医烏登場
『医』とはなんだろう。医の烏である医烏について述べるにはまずこの事を少し考えねばなるまい。
もちろん、わざわざこんな事を言い出すぐらいだから医烏にとっての『医』が現代地球で広く行われているそれとは大きく異なっているわけだが、その相違の最たる点は『人命救助を目的としていない』所にある。いや、現代地球の医者にも人命救助に直接携わらない医者は多くいるが、それでも彼らは『命を救う』という本流に沿って生きていることにはほぼ疑いようがない。
しかし、彼の世界の医者は全くそのようなことは考えないのであった。命を長引かせる技術というのは医術の為せる業のほんの一端であり、それが『医』の本懐に取って代わるなどありえないと断ずるに違いないのである。
後の医烏の言葉を借りれば、
『医はただそこに在り、あらゆる有象無象の価値を見定めるためだけにある。医術とは本質に迫るための手段でしかない』
だそうだ。つまり彼らは探求者なのであり、医術とは生命の本質を見抜くために身につけておく一つの道具に過ぎないのである。
と、まあそれらしい解説をだらりと述べたが、これだけでは説明不足のきらいがある。何事も実際の話を通してみなくては掴め得ないだろう。ただ、この先において医烏の行動原理はかようなものであるのだと軽く心に留めておいていただきたい。
時は次代の魔王ベクトルが魔人イゾウを召喚する約二年程前、『大魔眼のアイ』が魔界を治めていた頃の話であり、医烏は魔王城の大門の前に居た。
医烏は烏の文字に恥じない黒い羽毛を全身に蓄えていた。妖鳥の一族であったという。体形はまさに『鳥人間』といったところで、中肉中背の人型の節々に鳥類を思わせる骨格の特徴を持っていた。そして、その体を覆い隠すように分厚く丈の長い衣を纏い、歩くたびにその衣装に仕込まれた薬品や道具類が乾いた接触音を立てていた。胡散臭いというものを体現するかのような有様である。
医烏は門前で高らかに述べた。
『勇者との戦いで負傷した魔王を見定めに来た。憲兵、門を開けよ』
この、「見定めに来た」という言い方が言いえて妙である。医者が「診に来ました」と言うのならばまだしも、このような言い方をしてはただの野次馬が病人をからかいに来たのと何ら変わらないと思われること必至である。普通なら相手にされないであろう。
しかし、その絶望的な言葉のチョイスと医烏のその胡散臭く何かものありげな風体が絶妙なバランスをとり、結果として見張り番の興味を引くこととなったのは興味深い。医烏の計算の内であったかどうかは置くとしても、それが『医』の作法の一端であったことだけは疑いようがないのである。医者は常に胡散臭く、なめられるような事はあってはならない。
医烏のこの態度は憲兵に
「何か凄い(変な)のが来た」
という印象を与えた。憲兵は当然張り巡らされた結界の中から声をかける。
「おいあんた、名前は?」
『医烏』
ここは魔界の常識を持っていない読者諸君に申し訳ないところであるが、ここで医烏が『医烏』といういかにも医者っぽい(彼の世界では医者は『医』を名前の頭に付けているもの)名前を宣言したことで、憲兵はようやく医烏が何をなさんとして魔王城まで来たかを把握するのである(「ああ、医者だったのね」といった具合に)。
そして、同時に彼とどのように接するべきかも理解した。ここから先のやり取りは、流離いの医者が患者の居るコミュニティの門を叩いた時に行われる定型的儀礼である。また、それは同時に医者の力量を確認する関所的機能も持ち、如何なる者であろうとこの試験を突破せねば医者として迎えられることは無い。
そもそも、この世界では医者は一定の場所にとどまることなく各地を巡り、彼らの内にある『医』の神の導きによって患者を選ぶ(巡り合う)のであり、呼べば来るような事はなく、また、患者がいるから必ずどこかから医者が現れるというわけでもない。ただ、彼らの中に『医』の導きがあればその治療は何としても完遂されねばならず、導きがあるにもかかわらずその患者が他の者に不完全に治療を施されたり、『医』の導きを騙る不届き者の治療が行われることは最上級の罪、冒涜として恐れられてきている。つまり、医者とは稀人のように高潔でデリケートな存在であり、多少やり取りが儀礼臭くても仕方がないということである。魔法のある世界では医者もやっぱりマジカルなのである。
憲兵は今度は声高に、歌うように問うた。医者との問答はノリよくやると小規模宗教的恍惚(平たく言うとごっこ遊びの快感)とでも呼ぶべき熱っぽい楽しさがあり、医者の方が常にノリノリなのも手伝ってなんだか学生の演劇のようなやり取りに自然となるのである。
「お待ちしておりました(本当は待ってなどいないが、医者が押しかけてきたときの定型句としてこう挨拶するのが習い)医烏様。それではあなた様が患者に見合ったお医者様かどうか、『医』の神が降した命をお示しください」
『うむ』
「あなた様の『医』が命ずる患者の名は?」
『魔王の座に居るアイという男』
「診断の程をお聞かせ願います」
『魔王は……』
ここで、読者は変に思うだろうと思う。普通は患者に会わせてすらいないのに先に診断結果を聞くというのはあまりにも理不尽な行為、下手すれば門前払いと同等の扱いだとも見て取れるのである。しかし、憲兵には全くそんなつもりは無いし、真の『医』はそれを平然と答えられる。なぜならば医者の頭の中には既に『医』の神からのお告げのようなものが降っており、それがカルテの代わりになってくれるからである(ちなみに、医烏はこのお告げを「患者の波動を感じる」と言い表している)。そして、逆にそれが出来ない者は医者として信頼を得ることは絶対に出来ない。国家試験に受かれば医者になれるどっかの世界とは大違いで、医者とは大変ストイックかつ狂信的な意味合いを持つ職業者なのである。
『死ぬ。我が『医』の神の宣告は魔王の近い死を告げている。足りぬか憲兵』
「足りませぬ」
『ならば答えよう。魔王の致命傷は勇者の剣の一太刀によってつけられた魔法の傷である。我が医眼(医者の観察眼の強化版)によればそこに発芽した勇者の植物魔法が寄生し、蛇のように光の触手を体内の至る所に伸ばし、王の体の妖気を食いつぶしておる。そして、我が秘法にかかればその病根は滅せられ、魔王は再び立ち上がり戦う力を取り戻すのである!』
医烏の応答、診断は『医』の使者として完璧なものであった。確かに、アイの対となっている勇者は光を植物のように操る能力を持っていたし、その他に付け足された容態に関する指摘も事実に適っていた(もちろんどちらも重要機密)。憲兵がその旨を上に伝えてしばらく経つと、ようやく医烏は『医』の使者として認められた。
儀礼的でいかにも無駄っぽく見えるやり取りであったが、この世界においての位置づけでは『医』とは強力な魔神の一種なのである。魔神という概念についてはまた後に述べるとしても、とにかくその使者、もしくは権現に対しての取り扱いが如何にデリケートで重要かは述べるまでも無いと感覚的にお分かりいただけるかと思う。
こんな儀式臭い事ばっかりやっているキャラクターを見るのは少しばかりうんざりされるかもしれないが、そのうち癖になる日が来るかもしれないので暖かい目で見て欲しい、などと作者は思ったりもするのだが、なにしろ作者本人が飽きる可能性も無きにしも非ずなのである。もしそうなったならば、こうして世の中から宗教儀礼が失われていくのだと空しさを感じながら読んでいただければ幸いである。
医烏は魔王城中心部へと通され、並みいる魔王軍幹部の並々ならぬ視線を受けながら魔王の病床へと案内された。
他の作品との兼ね合いもあるので投稿ペースはまだ決めておりません。出来れば週一ぐらいでいきたいんですがね。