かの男
かくして、平田支部長様は自分の血液の海を泳ぎ、
部下三人は、あたふたーあたふたー、であった。
人垣が出来上がっていた。
僕と、娘と、平田支部長ご一行様を囲む形である。
しかしー
ただのデブが撃沈しただけのことに、どうしてそこまで慌てるのか。
理解が出来なかった。
もしかすると、平田支部長様はこの内輪の中では「武闘派」で通っていたのかもしれない。
そ、その平田支部長様がやられるなんて!
という雰囲気か。
まさかな、と三人の顔を見た。
一人目、泣きそうな顔。
二人目、かえりたそうな顔。
三人目、葬式顔。
これはもしかすると、その線も大いにあり得そうだった。
少しばかり、面白くなってきた。
支部長ということは何かの組織である事は分かる。
では、なんの組織だろう。
鍵を握るのはワンピースガールであることは間違いなさそうだった。
「で、やるの? やらないの?」
僕が問うた。
泣きそうな顔のやつを、思い切り睨みつけてやった。
面が一瞬、びくんとはねた。
そしてそっと、地面を見つめた。
まるで教師に怒られる生徒である。
少し、意地悪がしてみたくなった。
「男だろ、はっきりしろ!」
思い切り怒鳴りつけてやった。
するとどうだ。
「ううっ、えふっ」
泣き出したではないか。
予想外だったのだろう、他の二人も目を大きく見開いてその男を見つめていた。
情けない。醒めた。
ギッタンギッタンのめったんめったん(ジャイアン風)にしてやろうと思ったが、
こうなると、そんな気持ちは毛頭なくなってくる。
だが、説教は大切である。
お仕置きは大切である。
悪は徹底的にたたき潰せーこれが鬼哭館の教えである。
「一人の娘を四人で追いかけている時はさぞかし楽しかったろうなあ」
僕は、歩き出した。
かえりたそうな顔のやつの前にたつ。
「どうせ、暴行目的だったんだろう? え?」
「・・・・・・」
僕の問いに答えない。
ま、いいや。
葬式顔の前に移動する。
「よってたかって、一人の女に乱暴狼藉ですか、そうですか」
「・・・・・・」
こいつも何も答えない。
日本語がわからないのか?
だんまり決め込んでも、事態はなにも前進する事がないというのに。
かかってくる事もしない。
謝罪もしない。
ただ、相手が退いてくれることを待つばかり。
心神拳の連中だって、まだ勢いがあって面白かったのに。
くそったれマルチ野郎だってやる気が溢れていたのに。
全く、面白みがない。
「帰るぜ」
そういって娘の肩に僕は手を置いた。
「とりあえず、交番に行こう」
人をかき分け、輪から出ようとした。
その時だった。
「待ちやがれ!」
素敵な声が、僕を呼び止めた。
復活した平田支部長様が、懸命に笑顔を浮かべて立ってらっしゃった。
鼻は明後日の方向を向き、
前歯は情けなく抜け落ちて、
顔面は血だらけである。
「さっきはよくもやってくれたな!」
なんというか、精神的にタフなやつである。
自分がいつでも勝てると信じて疑わないらしい。
まるで神仏の御加護があると信じきっているようだ。
「先生、お願いします!」
人ごみの中から、先生、と呼ばれた男が出てきた。
どうやらこいつらの用心棒的存在らしかった。
なるほど、先生と呼ばれるだけはあって身体は大きい。
180cm、100kgくらいだろう。
胸の筋肉も肩の筋肉も発達しているのが見て取れた。
だが、そんなことより顔が気になった。
どこかで見た事のある顔ー
「おい貴様、弱い者をいじめて楽しいか!」
そんな僕の思惑をよそに、センセーが演説を始める。
どこで見たんだっけな。
幸いにも考える時間は沢山ありそうだった。
まだまだセンセーの演説は終わりそうになかった。
「おい、津田」
背後の人ごみの中から声をかけられた。
ヤマアラシみたいな髭の巨漢がそこに立っていた。
ドラム缶体系のその人は、僕の知っている人だった。
異様とまではいかないが、常人離れしている風体に娘も思わず、僕にしがみついた。
「豪さんじゃないすか、奇遇だなあ」
周藤豪、鬼哭館の先輩である。
「よっす」
笑いながら、豪さんが僕の腹を小突いた。
「相変わらずの巻き込まれ体質だな」
「全くです」
「三月師範代の事件もお前、関わってたもんな?」
「あ、そうか。豪さんあん時、いないんですよね」
「まあ、公務員も残業はあるんでね」
「ヤマアラシみてえな髭でよく公務員できますわな」
「いいんだよ、市民課だから」
「どういう理屈ですか」
なんて他愛も無い話を続けていた時だった。
「こらあああああああああああああああああああああああああ!」
大絶叫が、僕の耳朶を打った。
例のセンセーが自分の話を無視されている事に、腹を立てたらしかった。
「先輩の話も聞けぬのか、貴様!」
「だれが先輩だ?」
僕が問う。
「私だ!」
「お前のようなやつ、僕の知り合いにはいないはずだ」
「人生の先輩ではないか!」
「無駄に年を取ってるだけじゃねえか。この医療の発達した日本で早死にする方が難しいわ」
「優れた経験のある私を何だと思っている!」
「白昼堂々と女の子を暴行目的で追い回す連中のー」
「彼らには信念があるのだ!」
大声で非道な行いを正当化しようとしやがった。
その話に、うん、うんと、平田支部長他3名様がうなづく。
いよいよ、アタマに来た。
娘の身体を、そっと豪さんの方へ押した。
「豪さん、悪いんだけどこの娘、少し見ててもらえます?」
「勿論、いいよ」
「すみません」
娘が心配そうな顔を、僕に向ける。
僕はそれに、笑顔で答えてやった。
別に、この娘に向ける怒りではないからだ。
それに、先程の四人に向けたような怒りと、この怒りは質が違う。
オッサンの方を向いた。
オッサンは、右手で引き手をとり、開いた左手を水平に構えていた。
その構えに見おぼえがあった。
それを思い出す前に、とりあえず、聞いておくことがあった。
「婦女暴行への信念ってさ、なに?」
これは単純な疑問であった。
もしかすると、オッサンは勢いでそう答えただけなのかもしれない。
だから、「ごめん、やっぱりないわ」とか言ってくれたら僕の気持もいくばくか楽になる。
「なんか、適当だったわ」とか言ってくれたら、「じゃあ、仕方ないや」という流れになるかもしれない。
僕も怒らずに済む。
それを切に、願った。
「どんな信念よ、それ」
すると平田支部長様が得意そうな顔を浮かべて答えて下さった。
「それがこの娘の為でもあるのだ!」
僕にヒョコヒョコ近付きながら、ボコボコの顔面を前に差し出して下さった。
「この娘の操、この平田幹夫がもらいうけるためにあるのだ!」
それが合図だった。
思い切り、鼻を掌底でぶっ叩いてやった。
ぶち、という音が響いた。
明後日の方向を向いていた鼻が、四明後日の方向を向いた。
蛇口を捻ったように、鼻腔から血が流れ出る。
「あああああああああ!」
鼻を押さえようと、平田支部長様が両手を顔の前に持って行った。
その右手の中指を掴んで、思い切り横に捻ってやった。
ぱきん、と小枝を折る様な音がした。
「えげえええええええ!」
手を見つめながら、大絶叫を平田支部長様がしてくれたが、
僕が肘で顎を貫いてやるとそれも止まった。
そして、そのまま、前のめりにぶっ倒れていったのだった。
観衆の一人が、「うっ」と吐き気を堪える様な声を漏らした。
明らかにやりすぎだと、思っているのだろう。
と、ここに来て、ようやく感情が湧いてきた。
今までのは無意識である。
いや、もしかすると怒りがはたらいていたのかもしれない。
だが、それを認識したのは今だ。
今、たった今、とてつもない怒りが湧いて来た。
血液に融解し、全身を回っている。
ガタガタと、震えて来た。
ぴくつく頬の肉を、左手で触れる。
「いつか、兄から聞いたことがある」
センセーが構えのまま、話し始めた。
「卑怯な手段を用いて闘う連中が、この街にいる、と」
「……」
「たしか、〝キコクカン〟という連中だったらしいが……」
「……」
「心神拳の猛者を次々と倒していったらしいな」
そうか。
このセンセーは、どうやらあの心神拳のオッサンの親戚らしい。
「お前もその、一員か?」
「だったら、どうする?」
「兄の仇、とらせてもらう!」
センセーが構えた。
そっくりだ、あのオッサンに。
仰々しいもの言い、
人の話を聞かない態度、
そして戦力分析の出来ない愚かさ。
何もかもがそっくりだ。
嫌気がさす。
「謝るなら今のうちだぞ!」
「強姦魔のオトモダチが、偉そうな口を聞くな」
僕の声は、震えていた。
まだ、怒りが収まらない。
「駆逐してやるッ!」
そういうとセンセーは走ってきた。
ドスドスドスドス!
ドスドスドスドス!
うるせえ走り方だ。
「とおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
腕を引いて殴ろうとする、大ぶりな、テレフォンパンチ。因みに右。
避けるのもワケはないが、そんなんじゃ面白くない。
徹底的に屈辱を味あわせてやる必要がある。
「おりゃあああああああ!」
雄叫びと共にやってきた、遅い突きを、肘で受けた。
いや、受けたんじゃない。
カウンター気味に肘で打ってやった。
どんなに堅い拳でも、肘を割ることはできない。
骨の構造が違う。
「うぐううううう!」
くぐもった声で叫びながら、センセーが右手を押さえた。
右手が紫色にはれている。
額から脂汗が流れ出ていた。
どうやら、折れているようだ。
その手を、思い切り上から鉄槌―拳を握った際に出来る小指側の肉の部分―で叩きつけやった。
「いてええええええええええええええ!」
口を開けて、叫んだ。
悲鳴である。
さっきまで「信念にもとづく」とか「駆逐する」とか言ってたのに、
咆えてたのに、
のたまっていたのに、
このザマである。
少し身体が大きいから、並の人間だとビビって「ごめんなさい」してきたのだろう。
ところが、今日はそうもいかない。
むしろ、自分が「ごめんなさい」しないといけない状況にある。
右手をブチ折られ、さらに上から叩かれている。
今までに感じた事のない激痛がセンセーのなかに流れているはずだ。
「ぞ、憎悪の拳が信念を撃ち砕く事はない!」
そう言い切ったセンセーの顔は、言葉と逆で「やめてくれ」と懇願せん勢いだった。
「あ、そう」
僕がわざとらしく手を振り上げると、
「ひっ!」
と目をつぶって、センセーは顔を逸らした。
これで勤まる用心棒ってのは、なんの用心か分かりはしない。
薄眼で、僕の方をチラチラと見る。
兄貴は大うそつき。
弟は大ほらふき。
よりにもよって、よりにもよってしまった。
これ以上、関わるのは御免だと判断した僕は、踵を返した。
早く豪さんやあの娘と合流しようと思った。
するとどうだ。
「今日はこの辺にしてやろう!」
などと僕の背中に、センセーが叫ぶのである。
これには思わず観衆も噴き出してしまっていた。
「だがな、次こそは貴様の命はないと思え!」
さて、その選択肢は本当に正しいのか。
Q.あなたはボコボコにされました。過失は自己にあります。
次のうちから、さりゆく相手の背中に掛ける言葉を答えなさい。(制限時間30秒)
①今日は本当にすみませんでした
②金輪際、あなた様には関わりません
③許して下さい、お願いします
④今日はこの辺にしてやろう
A.正解は④以外でした。
不正解のセンセーさんには、罰ゲームとして地獄の苦しみを味わってもらいます。
ゆっくりとセンセーに近づく。
折れた右手を、上から思い切り叩きつけた。
「あああああああああああああああ!」
悲鳴、しかも途中で裏返る。
開いた顎に、思い切り裏拳を叩きこんだ。
ぐしゃり、という独特の感触が手の甲に伝わる。
センセーの、顎の関節が外れたのだろう。
ぶらぶらとだらしなく、口が開いたままだった。
「あがががあああ!」
とよくわからない悲鳴を上げる。
そしてその場で、何と、失神してしまった。
遂に脳が現実を受け入れることを拒絶してしまったのである。
しかし、これで僕も立派な悪人である。
豪さんと娘の下に戻ると、豪さんから
「ま、やりすぎだな」
と、怒られてしまった。
「うす」
「だが、まあ、仕方ないだろう。この娘への被害を食い止めたと思えば」
「そうすかね」
「そうだよ、師範が聞いたってきっと笑ってそういうよ」
「やった」
「でも、チョーシには乗るなよ」
豪さんが、顔をくしゃっとして笑った。
はーい、と僕も笑って返事をする。
あ、と思い娘を見ると、涙目だった。
「ごめん、怖い思いさせた?」
僕の問いに、娘が首を振って答える。
そして僕に抱きついた。
「え……」
「なんか、安心した」
安心、という言葉を久しぶりに耳にした気がした。




