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ボヘミアンフィスト  作者: 弐番
29/30

メモライズドメモリー

寒くてもマフラーをしないのは昔からの癖だった。

「ケンカの時にジャマだぜ」

僕のマフラーを見てそう言った師範のいたずらっぽい笑みが今でも印象に残っている。

あれは15の時だったと思う。

8つの時にスポーツの一環として空手を始めた。

昔から運動神経はよかったから、寸止め組手の大会でも何度か優勝できた。

当然、勝てばうれしい。

最初のころは泣いて喜んだもんだ。

だがその喜びも次第に薄れていった。

気づけば惰性で大会に出る始末。

地区大会では負け知しらずだが都大会で大活躍できるほどの練習量も熱意もない。

そんな中途半端なガキだった。

安っぽく輝くトロフィーが部屋に増える度に、少しずつ薄れていく空手への興味。

辞めようかな、なんて思っていた矢先のことだった。

風の冷たい日に道場についたと、僕の首からぶら下がるマフラーを見て、師範は言ったのだ。

「ケンカの時にジャマだぜ」

師範は大人の部しか指導しない。少年部の時間は翻訳の仕事で忙しいからだ。

だから当時の僕からすると師範は「大人の部の指導をする人」という認識でしかなかった。

そして大人の部はサラリーマンとか大学生がたくさん来るところ、という認識だった。

つまりほぼ他人である。

辛うじて玄関に掲げられた「館長」という写真で知っている程度だ。

そんな「ほぼ他人」からかけられたケンカを前提とした話題。

少年部で「空手をケンカに使ってはいけません」と言われていた僕には衝撃だった。

「……ケンカって、そんなの、いいんですか?」

そんな素っ頓狂なことしか言えなかった。

「いいってなにも、他にいつ使うんだ」

「でも、三月先生はダメだって」

そういった僕の顔をみて師範は

「あ」

と目を大きくして驚いた。

「お前さん、少年部か」

道場内に大きな声が笑い声が響いた。

まったく屈託がない、まるで親しい友人との会話で出てきたような大笑い。

「いやあ、体が大きいから大学生かと思ったぜ」

師範の手が僕の肩にやさしく触れた。

「なあ、お前、名前は?」

「津田琴乃です」

「琴乃。お前、今の空手は好きか?」

まっすぐな問いだった。

単純にイエス、とは言い切れなかった。

いや、限りなくノーに近い。

だが一つ引っかかったことがあった。

「今の、ってどういうことですか」

「んー、ああ。いまのポイント空手のことだよ」

ポイント空手、つまりルールがあって審判がいて思い切り殴らない今の空手。

どうって言われてもそれしかしたことないし……。

「少年部が終わったら、残ってけよ。一般部の稽古に参加しろ」

しないか、ではなく、しろ、という命令。

押し付けられたのに嫌な気持ちはしなかった。

そして一般部の稽古に参加した僕を待っていたのは、鬼気迫る表情の大人達の「本気の殺気」だった。

基本も、移動も、型も、気迫がこもっている。

特に組手はすごかった。

フルフェイスのヘッドガードをつけて思いきりぶん殴りあうハードルール。

大の大人たちが体の限り絞り出した、もはや「魂」をぶつけ合っていた。

「ほらー、メンホーの格子部分を割ったら5千円だぞー」

と笑いながら言う師範と、無言でうなずく人々。

組手が終わるとぐったりとして背中を壁に預ける人々を見て僕は震えた。

こういう世界もあるのか。

苦しいだろうし、つらいだろうが、それでも彼らの全身からは充足感があふれ出てきた。

僕もやってみたい。

そう思った時には

「牛頭先生」

と声をかけていた。

「どうした?ビビったか?」

「いえ、あのー」

「言いたいことがあるならハッキリ言え」

「僕もやっていいですか?」

「おう、そうか!」

師範の目がまた子供のように輝いた。

「よし、それじゃあやってみろ。三月、防具つけてやれ」

師範の言葉に三月師範代が「押忍」とうなづいた。

ヘッドギア、ボディープロテクター、グローブ、シンガード。

全身のあらゆる部位をプラスティックと綿に覆われる。

ほぼ素肌が露出している場所がない。

「よし、じゃあ、相手は周藤。お前がしてやれ」

「押忍」

周藤豪、ヤマアラシのような髭の巨漢が立ち上がり礼をした。

ヘッドギアをつける。

え、それだけ?

こっちはサイボーグかってくらいに重装備なのに。

「周藤、相手はまだ15だが地方大会じゃ負けなしだ」

「押忍」

「とはいってもまだ少年部だからな。加減してやれ」

「押忍」

「両者構えて!」

師範の言葉が道場内に響き渡る。

もうすぐ始まる。

というときに三月師範代がやってきて俺の耳元でつぶやいた。

「思いっきりやれ」

「押忍」

返事をすると三月師範代は後ろに下がっていった。

拳を構える。左手は顔面の高さに、右手は鳩尾の高さに。

いつもより心臓の鼓動が速いのを感じる。

相手は巨漢だ、間違いなくパワーは僕より勝るだろう。

だがスピードはこちらのほうが上だ。

「はじめっ!」

掛け声と同時に一気に飛んだ。

出足での上段廻し蹴り。

ガン、といい音がする。

確かに当たった、足首に感触を覚えた。

一本だ!

現に豪さんはその場に突っ立っている。

何もできなかったんだ。

この勝負、僕の勝ち―

そんな確信は豪さんの一撃で吹き飛ばされた。

シンプルな中段突き。

分厚いボディプロテクターを貫通する驚異の威力。

初めて味わう苦痛に、その場で崩れ落ちた。

「三月、メンホー外してやれ」

師範が言う。

ヘッドギアを三月師範代に脱がせてもらい、僕はむさぼるように酸素を食らった。

まともに会話ができるまでに2分はかかった。

痛さと気持ち悪さが引いてくると同時に、今度は怒りが沸き上がってきた。

「ズルくないですか!」

僕は問うた。

「んー?」

師範が笑う。

「僕の上段蹴りがキレイに入った」

「そうだな」

「じゃあ僕の勝ちじゃないですか」

「どうしてそう思う」

「どうして、って」

だって、そういうもんだろ……としか言いようがない。

「お前さんは蹴ったが、周藤はピンピンしている。蹴ろうが突こうが投げようが極めようがノーダメージなら続行だ」

「」

「一般部っていうのはそういう世界だ」

見事に言い切った。

「そういう世界から空手は始まったんだよ」

師範のまっすぐな目線が、僕の両目をとらえる。

「ルールも審判もない世界で空手は始まった。現役もOBもない。ジジイが若者を殺し、若者がジジイを殺す世界だ」

「」

「そういう世界で生き延びるために空手はあるんだ」

すごくわかりやすい。

とても単純明快だ。

でも、野蛮だ。

試合もなければ勝つ喜びもない。

「じゃあ、何が楽しくて空手をするんですか?」

思わず問うた。

「何が楽しくてッて、なあ」

師範が豪さんを見る。

「空手が楽しいから、空手をしてます」

師範が頷いた。

「と、いうことだ」

腕組みをし、柱にもたれた。

「どうだ、お前も楽しんでみないか?」

そう師範に問われた僕は、無意識のうちにうなずいていた。


いつものように石階段をのぼり、一礼して門をくぐった。

掃除をする真理を見つめる。この娘ももうウチに慣れた。

「師範は?」

「池の近くよ」

「ありがとう」

真理に微笑んで、僕はそっちのほうに向かう。

池のそばでは師範が七輪で魚を焼いていた。

あたまにタオルを巻き、しゃがんだ状態で七輪をうちわであおいでいる。

それにしてもきれいな水色の魚だ。

「師範」

僕は声をかけた。

「おお、琴乃」

「なんですか、その魚」

およそ日本だと沖縄くらいでしか、こんなに真っ青の魚は見られないだろう。

「オウム魚だよ。インドネシアから送られてきた」

「へえ」

「……食うか?」

「イヤです」

「だろうな」

師範が立ち上がり、ノビをした。

「して琴乃。今日はどうした」

「実は」

「型分解したいんだろ?」

「すごい。どうしてわかったんですか」

「すまん、適当だ」

「なんだ」

思わず苦笑する。

「で、いつからやるよ」

「いますぐにでも」

「そうだな」

師範が下駄を脱ぐ。

「ちょうどヒマしてたところだ」

目つきが鋭くなった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 津田のトンファー。 これがカルト団体幹部等の身体を加工する。 [気になる点] 更新がおそい。 [一言] 初めてボヘミアンフィストを読んでから、4年が経ちます。 更新、楽しみにしています。 …
2021/01/20 23:49 古参ファン
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