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イチゴの飴玉

 緑、黄色、ピンクに青。白、オレンジ、それから赤。数は十くらいかな。

 紐の先にカラフルな風船を付けたのをいくつも手にして、川岸に女の子が立っていた。見覚えのある暗い緑のセーラー服を着ている。あたしの卒業した中学と同じだ。相変わらずださいなあ。せめてリボンくらい付けたらいいのに。

 夕方の河川敷には、散歩する人がちらほら。十二月の風は冷たかった。

 女の子は空に向かって、風船の紐を握る両手をすっと持ち上げた。

 彼女の指が広げられる。ゆったりと、風船が手から離れていく。

 あたしは足が止まってしまった。女の子の横顔は、まるで無感動に飛んでいく風船を見つめている。

 ほんのり赤い曇り空を鮮やかな風船が浮かんでいく。風に流されて、どこかへ。

 土手の上からその一部始終を見ていたあたしは、はっとした。帰る途中なんだった。一歩踏み出す。

 瞬間、女の子が振り返った。

 わ、目が合っちゃった。

 女の子は突然眉間に皺を寄せて、あたしの事をじっと見据える。

 え、ちょっとどうしよう、あたしなんかした?

 とりあえず目を逸らした。それなのに、女の子の方向からがさがさと音がする。やばい、土手を登って来てる!

 知り合いだっけ? いや、あたしには河川敷で風船を飛ばすような意味わかんない知り合いは居ない。

 ちらりと確認すると、女の子は厳しい表情ですぐそこまで来ていた。

 よくわかんいけど怖い!

 走って逃げようかと思った。でも、彼女はやけに必死だ。

「あの」

「は、はい?」

 明らかに年下なのに敬語が出た。

「今、不幸ですか?」

「はあ?」

「……不幸そうな顔してはるから」

 やっぱりやばい。絶対やばい。宗教とかそんなのだ。壺とか買わされるんだ。いっとくけどあたしは引っかからないからな!

「い、急いでるから」

「――待って下さい。わたし、世界中の人を幸せにしたいんです。あなたが不幸やと、わたしが困るんです」

 よく聞くと訛った話し方で、女の子はつらつら語った。なんじゃそりゃ。

 静かな声と、聞き慣れないイントネーションが、彼女の言葉を遠くのもののように感じさせた。目の前にいるのに。

 不幸、ねえ。確かに不幸かもね。変な人に絡まれてる訳だし。

「ごめんなさい、あたし、その」

「なんかあったんですか?」

 えらく遠慮のない子だ。けど、上目遣いにあたしを見る彼女は、彼女こそ助けを求めているみたいだ。

 もういっか。どうせ暇だ。

「振られたの」

「……それは、なんでですか?」

「相手に他に好きなのが出来たんだよ。もともと無理矢理付き合ってもらってたしねー」

 思い出すだけで笑える。このあたしが、他の女に負けたなんて。それも、あんな地味な女に。

 女の子は複雑な表情を浮かべてから言った。

「あの、話聞きます。ちょっと座りましょう」

 手首を掴まれ、土手に作られた階段へ連れてこられた。鞄を下ろし階段に並んで座る。なんだこの状況。

 手持ちぶさたに髪を触ると、ボサボサなのに気付いた。許すまじ。マフラーを取って、巻き直す。

「そんで、無理矢理付き合ってた、というのは?」

 妙に真剣な声色で、女の子が促した。

 あたしは息を吐く。

「付き合ってみたら好きになるかもー、とか言って説得したの。押しに弱い奴だったから、オッケーしてくれた。四ヶ月くらい付き合ってたかなあ」

「なるほど。そんなら、相手に他に好きなのが出来た、というのは?」

 ごく真面目に彼女は訊く。初対面の奴に話す事じゃないでしょ、どう考えても。だのに、不思議と口が動いた。

「たぶん後輩の子。二人で話してるところを見かけて、良い雰囲気だったから割って入った事ある」

 香坂、とかいうその子は、彼――宮田渉のお気に入りだった。たまに話に出て来たから。

 まあどう考えてもあたしのが美人だけど。

 香坂さんはあの日、あたしが「渉の彼女です、よろしくね」と牽制を込めて言った瞬間、顔を歪めた。でも、すぐになんともなかったと言わんばかりの表情に戻った。あたしはその時、負ける、と思った。

 最後に幸せを手に入れるのは、ああいう、無欲で自信がないような子なのだ、きっと。香坂さんみたいなタイプは、あたしの天敵だ。

 何を手に入れるためにも必死で出来ることをやるあたしより、なにもしないで膝を抱えているような女が幸せを勝ち取ることがあるんだ、たまに。これが一番悔しい。

「それは、残念ですね」

「……ほんとね。あいつ、別れ話でこういったんだよ。『君には、俺よりずっといい奴がすぐ見つかるよ』だって。確かにね、彼氏なんてすぐ作れるよ。けど、そういうわけじゃないじゃん」

 犬の鳴き声や、ジョギングする人の足音が鳴り響く。

 女の子は、黙っていた。

 あたしも、黙った。

 しばらく二人して河川敷を眺めていた。風船は、見えなくなっていた。

「さっき、あんたあたしに不幸かって訊いたじゃない」

「はい」

「不幸だと思う。けど、じゃあいつが幸せかって言ったら、渉といた時だった。幸せだった。だから今、不幸なんだよ。逆に言えば、不幸な時があるから幸せな時があるってこと? 幸せって、何かと比べなくちゃ分からないものなの?」

「そうかも、しれませんね」

「……じゃー、さ。誰かが幸せになるためには誰かが不幸にならなきゃならない、ってことだよね」

 あたしは、誰かのために不幸になる気はないけど。

 曇り空の隙間から夕日が漏れていた。

 右を見ると、女の子は顔を上げて真っ直ぐに前を向いていた。

「そんでもわたしは、世界中を幸せにせな、あかんのです」

 女の子の声は、あたしが何も言えなくなるくらいに、透き通っていた。

 ふいに彼女は立ち上がった。あたしに向かって手を差し出す。小さな手のひらには、イチゴ味の飴が乗っていた。

「あげます。なんも出来んくてすみません。でも、あなたが幸せであるように、祈ってます」

 飴を摘み上げて、あたしは笑った。

「ありがと。でもなんでまた、そんなことしてるの?」

 女の子が僅かに目を細める。

「神様の願いやからです」

 はっきりと言い残して、彼女はあたしに背を向け歩き出した。その小柄な後ろ姿に、あたしは目をぱりくりさせる。

 やっぱり、なにかを信仰してるんだ。風船飛ばし教だ。

 すっかり冷たくなった指先で、飴玉を袋から出して口内に放り込む。

 甘くて、美味しい。

 舌の上に広がる人工甘味料が、脳みそを溶かしていく気がした。

 膝を抱えて目頭を押しつける。

 こんな風に、膝を抱えるような人間は、嫌いだ。

 自分の不幸を噛みしめるような奴は、嫌いだ。

 見知らぬ人に幸せを願われるような、自力で幸せを勝ち取れない奴は。

 あたしは不幸だ。今だけ不幸だ。


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