ランスルーザナイト
家に着き、一人バーボンを開けた。
道場の後輩である吉田がお歳暮にくれたホワイトホース。
バイトで貯めた金の一部で買ったという。
感謝しつつも、氷を出すのもまどろこっしく、おれはそれをロックで口の中に放り込んだ。
宛のない問答と共にそれを飲み下していく。
蒲生兄は間違いなく、津田琴乃によって破壊された。
だが元をただせばそんなもの、顕天会が悪い。
蒲生兄の責任は問えないが、だからといって津田琴乃の引責も認められないのは確実だ。
まあ、拳をもって闘争を始めたのだから如何なる結果も受け入れるべきである。
事実、平田は鼻と膝と指を破壊されてもまだ元気に活動している。
そういうタフさが必要なのだ。
だが、可愛そうなのは蒲生弟だ。
純真さを顕天会に弄ばれている。
あの手の輩は「騙されるなよ」と言うほどに意固地になる。
もはや引き離すことはできないだろう。
残念だ。
もう一口、放り込んだ。
津田琴乃。
鬼哭館の生え抜き、純粋な空手家。
戦いを想定しようにもどういう動きか予想もつかない。
鬼哭館ということからそこらのフルコンカラテのように派手な技を使うことはなかろう。
創設者の牛頭は徹底した実戦主義者だ。
路上で使えない技を教えるとは思えない。
それだけではない。
今日日、競技化の弊害で一般の道場なら教えなくなったような技も教えている可能性がある。
危険で簡単かつリスクの低い技。
特に高弟の一人である津田なら平気でそれを使うことは想像に容易い。
だが技は技だ。使うものの頭が悪ければ何も心配いらない。
安心して全力で合気をかければいい。
最良の場合と最悪の場合を想定する。
最良は最悪以外の場合である。
最悪以外は最良といってもいい。
最悪とは津田が「合気」の理屈を知っているときである。
野生的な勘の良さで合気を察知するのではなく、合気の理屈を知ってしまっていることだ。
おそらく合気に対応した動きをしてくるだろう。
そうなるとややこしいことになる。
自分で言っていてなんだが、合気に対応するというのは相当に高度な技術だ。
「格闘技」だけを続けてもできることではない。
津田にできるのだろうか。
見てみないことにはわからなかった。
津田の動きをこの眼で一度でいいから見てみたい、と思った。
その思いは思春期の少年が少女に思うよりも、はるかに熱量がこもっている。
愛と殺意は表裏一体なのだ。
気がつけば時刻も1時を過ぎていた。
夜を明かすほどの日ではない。
もう1、2杯飲んで寝ようと思っていた時だった。
グラスのとなりに置いたスマートフォンが微かに震えた。
液晶画面の光がメールの受信を告げる。
差出人:平田
件名:明日の昼
本文:明日の昼に迎えに行く。見せたいものがあるそうだ。
気になったのは平田の偉そうな文面ではなく「見せたいものがあるそうだ」という伝聞体の部分だ。
平田が見せるのではなく、誰かが俺と平田に見せて「くれる」ということだろうか。
それが可愛い姉ちゃんならいいんだが、そんなことは間違いなくないだろう。
せめて笑えるギャグとかだったら許そうと思い、おれは寝床に着いた。
多分、ギャグは見られないと思うが。
翌日の昼。
平田の車でおれは郊外の建物へと運ばれた。
途中、運転する平田の脇腹を拳で殴って以降、会話は途絶えていた。
当たり前だ。
どうしておれがくだらない自慢話を聞き続けなければならないのか。
まったくもって意味がわからない。
到着し、座席のドアを開けた。
目の前に建設中のビルが立っていた。
恐らく地上20階建くらいだろう。
かなり大きい。
粉じん飛散防止のための幕がまだかかっており、足場も組まれたままだ。
これも恐らく顕天会の持ちビルだろう。
信者から吸い取った金銭で建てたにちがいない。
巧妙に偽装しているあたり、タチが悪い。
これで法人税がかからないんだ、まったく意味がわからないぜ。
「いいビルだろう」
平田がいう。
「うるせえ」
その肋骨を人差し指で押す。
軽く押したつもりだったが、平田が予想以上に跳ねた。
促されるまま、おれは中に入った。
工事用エレベーターに乗り込み、4階のボタンを押す。
業務用のため、間抜けに「メリーさんの羊」が流れ出して運転開始を告げた。
エレベーターが上昇していく。
「んで、出来上がったら何に使うんだ?」
「最上階以外はテナントに貸し出す」
「最上階は何に使うんだ? ばか教祖様の御本尊でも置くのか?」
「おい、浅井先生を愚弄するのか」
浅井というのは顕天会の教祖だ。
「日本は10年後には滅びる!」と20年前から終末思想を煽り続けて信者を獲得するアホだ。
あまりにも強引な信者の勧誘方法で、公安調査庁から「カルト宗教」のお墨付きまで頂いた。
無論、最終的には再起不能になってもらう。
おかゆ以外は食えない体になってもらう。
「浅井先生を愚弄するつもりなのかと聞いている」
平田がおれをにらんだ。
最大限に睨みを利かせているつもりなのだろう。
だがその実はデブが必死に目を細めているだけにすぎない。
「愚弄したらなんだってんだよ」
平田の胸を小突く。
奴がゆらりとよろめいた。
答えは出ない。それはそうだ。どう考えてもおれの方が武力的に上回っている。
下手なことを言えば怪我をする。
しかし謝罪をすれば自尊心が傷つく。
平田にとって今取れる最良の選択肢は「沈黙」以外は、ありえない。
そうこうしている内に、エレベーターは4階へと到着した。
「メリーさんの羊」は鳴り止み、俺たちはエレベーターから降りた。
窓がまだ設置されていないために、4階には風が吹きすさんでいた。
打ちっ放しのコンクリートが見た目にも冷たい。
何があってもいいから早く帰りたい。
「時間通りですね」
気取った声が、聞こえてきた。
角から現れたのは、先日港で出会った川崎という男である。
そばに一人、大柄な白人男を連れている。
どうやら仙とは縁が切れたらしい。
「良い心がけだと思います」
川崎が言う。
「平田さん、あなたのその暴力的合気道は役に立たないかもしれませんよ」
「どういうことだ?」
聞いたのはおれでなく、平田だった。
「このゲオルグ・イリニャートゥが津田琴乃を倒すということです」
「へえ」
そう呟いたのは、おれだ。
なんの感慨も浮かばなかった。
確かにでかい白人だが、それ以外に何も感想が浮かばない。
「ゲオルグさんには、しばらく顕天会の用心棒として活躍してもらいます」
川崎が言う。
「おい、あんた」
ゲオルグがおれの方を見て、言った。
「おれかい?」
「そうだよ、あんただ」
「なんだよ」
「あんた、合気道とかいうインチキを使うらしいな」
「インチキ?」
「ああ。あんなに人間が飛ぶわけがない」
「そう思うか?」
「思う」
「すべからく合気家はいんちきだと?」
「ああ」
「そうか。ずいぶんな自信家だな」
「あんたは私に勝てると思うか?」
「思う」
「どうして」
「多分、おまえより強いから」
ゲオルグが構える。
後ろ足に重心をかけた猫足立ち。
手刀を相手に向ける。
「なんならここで試してもいい」
ゲオルグがいう。
「ゲオルグさん!」
川崎が叫んだ。
「私は偽物が嫌いだ」
ゲオルグがいう。
「いや、いいよ。やめておこう」
「怖気づいたのか」
「今じゃないってことさ」
「ではいつだ」
「お前が津田を倒してからだな」
「わかった」
ゲオルグが構えを解き、おれは踵を返した。
「いくぞ」
その背中を平田が追いかけた。
下りのエレベーターの中をまたあの不愉快な音楽が満たす。
「ゲオルグは津田を倒すと思うか?」
平田がおれに問う。
「おまえはどっちだと思う?」
「わからん。だがもしかしたら有りうるかもしれん」
その言葉に、おれは思わず吹いていた。
「どうしたんだ」
「無理だよ。あの白人じゃ津田には勝てねえ」
「なに?」
「いまにわかるさ」




