心理テスト
魔王が死ぬ度に戦火へと放り込まれる魔界は、ある意味で戦闘狂国家でもあった。
魔物の戦闘とは、それぞれの種族的特徴や研究によって編み出された秘術の応酬である。ある者は美しく、ある者は無駄なく、ある者は惨たらしく、それぞれの秘儀を尽くして戦う事に己が存在を賭けるのである。存在の原価である生命を奪い合う行為自体に意義を見出す、現代にもこの境地に至った人間はまだ残っている。秘境の誇り高き戦士の話ではなく、中東で、アフリカで、南米で、今も自分の値打ちを量る相手を求めて戦い続ける戦争狂たちが、何かのために嫌々戦っている悲しい者たちに紛れて過激に生きているのである。
少し話が目の前の戦闘から逸れたが、何が言いたかったかといえば、魔王軍のナンバーツーは『権力者』であっても『ただの権力者』ではなかったという事である。普通、権力者は単体としては強くない(マンガじゃあるまいし)。我々の現代社会ではシビリアンコントロールの名のもとに指導者個体の戦闘力というのは精々拳銃一丁分ぐらいのものでしかなく、一兵卒のそれにも劣るかもしれない。もちろん権力者はその代わりとして軍権やミサイルのスイッチで武装するわけであるが、あくまで権利である。
その点、魔界はそうはいかない。仮に頭がよく政治に長けていようが、強者を相手に一対一の殺し合いで勝ち抜くほどでなければ年貢の納め時は季節の巡りよりも早くやってきて死に方も選べない。
そんな魑魅魍魎社会、修羅の国のナンバーツーである。伯爵はこの上ないぐらいに強い。
少なくとも伯爵は医烏との戦闘空間を支配していた。伯爵の得意とする召喚術とは、簡単に言えば『対象の空間座標の(瞬間)移動』であり格闘には向かないようにも思われるが、一対一の戦いでは位置関係とは相対的であるから『呼ぶ術』であっても実質的に自分も瞬間移動できるのに等しい。生まれつき卓越した格闘能力を持つ吸血鬼の肉体にとんでもないアドバンテージが加わって医烏に襲い掛かるのである。
残念ながらこの空間に戦いを観戦する者はいないが、仮にいたとしたら光景に度肝を抜かれるであろう。突き飛ばされた医烏が伯爵の真上に瞬間移動させられた矢先に強烈なアッパーをみぞおちに食らい、次の瞬間には伯爵の足蹴にされていたかと思えばふわりと宙に移動して回し蹴りを叩き付けられている。こんな一方的な展開では伯爵がずるいと思われるかもしれないが、そもそも召喚術の動作と格闘術を滑らかな動作で一度に行うことは携帯電話でメールを早打ちしながらテニスをプロ顔負けのパフォーマンスでプレイする事よりも難しいのである。すごい。一流の格闘ゲーマーがフレーム単位で計算されたコンボを寸分違わずに繰り広げるような所業が実戦で行われているのである。そりゃあ、魔物たちも病み付きになるわけだ。
このような連続攻撃を食らっては偉ぶっていた医烏も当然無事では済まされない。目立った出血が無い代わりに全身がパンパンに腫れ、羽が一撃毎にだらしなく散っていく。言うまでもなく嬲られているのだ。流石に苦悶の息が漏れ出した。
対する伯爵は無表情でこの行動に殉じているが、彼を操作している人間はほくそ笑んでいるに違いないなかった。
医烏は伯爵の力量と、呪術洗脳が彼から引き出せる力を決して見誤ってはいなかった。攻撃を受け、ぼろ雑巾のような姿になってまで医烏はそれをあくまで確かめた。ほんの少しでも病状を見誤れば治療は失敗し、下手をすれば共倒れとなってしまうからである。
しかし、準備は整った。
まずは、召喚術に対抗するべきであろう。