四季萌子:第二話 既に落ちた二日目
担任をからかった哀れな生徒は面倒事に巻き込まれて終えるのでした。
ちゃんちゃん……。
お話なら、それで簡単に閉められるはずだ。非日常ながら、事実なのでどうにかするしかない。
勿論、先生を見捨てると言う選択肢もあるわけだ……しかし、そんなのは無理である。
「……もうどうしようもないだろ、これ。耐えられてねーじゃん」
「すー……」
こういう時こそ、現実逃避だ。脳内はいつだって現実に苦しめられる人間を応援してくれる素晴らしい場所なのだ。
そもそも、何で一緒に寝ているんだっけ?
「ああ、そうそう。思い出したわ」
折角、恋人が同居し始めたのだから一緒に寝ようと言いだした。
俺の隣で寝ているのは当然、萌子先生……じゃなかったな。萌子さんは意外と強引な性格でなのだ
さすがに、一緒に寝るのはまだ恥ずかしいとごねた。
その後、彼女は同じ部屋に寝るのは許可してくれと俺の布団にもぐりこんだのだ。
「さ、カミン。予備の布団なんてありませんよね?」
「……いやー、それがあるんだなー」
仕方が無いので、予備の布団を引っ張り出して隣に寝た。
朝起きてみたらもう、こりゃアウトだ。
男の子と喋った事もないと言っていた少女は……俺の布団に入りこんで、勝手に腕枕して寝ていた。
おかげで、左腕の感覚が無い。
「……はぁ」
そして俺もやっぱり男だわ。
右手に残る柔らかな感触を思い出しながら、萌子さんの肩を揺する。乱れた着衣を直すのも忘れない。
「先生、先生っ、起きてください」
「……むにゃ、先生?」
寝ぼけ眼で俺を見る。
あ、もしかしてこのまま叫ぶんじゃないのか……不安に駆られた俺はすぐさま敷かれていた左腕を引っ張り、先生の下にまくらを、身体に布団を押しつける。
「やっぱり、まだ、寝ていてください」
「んー……うん」
叫び声をあげるよりも、睡魔が勝ったようだ。
まだ早い時間帯だからな。
隣に萌子さんが寝ていたので俺も朝早くに目が覚めたのだ。
怪我の功名という奴かな……まぁ、まずは朝食の準備だ。
「ん……」
寝ている萌子さんに後ろ髪を引かれつつ、寝室を後にするのだった。
それから数十分後、朝食が出来て、萌子さんを起こしに寝室へと戻ってくる。
「あ、冬治さん。おはようございます」
昨夜着用していた服は洗濯しており、代わりに俺の服を着ている。
「……うん、いい」
「はい?」
「いや、何でもない」
ちょっと大きいけれど、仕方ないさ。
「おはよう、萌子さん。朝ごはん出来てるよ」
「今行きますね。本当は私が作ってあげたかったんですけど」
「……気にしないでいいよ。えーと、順番に作るのも悪くないでしょ、恋人としてはね」
萌子さんが張り切って目を覚ましたら大変な事になるのではないか……そう思うのだ。
「朝食は俺が作る。その代わり、晩御飯はお願いするからさ」
「わかりました。あ、でも晩御飯のお買いものはどうしましょう? 外へ出てはまずいんですよね?」
萌子さんと一緒に外でデートかぁ……等と既に骨抜きにされつつある自分が悲しいぜ。
一緒に住み始めてまだ二日目の朝だと言うのに、既に周りが見えなくなりつつあるぞ。
「あー、そうだった。どうしよう……あ、そういえば萌子さんって携帯電話持ってる?」
「携帯ですか? そういえば最近出たばかりなんですよねぇ……」
ああ、そうか。萌子さんはとても前の人間(失礼か)なので携帯電話が出た最初の頃の人、なのか?
いやいや、結構前から携帯自体はあるし……ま、そこまで考える必要はないな。
今だって持っていない人もいるし。
「それで持ってるの?」
「持ってないです」
「まぁ、ここには固定電話あるから晩御飯の準備が出来たら一度鳴らして切ってください。こっちからかけ直しますんで」
「そうですね、そうします」
二人で決まり事を再び確認し、俺は時計を見た。
「おっと、そろそろ学園に行ってくるよ」
「はい、いってらっしゃい」
玄関の所まで付いてきてくれた萌子さんに頭を下げ、俺は出て行こうとする。
「待ってください」
「何か忘れ物でも?」
「はい。いってらっしゃいの、キスです」
そういって俺の唇に軽く自分のそれを触れさせた。
「も、萌子さ……ん」
「……」
そしてそのまま限界までくっついたままだった。
夢見心地の俺を見て、萌子さんは言った。
「……は、恥ずかしいですね」
「恥ずかしいのならしなければいいかと……」
「むぅ、そう言う事、言うんですか?」
「まぁ、その……嬉しいけどさ。じゃ、行ってきます」
「いってらっしゃーい!」
嬉しい半面、すっげぇ、罪悪感がある。
昨日からいたいけな少女を騙し続けているし、そのファーストキスをもらったに等しいのだ。
夜だって……。
「はぁ……女の子って意外といい匂いなんだな。って、いかんいかん」
萌子さんの匂いを思いだしそうになる自分の頭を思いっきり振る。
「俺は朝から一体何を考えているんだ! あーでも、本当の彼女じゃ……」
「白取君、一体何を朝から騒いでるの?」
怪訝な顔をして俺を見ている人物が居る。
一応、他にも人は歩道を歩いている物の、俺を見ようとする者はいなかった。
「何だ、赤井か」
「何だとは何さ。人が折角おかしくなった白取君を心配しているって言うのに」
「そういう心配は要らないし、俺は正常だっての」
「ふーん? じゃあ何を騒いでたの? あ、もしかして彼女でもできた?」
赤井は変なところで感がいいなぁ……。
誰かに説明するのは億劫だ。ここは適当に真実を交えながら嘘をつこう。
「そーなんだよっ、俺に彼女が出来たんだ」
「朝っぱらから妄想彼女の話は良くない」
危ない人を見る目になった。
お前さんの方が肉体的に危ない奴だろうに。
「いや、マジで」
「……本当に? それ、ゲームの中の人なんじゃないの?」
「ちげーよ。何だよ、ゲームの中の人って。ゲームはきぐるみじゃないから中に人は居ないだろ」
「話がややこしくなるって。ねぇ、それって本当?」
「ああ、本当だよ」
嘘は一度付いたら常に選択を迫られる。
付き続けるか、ばらすか、ばれた後謝るか……。
行ける所まで行くのが俺の信条だ。
「へぇ、本当なんだね。何か問題が起こったの?」
さて、本番はここからだ。
「そうなんだよねぇ。付き合ってみてわかったんだけれど意外とアグレッシブなんだ。てっきり、見た目が大人しそうだし、奥手なのかと思ったら……うーん、初めての彼女で戸惑ってるんだ」
やっぱり、持つべきものは友達だよな。
俺の話もちゃんと聞いてくれ……て、いなかった。
「あー、聞きたくない。うざっ」
うざって、ちょっと酷くないか?
赤井は俺を一瞥し、言うのだった。
「そういう悩みはバカップリングしているときにやるといいよ」
「お、おい、お前さんの方から聞いてきたんじゃ……」
「あんまりうるさいと、狼が来るよ! 狼が病院に送ってくれるよ」
最大の脅し文句を放った赤井に俺は頷くしかない。
狼人間状態の赤井に勝つのは不可能だ。パンチ一発でコンクリを穿ち、キック一撃で車を蹴飛ばすのである。
これが冷静沈着な人間ならまだよかった。赤井は直情タイプの人間なので、怒りっぽいところもあるからな。
「へいへい、俺が悪ぅ御座いました」
「うん、よろしい。あ、おはよう深弥美さん」
赤井が俺に向かってそんな事を言った。
「おい、お前の方がおかしくなったんじゃないのか? 黒葛原さんなんていない……」
「……冬治」
気付けば脇に黒葛原さんが立っていた。
相変わらずの忍者スキルである。前世は優秀な蛇だったのかもしれない。
荷物に隠れて侵入し、何でもやってのけるんだろうよ。
「……おはよう」
「あ、おはよう。それで、俺に用事?」
「……彼女の話」
黒葛原さんが言った言葉に、赤井が大いに驚いていた。
「え、嘘……さっきの話って現実だったの?」
「だから、さっき言っただろ」
「マジで虚構の彼女かと思ってたよ」
「俺、今度狼を街中で見かけたりしたら二度と外を歩けなくなるような酷い目に合わせてやるから覚悟しとけよ。黒葛原さん、ちょっと話が……」
「……何?」
赤井にそういって、俺は黒葛原さんの腕を引っ張った。
「あ、ちょ、二人で内緒話とか!」
「お前は彼女に興味ないんだろ?」
それに、事情を話すのは骨が折れる。
「……冬治、赤井の協力も必要」
「え、そうなの?」
「……説明は、こっちでしておく」
赤井に近づき、耳元で何やら喋り始めた。
大人しく聞いていた赤井は徐々に……俺を蔑むような視線へと変わった。
な、何だ? 一体、どんな説明をしたんだ?」
「白取君」
「ん?」
「さいってーだよっ!」
「え、何故?」
確かに、薬を飲ませたのは俺だけどさ、最低って酷くないか?
い、いや、確かに……確かに、昨夜の俺がした事がばれれば最低何言だろうけどさ、一緒にいたわけじゃないんだ。
ばれるわけがない。
「な、何の事を指して最低だと言っているんだ?」
「……萌子先生と付き合うようになって、中々そういう事出来ないからってその……そういう薬をっ、深弥美さん騙して作ってもらうなんて!」
え、どういう事だと黒葛原さんを見ると眠たそうな顔をしていた。
「……自業自得」
多分、彼女なりの仕返しなのだろう。
解毒剤的な物はしっかりと作っているが、睡眠時間を削られた。そこで、原因の俺を陥れるつもりなのだ。
まぁ、そうなったら仕方ない。しかし、ここでも萌子先生が俺の恋人役なのか……。
「あー、いや、そういう薬だとは思わなくてな。うん、それに黒葛原さんから聞いたろ? 若返ったって」
「うん、聞いたけどさ……やりすぎだよ」
「あ、ああ……ほんのちょっとの出来ごころなんだ」
「……ふっ、ふふふ、冬治の、出来心」
黒葛原さんってあんなに愉快そうに笑うんだな。
赤井に二度ほど殴られ、俺は今後絶対に担任をからかう事を辞めようと再度誓うのであった。
気を取り直し、今後の事を二人に相談していると学園に到着。
二人とも同じクラスなのでそのまま教室へ向かっていると教師が脇を通って行く。
「四季先生と連絡が取れないな」
「そうですね、どうしたんでしょうか」
やっぱり、そうなるよな。
そのまま、教室へと向かい、赤井は情報収集に出かけた。黒葛原さんは机にまくらをセッティングして眠りに入ってしまう。
「そして俺は今日の単語テストのため、英単語帳を開くのであった……」
俺が単語をあらかた覚えたところで赤井が戻ってくる。
「どうだっ……うがっ! いてぇな!」
顔面にパンチが飛んできた。
「何で人が調べているのに英単語覚えてるの!」
「心外だな。俺はな、赤井の代わりに英単語を覚えてあげているんだよ」
「へ?」
ここで不思議な顔をする赤井。
「どういう事?」
「赤井は英単語、苦手だろ?」
「うん」
「俺が英単語を覚える……もし、授業で当てられてわからなくても、俺が助けられる……違うかね?」
「あ、そっか。白取君頭いい」
「ふぉふぉふぉ……それで、噂の方はどうだった?」
嘘を言っているつもりはないさ。赤井の英単語テストがどうなるかは知らないが……。
「やっぱり、広まっているみたいだね」
「そうか。こっちも教室に居たらたまに話している人が居たよ」
「どーしよっか?」
「……何とか、なる」
黒葛原さんは起きあがって俺たち二人を見ていた。
「あの薬の解毒剤的な物はあるんだよね?」
赤井の言葉に黒葛原さんは首を縦に動かした。
実に緩慢とした動作で、何故だか眠気を誘われる仕草だった。
「……鋭意、製作中」
頼みの綱は黒葛原さんだけ。
「あれ、さっき赤井の協力も必要って言ってなかったっけ?」
「あ、そういえばそうだったね」
赤井と二人で黒葛原さんを見ると彼女はビデオカメラを取りだした。
「ビデオカメラで何か撮るの?」
「……赤井には、先生が今を生きたいと思わせる何かを撮影してほしい」
今を生きたい?
俺は首をかしげ、赤井を見た。
何やら難解な匂いが漂うけれどさ、赤井で大丈夫なのだろうか?
「うーん? よくわからないけれど、頑張るよ。わたし、萌子先生の事好きだから!」
少々、不安だけれど赤井の協力が必要なのだろう。
黒葛原さんの決定に文句を言えるほど、俺も偉くないし、勇者じゃない。
「俺は撮影しなくていいのか?」
「……冬治は、先生の監視が基本。逃げられると、厄介」
まぁ、そりゃそうか。
「……あの薬が厄介なのは、現状でもいいと思ってしまう事。二十歳以上が飲むと、副作用として記憶喪失を引き起こす」
先に注意してほしかった。
まぁ、後の祭りだがね。
そもそも、俺が悪いのだから黒葛原さんを責められるわけもないのだ。
「……後、ぼろを出さないように」
「りょーかいっ」
赤井が敬礼し、俺もそれにならう。
「了解!」
その日は一日、萌子先生の失踪話は噂程度で終わっていた。
「ぎゃあああっ、英単語のテストが最悪だったぁ」
本当、何も起こらなくて良かったぜ。
噂によると、最近できた彼氏に早速振られて傷心旅行に出かけたのだそうだ。
噂の出所が職員室らしいからな……先生、可哀想に。
「おっと、着信か」
放課後、今後の方針を赤井、黒葛原さんと話し合ったと別れてすぐに連絡があった。
自宅から、つまり……萌子さんからである。
「もしもし?」
「愛してます」
「……萌子さんですよね?」
「はい。冬治さん? 今日は肉じゃがを作ろうと思っているんです。お醤油切れていますからお醤油とジャガイモ、ニンジン、牛細切れとあとは……ああ、お砂糖も心もとないです」
今の愛していますは……何だったんだろうか。
「冬治さん?」
「え、あ、わかった。買ってくるよ」
さっそく腕前を見せてくれるみたいだな。
昨日御馳走してくれたあり合わせの品で作った晩御飯は中々おいしかった。
何を食ったのか思いだそうとすると、風呂上がりの事やら、寝る時の事をセットで思いだしそうになるのでやめておいた。
「ん? そういえば……歯磨きも要るなぁ」
一週間とはいえ、萌子さんも女の子だ。
シャンプーは別の物にしておいた方がいいと赤井も言っていたし、コップもちゃんとしたのを買っておこう。
本来なら昨日のうちに先生の家から必要な物を採ってくれば良かったんだけどさ……そこまで気が回らなかった。
少し遅くなる事を萌子さんに告げ、俺は買い物へと向かう。
「ふー、こんなもんか」
それから約一時間をかけて、俺は食品やら日用品を買ってきた。
結構な出費になったものの、そのぐらい出さないで何が彼氏だと赤井に言われたのである。
やれやれ、本当に面倒なことになっちまったもんだぜ……お釣りが来ているくらいだけどさ。
「ただいまー」
「あ、お帰りなさい」
手痛い出費であるものの、何だか萌子さんの笑顔を見ただけで全部どうでもいい気がしてくる。
うん、あれだわ。俺将来的に女性に貢ぎまくって身を破滅させるんじゃないのか?
将来の事を憂いつつ、先に俺は食材の入った袋ではなく、日用雑貨をテーブルの上に置いた。
「冬治さん、お帰りの……」
照れた感じで彼女は俺の肩に手を置く。
「あーいやー……ちょっと、待って。その前に色々と買って来てるからさ、見てくれないか?」
「はい。あのー、この大量の袋には何が?」
「歯磨きとか、シャンプーとかだよ」
「えーと、ありがとうございます」
「後は……良くわからなかったけれど、女性の店員さんに話を聞いていくつか服、買ってきたよ」
そういって俺は紙袋を渡す。
「そ、そんな……お世話になっているのに、ここまでしてもらうのは悪いです!」
「いーんだよ」
こういうときは強引にでも渡したほうがいい。
それに、格好のいいわけみたいなものがあるからな。
「彼氏だし、綺麗な彼女を見たいと思うのは当然さ。ちょっと着替えてみてよ」
「は、はい……」
「あ、髪も解いて眼鏡も外してみてね」
萌子先生が普段着ているような服をイメージして買ってきたからな。問題はないだろう。
ちなみに、服のサイズやらスリーサイズは……黒葛原さんがメモに書いてくれていたので何とかなった。
まぁ、女子の店員さんは若干引き気味で俺を見ていたけどな。
「ど、どうですか?」
「うん、ばっちりだよ」
女性物の服の選び方なんて良く知らない(自分の服でさえ、適当なんだ)俺を誰も責めやしないさ。
こういうのはプロに任せておくのが一番、だからと言って、レンタルショップのおっさんと一緒に自分にあったAVを探してもらう真似なんてしちゃ駄目だぞ!
本気で探してくれる人もいるんだから、絶対にしちゃ駄目だぞ!
俺がアホな事を考えている間に、萌子さんは着替えを済ませていた。
「うん、マジでかわいいな……」
「そ、そんなに……可愛い……でしょうか?」
「バッチリすぎる」
やはり、プロの見立ては凄いな。特徴だけでここまで想像通りの物を選ぶんだからさ。
「褒めないで下さい! 恥ずかしいですよっ」
褒められるのが苦手なのか、顔を真っ赤にして腕を振りまわしている。
「あ、悪い……えーと、じゃあ、肉じゃがを作ってくれよ」
「は、はい。任せてくださいっ。愛情、込めますね」
「どーんとお願いするよ」
こうして、二日目も過ぎていったのだった。




