葉奈:第六話 やみましたか?
帰宅し、部屋の中へ向かってただいまという。
室内はとても静かで、今日も聞こえてくるのは降り続いている雨音だけだ。
おかえりが返ってくる家はいい家だ。俺にとってはすごくいい家だ。
そして、自分が家に居る状態でただいまと言って誰かが帰ってくるのなら最高の家だろう。
残念な話、俺の住んでいる部屋にそう言った相手はいなかった。あれから約一週間が経っているのだ。
「葉奈ちゃん今頃何してるんだろう」
期末に向けての勉強がはかどるわけもない。
心此処に在らず、だ。葉奈ちゃんの分の夕食を作らなくていいとポジティブに考えたら惣菜生活に成った。
葉奈ちゃんの分のお弁当を作らなくていいと思ったら購買のやっすいパンか食堂に行き始めた。
一人分の洗濯物だからまとめてでいいだろうと思ったらまだ洗っていない。
「葉奈ちゃんが俺の生活の根本を支えているとは……」
元はと言えば、俺が葉奈ちゃんに対して『別れて暮らしたほうがお互いの距離感を掴める』等と偉ぶってみたのが悪かった。
まさか、葉奈ちゃん一人が居なくなっただけでここまで心にぽっかりとした穴が開くとは思わなかったぜ。
まさしくそれは虚無感だ。パンツを履き忘れた時と似ているのだ。心許無いのは何故だろう、風呂上がりの上気した肌を見る事もなくなってほんのちょっと、悲しい。
例えはともかく、一言で言うなら寂しいのだ。
「……電話でもするか?」
今頃、葉奈ちゃんは自宅で犬かもしれない。はぐはぐとか、ぺろぺろ、ちんちんも楽しんでいるに違いない。そして、父親の方は大喜びしているはずだ。葉奈ちゃんが家に帰ってきたのだから……。
「はぁ…」
俺もあっちに戻ればよかった。父親のことは嫌いだが、葉奈ちゃんがいるのなら我慢できる気もする。でも、それじゃあ意味が無いんだよな。
俺の気持ちなんて、葉奈ちゃんがいなくなり哀愁を感じている時点で……わかっているんじゃないのか? でも、それはこれまで一緒に住んでいたからそう感じているだけじゃないのだろうか。
考えても、答えは出ず、寝る前にもつい考えてしまうようになっていた。
「はぁ、やれやれ」
出るのはため息ばかりだ。先ほどから練習問題の回答欄は白紙のまま、暗記は目から入って口からため息しか生み出していない。
ただ時間をつぶすためだけのテスト勉強を初めて一時間程度が過ぎた。その時、チャイムが鳴り響く。
「はーい」
誰かが遊びに来てくれたのか……テスト期間だと言うのに勇敢な事だ。
人はそれを蛮勇と呼ぶ。転校する前はよくやって赤点マッシグラー冬治と呼ばれたものだ。
とにもかくにも、今はチャイムの相手をしなくては。
なんとなく、予感としては葉奈ちゃんが来たんじゃないかといったものがある。
「誰です…いないな」
どうやら訪問相手は俺ではなく、チャイムの方に用事があったらしい。今頃ピンポンダッシュなんて小学生でもやらねぇよと毒づいて扉を閉める。
葉奈ちゃんを追い出したあの日のように、今日も雨が降っていた。明日まで雨が降ると言っていたか。
「……ん?」
腰を下ろしたところでベランダの方から音がしている。
「何だ?」
確認すると、広場のようなところに葉奈ちゃんがいた。
「兄さん」
「……葉奈ちゃん」
「贈り物届いた?」
ここからでは彼女の表情を確認するのは雨と厚い雲のせいで難しい。
目を凝らすと、なんとなく葉奈ちゃんは笑っているように見えた。
「贈り物?」
「うん、贈り物」
さっきのチャイムでは扉しか開けていなかったので改めて玄関へと向かう。
「ああ、これだな」
脇の方に一つの箱があった。
葉奈ちゃんからは想像できないようなファンシーな箱が置いてあり、真っ赤なリボンまでしてある代物だ。
「あったよー……あれ?葉奈ちゃん?」
言うだけ言って満足したのか、もしかしたらこのまま部屋に上がってくるつもりなのかはわからない……葉奈ちゃんは既に姿を消していた。
しょうがないので、包みを開ける。
「子犬のぬいぐるみかぁ」
本日、誕生日……というわけでもない。
ただの贈り物だろうか?
メッセージカードもあり、そこには『大好きな兄さんへ。ベッドにでも置いて』と下手くそな字で書かれていた。
「うわ……」
裏には真っ赤な字で『これでずっと一緒だよ』と書かれていた。
うーむ、結果的に追い出し、答えを寄こさない事に対して、少なからず恨みを持っているようだなぁ。
こっちもこっちで寂しいのだと伝えていいものか考えて辞めておいた。
「真面目に考えるって約束したもんな」
葉奈ちゃんからもらった子犬のぬいぐるみはメッセージカード通り、布団の近くに置いておくとしよう。
次の日の朝、学園で葉奈ちゃんに会うと笑っていた。
「兄さん寝言で『葉奈ちゃんいかないで!』って言ってた」
「え、寝言?」
「うん、じゃあな」
たったそれっきりの会話だ。
その後、葉奈ちゃんは俺の隣を走り去って近くの不良を吹き飛ばしていたのだった。
残ったのは疑問だけだ。もしかして葉奈ちゃんは俺の寝ている間に部屋に上がり込んだのだろうか。
疑問は晴れず、俺は首をかしげるしかなかったのだった。




