「俺さ、思いだしたよ。夢の中でお前の爺さんに会った」
「……うちの爺は死んでるよ。あたいは顔も知らないね。何するために化けて出てきたんだ?」
「お前を止めるためじゃないのか?」
「……あたいを止めるため?」
「ああ、多分。きっかけを作ってくれたのはお前の爺さんだと思う。だから俺はお前に出会えた」
「……神様なんざ信じねぇよ」
ぶっきらぼうにそう言って下駄箱を開ける。そこから手紙が沢山出てきた。
「何だそりゃ」
「な、何でもねぇよ。ただの恋文だ! 立候補した日から入りだしたんだよ」
え、恋文……。
愕然とした気持ちになっていると肩を叩かれる。
「別に珍しくもないだろ?」
「いや、すげぇな。そんなにもてるのか。はは、すげぇーえなぁ……」
何だか知らんが、土谷に殴られた時よりも痛い衝撃が走った。
「……お前んとこにも入ってるよ」
「は?」
そういいつつ下駄箱を開ける。
一枚の紙が……ただ二つ折りにされた代物だ……床に落ちた。
「……な、入ってたろ?」
「ああ」
拾い上げ、中身を確認した。
「……こっちみろ?」
手紙に書かれていた事はたったそれだけ。
土谷の方を何と無く見ると、顔を真っ赤にしていた。
「ちょ、ちょっかい出してきたのはお前だ。だ、だから最初に唾付けるのはあたいだ!」
「へ? あ、ああ……」
上ずった声は新鮮なもので……どんな時でも堂々としている土谷とは思えない顔をしている。
うつむきがちで、顔を真っ赤にしているのだ。とても、可愛い表情をしている。
「あ、あたいは……冬治が……す、す……」
すぼめた形のいい唇が横に開き始める。
「好きなんて、面と向かって言えるわけねぇだろっ……くそがーっ!」
「わぷっ!」
もう俺に次はないのだ。
土谷の……いや、真登の告白を聞くまで死ぬわけにはいかない。
飛んできた拳を根性で避け、俺は距離をとった。
「はーっ、はーっ! 恥ずかしくて死ぬかと思った!」
そんな真登を見て可愛く思ってしまう。
「真登、ありがとう」
「あ?」
「告白されて凄く嬉しい」
「そ、そうかよ。それで……返事は?」
期待と不安がごちゃ混ぜの表情だ。
俺は土谷真登の事をどう思っているのか?
放っておけないのだ。
じゃあ、その感情は一体どこからきているのか……謎だ。
謎でも何でも、真登の告白は凄く嬉しかった。
「冬治」
「ん?」
「まだかよ。三分経ってるぞ」
「……ちょっと待ってくれ。今どうやったら真登を喜ばせられるのか考えてる」
途端に真登は嬉しそうな表情になった。
「そ、そーかよ」
「ああ……だからちょっと待ってくれ」
それから五分後、真登が近づいてきた。
「冬治」
「ん? もうちょっとで……」
「馬鹿、なげーんだよ!」
「いてっ」
「あ、あたいは変な理屈は要らない。お前の言葉と、行動で見せてくれればいい」
「……そ、そうか? 単純すぎないか?」
「あたいは単純なんだよ! それでいーんだよっ」
そういって真登は目をつぶった。
こ、これって……あれ、だよな。
「……ま、真登。その……好きだ」
「んっ!」
「わかってるよ!」
深呼吸だ、深呼吸……ふー。
両肩を掴むと軽く震えていた。
「よ、よーし、周りには誰もいないな?」
「……おせーんだよっ! こうすりゃいいだけじゃねぇか!」
記念すべき二人のファーストキスは……俺が奪われる形となった。




