おうち
震える指で、真理がドアのインターホンを押した。
そういえば、へんちくりんなマークがドアに貼ってある。
パソコンの電源マークに似ている、と形容すればいいだろうか。
まあ、いい。
ピンポーン。
緊張に似合わない、間抜けな音が響く。
大きな足音が、こちらに近づいてきた。
ドアを開けたのは、一人の中年女性だった。
よく肥えた身体。
目の下に大きな隈を作り、
歯茎が浮いていた。
「こんな時間まで何してたのよ!」
女性が吠える。
その声に、真理が反射的に視線を下げていた。
これが、母親?
母親は、僕の顔を見てまた真理をののしった。
「こんな男まで連れてきて!」
「この淫売が!」
「お前なんて生むんじゃなかった!」
ひどい言い様である。
実の娘に浴びせるにしては品のない言葉。
もしそれが映画の1シーンだとしても、僕は「むごい」と思っていたろう。
思わず僕も、言葉を失っていた。
わるがき、ばかたれ、と親からののしられた僕ではあるが、
その根底には必ず愛情があった。
しかし、この女にはそれがない。
憎悪と憤怒のみで、真理に言葉をかけている。
「今日は罰として”狗”だよ!」
そういうと、母親らしき人物は真理の手をつかんだ。
”狗”という言葉がなにを意味するのか。
よく分からなかった。
よく分からなかったが、真理の表情がそれが絶望的なものだと物語っていた。
「ちょっと、いいですかね」
僕がその母親らしき女ーええい、くそばばあでいいやーの腕を上から押さえた。
「真理さんはですね、変な男に追われていてですね」
くそばばあは、僕の顔を見ると、
「家族の問題に口を突っ込むんじゃないよ!」
と僕までを罵った。
もはやここまで来ると立派である。
よくもまあ、初対面の男をそこまで口汚く罵れるもんだ。
「いいえ。これは刑事事件に発展する可能性のある問題です」
「なにさ!」
「だから、これは警察の介入をですね」
「警察なんてあてになりはしないよー!」
もう、ここまで来ると笑い話である。
論議というか議論が出来ていない。
聞く耳持たず、というか鼓膜自体が存在しているのかもあやしい。
半分が優しさで出来ているバファリンですら、この状況にマジ切れするだろう。
とりあえず、文化的な解決を望む僕は話し合いの糸口をつかもうと、
日本国憲法。
身体の自由。
などなど、それっぽいワードを出してみたが、
まあ、結果から言おう。
無理だった。
駄目でした。
無駄でした。
「お前みたいなやつは地獄に堕ちな!」
という言葉と、唾液を顔面に受けました。
これには流石にアタマに来た。
真理も心配そうな目で僕を見ている。
気が長いことに定評のある琴乃君だが、我慢が限界を向かえた。
「少し落ち着いて下さい」
と静かに優しく言うつもりでいたが、いざ口を開いて出たのは、
「いい加減にしやがれ、クソばばあ!」
という怒号であり、
同時に僕の腕には力がこもっていた。
「ちょっと、離しなさいよ!」
くそばばあが怒りだすが、もう、どうでもいい。
「こっちが下に出れば図に乗りやがって!」
腕の力が、強まる。
「ちょっと、痛いじゃないの!」
「てめえの娘が男に追われてんのに、なんて言い様だ!」
腕の力が、強まる。
「痛い、痛い、痛い!」
「それでも母親か、くそったれ!」
腕の力が、更に強まった。
腕の血管が浮き出て見えてくる。
「痛い、痛い、痛い!!!!!」
悲鳴に近い。
腕の力を更に強める。
くそばばあの腕の骨が、みしみし言うのが分かった。
「ああああああああああああああああ!!!!!!!!」
絶叫が、住宅街に響き渡る。
「琴乃くん!」
真理のか細い手が、僕の胸にそっと触れた。
「おっと」
僕が力を解くと、くそばばあはその場にしゃがみこんで、
その腕を大事そうに抱えていた。
おそらく、ひびが入ったのだろう。
「お前のブヨブヨした腕への愛情のほんの何分の一も、娘にかけたことがあるのか!」
自分でもいい事を言うと感心したもんである。
そこで「すみません」とでも言うのが人情ってものだろう。
しかし、くそばばあとくれば腕を押さえて仕切りに「腕が腕が」などと言いながら、
めそめそと、ずっとひた泣き続けるだけである。
「その涙、どうして娘に向ける事ができんのだ!」
またもや、いいことを言う僕である。
うんうん。
真理も少しはそう思ってくれているか?
などと思っていたら、奥から一人の男がのっそりと、
「どうしたー?」
とぬかしながら出てきやがった。
病的なまでに細い身体。
父親だろうか。
「あいつを縛る”縄”が見つからなくてさー」
その男が目にしたもの。
革ジャンを羽織った娘、真理。
そしてスライムみたいな腕を押さえる、妻。
不機嫌マックスな表情で立たずむ巨漢、津田琴乃。
「縛る? あいつ?」
そのとき、僕の脳裏に先ほどのくそばばあの言葉がフラッシュバックした。
=今日は罰として”狗”だよ!=
ああ、そういうことか。
狗のように縛りつける、ということか。
「な、何だ貴様!」
僕を見て、そういう。
「真理、お前!」
真理をつかもうと、おっさんが手を伸ばす。
僕がその手を軽く、はたいてやる。
「つっ!」
おっさんの口から、苦痛が漏れた。
真理は、僕の身体の陰に隠れた。
ズボンからオッサンが携帯を取り出す。
「警察を呼んでやる!」
言って、おっさんは固まった。
警察を呼べば捕まるのは自分である。
娘への虐待だ。
悪質さからいえば、実形は間違いないだろう。
そうなると刑務所行きだ。
尻に軟膏を塗る必要が出てくるな。
携帯を静かにしまうと、おっさんは後ろを向いてなんと、
「先生、お願いします!」
と叫んだのである。
なんだなんだ、とのっそり出てきたのは、
だらしのない身体。
似合わないタンクトップ。
そして歯のない口。
そう、なにを隠そう、かの、平田支部長様であった。
こんな話もあるまい。
「き、貴様は!」
平田支部長様が声を震わせて言う。
正確には歯がなくて音が抜けている為に
き”しゃ”ま、になってしまっているのだが。
「昼ぶりだね、平田くーん」
そんな僕と平田を見て、おっさんは焦ったのか
「さ、先生、さっさとやっつけて下さい! こいつに罰を!」
などというのだが、平田先生はまるで動こうとしないのであった。
「平田先生、顕天会一の武闘派でしょう!?」
おっさんの声に、平田先生も奮起されたのか、
「俺は顕天会一の使い手、平田様だ!」
などと大ボラをふくのだった。
かくして僕と平田支部長の第、、、何ラウンドかわからないが、とにかく戦いが始まったのだ。




