土谷真登:第三話 記憶喪失(部分的)
「とーじくんっ」
夢の中で美少女が俺の名前を呼んでくれるのなら最高である。
そんなものはただの夢だ。
「現実は厳しいもんだな。ここには爺さんがいるだけだ」
「これもお主が見ている夢みたいなものじゃがな。今回は勝手が違って、あっちに行くと地獄がまっとるよ」
爺さんが指差す先には奈落の杜が広がっていた。
「へぇ、てっきり俺は三途の河に行きつくのかと思ったよ」
「川も森も境界のようなもんじゃ。人によっては洞窟が出たりもする」
「……あのさ、つまるところ俺は……」
「大丈夫じゃ。まだ死んではおらん」
そういって爺さんは顎ひげを撫でる。
「とは言っても、奈落の杜は際限なく広がる」
爺さんの言う通り、杜は俺の方へとタネを飛ばし、木々を成長させ、飲み込もうとしていた。
「この前じいさんは何か話をしようとして時間切れだっただろ?」
「そうじゃ。今回はお前さんがあの杜に捕まるまでに話さないと時間切れじゃ」
この爺さんが意地悪じいさんなら俺を散々じらすだろう。
もしくは、目の前からどろんと消えてしまうかもしれない。
「時間はない。お前さんはわしの期待通りやってくれておる」
「え?」
想像もしない言葉を投げかけられ、俺は目を見開いた。
「人は神様になるものではないかもしれんの。人は人であるからこそ、友達になれるのかもしれない」
「格言とかいいから助けて!」
爺さんがドヤ顔している間に蔓は際限なく伸びてきている。
「だーっ、捕まった!」
逃げる努力はしても無駄だ。だって、逃げようとしていた方向にいつの間にか杜が出来てるもん!
「おっと、そうじゃった」
もう駄目だと思っていた時、俺は初めてこの爺さんが神様に思えた。
後光が差して、俺を襲わんとしていた蔦が動きを止めたのだ。
「すげー、爺さん本物だったのかよ」
俺を拘束していた蔓の力も弱くなっていく。
「むぅ……外れたわしではこの程度が限界か。さっさと目を覚ますのじゃ」
「え?」
どうやら、助かったわけではないらしい。
俺は右を見て、左を見て天を仰いだ。
「どうすりゃいいんだ」
その直後、誰かに思いっきり殴られた。
――――――
「ふぁ?」
目を覚ますと校庭に背中を投げて寝ていたようだ。
「何だ? 一体何なんだ?」
「よかったー……冬治君っ」
「わぷっ」
上半身を起こしたところで七色に抱きつかれた。
クラスメート達、そして先生方が俺の事を信じられない目で見ていたのだ。
「おいおい冬治ぃ……お前、三階から飛び降りたそうじゃないか」
「……誰?」
ミイラ男が俺に話しかけてきた。
俺は夢でも見ているのだろうか。
「お前の友達の只野友人だ」
「あ、ああ……知ってたよ。そうだよな、うん、俺の友達だった……よな? 中学からの友達だっけ?」
こんな友達いたっけ?
うーん、頭を何処かに打ったのか……それとも友達と偽って近寄ってきているのかもしれないな。
「先生、彼は危篤状態です。友達の顔を思い出せていないようなんです! ドクターを呼んでください! 誰か、誰か彼をっ……あひんっ!」
騒いでいた友人を蹴っ飛ばし、俺に近づいてくる影があった。
「何だ、目を覚ましたのか」
そして彼女は俺を見下ろしている。
「土谷……」
「意外とお前、頑丈なんだな」
その表情は実に生き生きとしていて……そうだな、もっと詳しく言うのなら投げても壊れない豆腐を見つけたような表情だ。
ぶつけて良し、蹴って良し、食べて良しの三重奏。
「お前さ、人間?」
土谷にそう言われて俺は一笑するしかない。
「当たり前だろ。人間じゃないのなら一体何なんだよ」
「……神様?」
この場には俺だけではなく、他の生徒達もいる。
暴君と呼ばれ恐れられている人間がいきなりこんな事を言えば黙ると言うもの……静かにしていた。
「ああ、なるほど。冬治君が神様ならそれをぶっ倒したら暴君は神様を超えるのか」
「……それに、神様なら早々くたばらないだろうからなぁ」
七色と友人がそう言うと周りも納得していた。
「ま、冗談だろ」
ただ、土谷の顔は冗談を言っているつもりはなさそうだが、それは別にいい事だ。
何事も前向きに考えて行こう。
ついでに、楽観的に考えることにしよう。
その後、三階から落ちたと言う事で病院に連れて行かれたものの大丈夫そうだ(後の検査でも異常は見つからなかった)と言われてほっとする。
もっとも、ほっとしたのがいけなかったのか……次の日から面倒なことになったのだ。
「面倒だ。帰る」
「え、ちょ……」
四季先生の授業中、いきなり土谷が立ちあがり、いつものように帰宅準備を始める。
またか……周りのクラスメートは諦めた節があった。
まぁ、俺もそっちの方が平和でいいと思うけどね。どうせ、四季先生じゃ止められないだろうし。
「や、矢光君。お願い!」
「え?」
ただ、その時授業を担当していた四季先生は暴君をどうにかしたいらしい。
俺を指名してきたのだ。
「あの、問題を解けって事ですか?」
淡い期待は黒板に書かれた簡単な数式に向けられる。
「ううん、土谷さんを机に座らせて!」
「え? 俺が?」
周りのクラスメートを見ると、いいんじゃないかなという表情をしている。
「なんだ、早速遊んでくれるのか。いい加減授業には退屈してたんだ。聞いていても眠くなるような声だしよぉ」
「うう……ひどい」
よよよと泣き崩れる四季先生に対し、男子生徒の中からは『暴君様の言う通りだわ―』『先生を目で追っかけているだけで眠くなっちまうしなー』等の賛同が聞こえてくる。
「ともかく……お前が相手してくれるのなら残ってやるよ」
「すげぇ上から目線だな」
「当然だろ? それで、どうするんだ?」
誰かにまるなげするにしても、相手が悪すぎるよなぁ。
女子供に容赦なし、足元に寄ってくる動物はとりあえず蹴っ飛ばす顔が気にくわないと言うだけで病院送りにされた教師もいる。
それだけおっかねー相手なのだ。
「ああ、相手になってやろう」
「おぉ、その意気だ」
サンドバック宣言した俺に目を輝かせるのもどうせ数秒だ。
「だったら、大人しく授業を受けるんだな。放課後になったら相手してやるよ」
「本当だな?」
念を押してきたので頷いておいた。
心の中では恐怖心が芽生えつつあるが……俺も男だ。覚悟を決めるしかない。
少し邪魔が入ったものの、おおむね日常的な授業風景を見る事が出来た。
いつもだったら眠くなる四季先生も、今の俺には緊張した授業へと早変わりだ。
なにせ、これが終わったら……あの出鱈目な暴君と『遊ぶ』約束があるからな。
「どうにかして穏便に済まさないとなぁ」
腕っ節は自分でも立つ方だと思う……思うがね、六十超えの体重を軽々と対岸へ放り投げてしまうような相手だぜ?
「ここでぽんと友達がパワードスーツでも開発してくれたらいいのに……」
そう、白衣にぐるぐるめがねの男子生徒とか幼くして博士号を取りまくったヒロインでもいい。
「……いないな」
今回転校してきた場所にそんな人達はいなかった。
非日常的な存在は……俺の後ろの席で嬉しそうに腕を鳴らしているだけだったりする。




