黒葛原深弥美:第九話 恐ろしい存在
彼女が出来て、水着が拝める季節ならやっぱり拝んでおきたい。それが男の、彼氏の心境ってやつである。
「山の方に湖があって良かったぜ」
いや、本当にあってよかったぜ。
学園でも水泳の時間に水着姿は拝めたけど、やっぱりスク水よりビキニのほうがいいなぁ。
「……どう?」
「ばっちり」
水着姿自体は一緒に買いに行っていた。事前に見ていたりするんだけどさ、それでも背景が湖だと新鮮なのだ。
黒のビキニはばっちし似合っている。
「うん、素晴らしい!」
そして、この水着姿を拝めるのは俺だけなのだ!
「うはーっ、深弥美さんの水着姿とかマジでテンションあがるっ。俺、泳いでくるよ!」
湖面に向かって走っていこうとしたら恐ろしいほどの力で抑えられた。
「……待って」
「え? 何で?」
もしかして、水に入らないでここでお楽しみするのか?
お、おう、マジかよ……今日の深弥美さんは露出が凄いからな。うずくまらないといけなくるって。
俺の煩悩垂れ流しの言葉なんか完全に無視して、深弥美さんは俺を守るように前に出た。
「……誰か、見てる」
深弥美さんにそう言われて、俺も辺りを見渡した。
一応、他にも人はいるんだけど、こちらを気にしているような人はどこにも見当たらない。
いるのは水着姿のギャルか、家族連れだ。遠くに釣り人の姿が見えるくらい……かな。
「いないよ?」
「……あそこ」
指を指す先には湖が……湖の中にも当然ながら遊んでいる人はいる。
遊んでいる人達が俺達の事を見ているわけもない。
「……違う、そこじゃない」
「どこさ?」
「……あれ」
後ろから頬を挟まれた。
自分の手とは比べられない程、手触りのよい手だ。
つい、自分の手を重ねてしまう。
「……先に、ちゃんとみて」
「う、うん」
背中に押し当てられる柔らかな何かを意識しないようにして……その場所を見る。
「……嘘だろ」
確かに、深弥美さんが言うようにこちらを見ている奴がいた。
湖面から女が、こっちを見ている。
半分透けていて、びしょぬれの女だった。
「な、何あれ?」
「……隙を見せると、引きずり込まれる」
マジか。
再び見ると、女と目があった。
唇をゆがめ、女は嫌な笑みを浮かべる。
「……」
口を動かした。
みつけた、そう言われた気がする。
「……マジかよ」
瞬きの間のうちに女は消えていた。
ホラーは大丈夫だが、本当にああいうのって、いるんだな。
俺の腕を抱くように、深弥美さんが後ろへと引っ張ってくる。
「……目を、つけられた。今日は入らないほうが、いいよ。泳がないと、暇だとは……思うけど」
「そうだなぁ……危なそうだし……今日は時間一杯深弥美さんを見てるよ」
「……」
背中を見せられる。
うーん、すごいな。日焼け、全然してないや。
きめ細やかな肌に、黒い水着がまた、エロいね。
「お尻も素晴らしい!」
「……えっち」
「はっ! 心の叫びを声に出してしまった」
それはさておき、深弥美さんに注意されて尚、湖に入ることはできない。女の方も俺に目を着けたみたいだしな、わざわざ危険な目に遭いに行くのはご遠慮願いたいね。
深弥美さんの隣に座って湖で遊んでいる人たちを見ている。
気分はあれだ、市民プールで一人高台の上から水着姿をチェックする人の気分だ。
ああいう人がいなければ、溺れた人が助からないからな。暑い中本当に良くやってくれていると思う。
「ん?」
湖面を激しく叩いている両手があった。
「誰か溺れてる! くそっ!」
「……待って」
他に気付いている人はいないようだ……そう思って走りだした俺に深弥美さんが抱きついてくる。
危うく二人でこけそうになったのを何とか押しとどめた。
「深弥美さん、危険だって言うのはわかっているけど、だからと言って見捨てるのは……」
「……よく、見て」
「?」
俺達よりも近くに居そうな人たちはあれだけ湖面を叩いていると言うのに、気付いていないようだ。
意図的に無視しているのか……そうではない、見えていないようだ。
「何だよ、あれ……」
俺は幻覚を見ている気分になった。
「……えいっ」
近くにあった石を深弥美さんは軽く投げる。距離があったのに、投げられた石は溺れていそうな何かに見事に当たった。
「あれ? 今何か音がしなかった?」
「魚じゃないの?」
やっぱり、聞こえていなかったらしい。
俺がぽかんと湖面を見ていたら、空間が割れるような音がした。
例えようの無い音を発したのは俺の隣人だ。
一体何事かと隣を見れば、いつもと様子が違っていたりする。
「……冬治に、冬治に……ちょっかい出す奴は……」
深弥美さんはいつだか、俺が夢の中で見た大がまを振りあげている。そして、投げつけた。
先ほど石を放り投げた場所に鎌が突き刺さり、断末魔が聞こえてくる。
「……酷い目に遭う」
「……あのさ、最初からこうすれば良かったのでは? ああ、何か考えがあったのか」
俺の疑問に対し、彼女は黙りこむ。
「……うん、さっさとこうしておけばよかった」
二学期以降、友達に深弥美さんと湖でデートしてきたと言ったら、お化けが出ると有名な場所だった。
行くのは観光客ぐらいで、地元の人達は寄りつかないらしい。
何でも、女の幽霊で自分の気に入った(どうやら元彼氏に似ている男をさらうらしい)男を溺れさせるのだそうだ。
「無事に帰って来れて良かったねー」
「ないない、白取君が襲われることはあり得ないよー」
「まぁな。俺には最高の彼女がいるからね。出たとしてもお茶の子さいさいだぜ?」
幽霊を見たとも言えないので、適当に話をあわせて俺は隣の席の彼女を見た。
「……例えが、何だか恥ずかしい」
深弥美さんは俺と目を合わせるとそっぽを向いた。




