ワンピースガール
頭に思い浮かべるのは、ブラジリアン柔術のことばかりだった。
大学からの帰り道を、ボケーっと革ジャンを突っ掛けながら歩く。
冬の明治通りは、風がよく通る。
道行く人々も、首をすくめて歩く。
寒いのだ。
だが、僕にとってそんなことはどーでもよかった。
寝ても、
覚めても、
歩いても、
走っても、
ブラジリアン柔術のことを、考えてしまう。
本業は空手なのに。
津田琴乃は、空手道鬼哭館の門下生なのに。
まるで、浮気だ。
いや、相手が女でないだけ質が悪い。
知りたい、と強く思う。
あわよくば、習ってみたい。
インターネットや様々な文献で一通り調べた。
柔道から派生した寝技主体の格闘技。
総合格闘技との融和性の高さから、日本では2000年代に爆発的な人気を誇った。
動画で見れば、何をされたか分かる。
しかし、実際に体験したらどうなるだろう。
なにもせずに、極められ、絞められるに違いないだろう。
無数の技が一つの体系の中に収まっている。
素敵だ、と素直に思う。
なんとかして、習いに行かねば。
などと、思ってみる。
それにしても、風が気持ち良い。
帰り際に「あんり」で呑むのも悪くなかろう。
愛美ちゃんは噂によれば、髪を切ったらしい。
天使性に磨きがかかったはずだ。
早く見に行きたいなぁ、と考えた時だった。
左側から、気配を感じた。
そちらは、路地である。
眼を凝らす。
見れば、薄暗い中を白いなにかが揺らめいていた。
布、なことは分かる。
あれは、なんだ?
段々と近づいてくる。
十メートル先まで来て、分かった。
恐らく、ワンピース。
女だ。
白いワンピースを来た女が、走ってこちらに向かって来ている。
吐く息の白い今日の様な日には向いていない格好だろう。
ワンピースで出掛けざるを得ない、状況。
そして、うつむきながら、走る。
その女の身に何かが起きたのは、明らかにわかる。
起きたもの。
それは一体、なにか。
声の射程範囲に入った。
問おうと、口を開こうとした。
「大丈夫ですか?」
答えを聞く前に、女は僕の胸に当たった。
うつむきながら、走ったために気づかなかったのだろう。
よろめき、転びそうになる女を、僕はそっと抱えた。
どうしてー
もう一度、言葉を掛けようとしたが、僕の声帯は声を出すことを忘れた。
女の顔を、見たからだ。
いや、女というには若すぎる。
まだ18をいくらかあたりだ。
顔にあどけなさが、残っていた。
「キレイな顔……」
思わず、呟いた。
紅潮した肌が、
決壊寸前の瞳が、
すっと通った鼻筋が、
薄い唇が、
美しかった。
コンマ何秒か、見とれていた。
だが、僕の意識は怒号によって引き戻されていた。
女、いや、この娘の肩越しに聞こえた怒号だ。
「こっちだ、いたぞー!」
知性の欠片も感じられない怒声であった。
その声に、娘の身体は一瞬、跳ねた。
明らかな恐怖の色を面に浮かべている。
震えは、寒さのためだけではなさそうだった。
怒声の主が、僕の前に立った。
こいつもこいつで、何故かランニングシャツだ。
ブヨブヨした腕が情けなく見えていた。
スポーツなんかはしていないらしい。
「い、行くぞ!」
娘の肩を掴んだ。
強く掴んでいるのだろう、手の甲に血管が浮いていた。
「いやっ!」
その手を払い、娘が僕の後ろに回る。
娘が僕を盾に、隠れる。
今のところ、ここまで僕の出番は特にない。
電柱みたいなもんである。
「わ、渡せ!」
手を出して男が吠えた。
とんでもないことを、いきなり言う男である。
「この娘、いやがってるじゃんかよ」
「渡せ!」
「そんなの間違ってると僕は思うけど」
「うるさい、貴様には関係のない話だ!」
いきなり貴様呼ばわりである。
漫画か? 漫画ごっこか? よそでやってほしいもんだ。
「早く、退け!」
息を切らしながら、叫ぶ。
うるせえ奴である。
「さもなくば!」
男が息を思いきり吸って、吐いた。
「殺してやー」
言い終わる前に、男のこめかみに僕の手刀がめり込んだ。
振り抜かない。
振り抜いてそのまま気絶なんて、させない。
言いたいことがあったからだ。
だから、気絶されては困るのだ。
「ーーー!!!」
声にならない悲鳴を男があげる。
手刀の手を戻し、男の奥襟をつかむ。
「宣戦布告とは、ナイスな度胸だな」
男の眼を見て、僕は言った。
「しっかり聞いててやるよ。さっきの続き、言ってみなよ」
「 」
無言である。キョロキョロと辺りを見回す。
周りの通行人に助けを求めているのか?
本気でムカついてきた。
殺害予告までして、やられて、誰か助けて?
せめてでも、張る小さな意地ってもんがないのか。
「お、俺を怒らすなよ」
小さな声で男が言う。
「はあ? なんだって、聞こえないや!」
奥襟を掴んだ手を、思いきり前後させる。
あばばばばば!
男が面白い顔をしながら、首をふらせた。
唇とほほの肉が思いきり揺れる。
30秒くらいで飽きたので、手を離してやった。
するとどうだろう、尻餅をついてその場に倒れこんでしまった。
脳震盪でも起こしたんだろう。
まったく、情けない。
さて、どうしたのかな?ーと娘に問おうとした矢先だった。
「平田支部長!」
という声が向こうの方から聞こえてきた。
三人の男が駆け寄る。
平田、と呼ばれた男がのっそり立ち上がる。
「言ったろ、俺を怒らすなって!」
平田支部長+三人様が僕を取り囲む。
「まあ、待てよ」
僕が両手を挙げる。
「うるせえ!」
平田支部長様が走ってきた。
むしろ、飛び込んでカウンター気味に顔を撃ってやった。
鼻と歯が砕ける感触を、手越しに覚えた。
平田支部長様が、前のめりにぶっ倒れる。
顔面から、血を流しながら。
ざまーみろ、デブ。
残りの三人がたじろぐ。
ゆっくりと僕は上衣を脱ぎ、娘の肩に掛けた。
「寒いだろ?」
その問いに、娘は俯きながらうなずいた。




