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ボヘミアンフィスト  作者: 弐番
18/30

アバーヴザワールド

 人は法で縛られる。

 それが人の法なのか、神の法なのか、仏の法なのか。なんでもいいが、法はたくさんある。

そしてそれがどの、なんの法なのかーそんなものは些末な違いでしかない。

 大切なことはそれが「縛られている」ということだ。自己の動き、思想を制限するものだということだ。繰り返すが、法の種類は関係ない。

 おれ、芝井宗蓮はふとそんなことを思う。

 だれにも縛られたくない、なんていう欲求はガキの時に捨てた。

 人間社会の中で文化的に生活するということは、一定の規則に従って生きるということだ。信号を守ることも、税金を納めることも「ルール」というくくりでは同じだ。法は法である。

 そうはいっても、なるべくなら「どうでもいいこと」には縛られたくない。

 恋愛とか、人間関係とか、そういった類いの問題に巻き込まれると厄介な事この上ない。

 特に金銭関係には困ったもんだ。

 関係ない、とは言っても地獄の沙汰まで借金取りが追いかけてくるのだから。

 金を貸してくれ。

 なんて言われた日には裸足で逃げ出したくなる。

「ねえ、宗ちゃん」

カウンターに肘をのせ、ヒロコママが俺を呼んだ。

「ん?」

「お店のお金が尽きそうなの」

「……本当かよ」

 いつもならトイレから脱出するのだが、今日は逃げださずにいた。

 なんだか、とどまっていた方がいいような気がする。

 もしかしたら、何かあるかもしれない。

「大丈夫か?」

 ヒロコママに問う。

 バーには煙と香水の匂いが充満していた。

 無駄に濃い水割りを飲みながら、彼女(?)の顔を見る。

 おれの問いに、ママは首を横に振ってこたえた。

 金は、ないらしい。

「ねえ、いまいくら持ってる?」

 そり上げた坊主頭を撫でながら、懸命に猫なで声で話した。

 まるで「オカマ」という存在を戯画化したようなもんだった。本当にわかりやすい。

 ここはオカマバー、いや、オカマがママをやっているバー。

 おれはカウンターでオカマママの相談を受ける男。

 ちなみに180cm、90kg。ベンチプレスはマックスで150kg。

「そうだな……」

 ガマグチの財布を開けて、所持金を確認する。

「二万円だな」

「あらそう。じゃあ、それ出して」

「有り金全部持ってく気か!」

「あのね、宗ちゃん」

 ママがカウンター下から電卓を取り出し、高速ではじき始めた。

 そういえばママは独学で簿記の二級をこの間とったそうだ。努力家だナァ。

「そうちゃんのツケって総額いくらになっているか知ってる?」

 電卓から視線をそらさず、ママが問う。

「わからん」

 指を止め、ママがおれに液晶を見せた。

 598,740円。

え、598,740円!?

「そんなにか!?」

 余りの驚きっぷりに、縛った髪が逆立ったかと思った。

 ああ、逃げ出しておけばよかった。

「当たり前じゃない、あんたどんだけ毎日飲んでると思ってるのよ」

 ヒロコママがあきれ顔で言う。

 なにを飲んだらそうなるんだ。

「あんた、マッカランとか高いブランデーとかそんなんばっかり飲んでたのよ」

 そうか、そうだったのか。

 酔っぱらってたからよく覚えていない。憶えていないなら安い焼酎でもよかったんじゃないか。そもそも、内臓が強いから酒に強いのだろう。頑丈に産んでくれた母親を少し恨む。

「はい、二万円でもいいから出してちょうだい。ツケの清算させてもらいます」

「帰りがつらい」

ここから家まで10kmはある。酔い脚で歩けばいくら経っても到着はしまい。

路上で寝転んで警察官に声掛けをされる羽目になる。

「丈夫な足があるんでしょ、まったく」

「いや、そうだけどさ」

「合気道の師範なんでしょ?」

「カタチはね」

 そうやってああだこうだ、しているウチにひとりの太った男が店に入ってきた。

 見覚えのある顔。

 だらしのない肉体。

 それが、足を引きずりながらこちらに近づいてきた。

 おれは思わず立ち上がった。その衝撃でカウンターチェアが倒れる。

「平田……」

 男の名を呼んだ。

 浅からぬ因縁のある組織に、この平田は所属している。

「そうちゃん……?」

 ママが言う。

 自分の中で気が充実していくのが分かった。引かれた弓のようにギリギリとテンションが上がる。触れなば飛び出しそうになる。

「顕天会はおれに構うなと言ったはずだ……」

 抑え気味に言う。正直、どこまで自分をコントロールできるか分からない。何かのきっかけでおれがこいつを再起不能にする可能性だってあり得る。

「待て、待て!」

 平田があわてて両手を振っておれを制止しようと試みる。

「きょ、今日は別にお前にちょっかいを出しに来たんじゃない!」

「じゃあ何しに来た」

「仕事を依頼しに、だ」

「なに?」

 見たが、どうやら平田は一人でここにやってきたらしい。

 いつもとは違うな。依頼の話がウソだとしても、少なくとも危害を加える気はなさそうだ。

「お願いだ、乱暴はしないでくれ!」

明らかな恐怖の色を浮かべ、平田が懇願するように言う。

この男、数週前まで横柄だったのに今ではどうだ、みる影もない。

 す、と自分の中で何かが引いていくのが分かる。

 戦闘態勢を解いた。それでも、何かがあればすぐに反応が出来るようにつま先に重心をのせる。

「お前に、ある人物を倒してもらいたい」

 平田が一枚の写真を、おれに手渡した。ひとりの青年がそこには写っていた。遠くから撮ったのだろう、青年はカメラの存在には気づいていないようだった。

「デカいな」

 青年は大きい。

 身長は175cmだろうが、体重は重そうだった。つっかけた革のジャンパーの布地を、下から筋肉が押している。

 首から肩にかけてが特に発達していた。

「名前は津田琴乃だ」

 平田が言う。津田琴乃。記憶を探ってみたが思い当たる節がない。聞いたことの無い名だ。

「何をやってるんだ?」

「空手だ」

「単に空手っていうなら、お前らのところにいるヘナチョコをかからせればいいだろ」

 こいつら顕天会は用心棒的に何人かの武術家まがいと契約しているし、会の中には武術や格闘技の心得がある人間がいる。単に空手ってだけなら、そいつらでも何とかなるはずだ。

「それが」

そこまで言って平田が口をつぐんだ。

「我らの精鋭たちはやられたのだ」

「ほう」

精鋭、は言い過ぎだがそれをことごとく倒すのであれば相手もそこそこの使い手のようだ。

「金玉を潰され、指を折られ……おれも鼻と指と膝を潰された」

平田の怯えっぷりに合点がいった。暴力を振るわれることの恐怖を、身をもって体感したらしい。なんと慈悲のない奴。しかし、心の中でおれはそいつに賛辞を送った。よくやった!

「それにしても、そいつは随分と強いんだな」

「ああ。何人でも相手にならん……」

しかし、それほどの実力者なら名前くらいは聞いたことあるはずだが。

「今まで、誰ひとりとして有効打を加えられていない」

「へえ」

こいつは敵を褒めてなにがしたいのだろう。

「倒せるか?」

「倒せるか、って言われてもな」

人差し指で頭を掻く。

「情報がないとな」

分析は戦略の基本だ。その場で成りゆき任せに闘うより、詰め込めるだけ相手のデータを詰め込んで闘う方がずっといい。

今までそうしてきた。

「前金で100万渡す」

金額の問題じゃないーそう言おうとしたところだった。

平田が懐から札束を出し、それをカウンターの上に置いた。

紙帯で止められた一万円札が100枚……間違いなく100万円だ。

随分と羽振りが良いんだな。さすがカルト教団。

しかし、しつこいがやる気もないのだ。

だが、俺の思惑とは違った声がバーの中に響いた。

「やるわ!」

そう言ったのはおれでも、ましてや平田でもない。ヒロコママだった。

「宗ちゃん、これでツケはチャラよ!」

理屈としてはそうだが、おれにまるで選択の権利が与えられていない……

ヒロコママは光の早さで札束を掴み、レジスターにぶちこんだ。

「決まりだな」

平田は平田でおれに受けさせたいのだ、依頼が受諾された既成事実が出来上がればそれでいいのだろう。

「断るってんなら、早くツケを払ってちょうだい!」

ヒロコママが目をつり上げて言う。

そ、そんな大金ないぜ。

「あー、もう、なんなんだよ」

思ったことがそのまま口から漏れた。

「やるよ、仕方ない。でも、倒すのは可哀想だ。ちょっと痛めつけてもうお前らに関わらないように言うよ。それでいいか?」

「いや、倒してくれ!」

「どうせこの男にお前らがちょっかいかけたんだろ?」

「……」

「ほら見ろ、やっぱりそうだ」

平田の胸を指でこづく。

「なんなら説得でもいい。お前らと関わることにまるで生産性がないことを教えるのでもいい。なんでもいいが、倒すのはダメだ」

「なら、他の武術家に依頼する」

おれは笑った。腹の底から笑った。

「並みの奴じゃ相手にならないから、おれのところにもってきたんだろ?」

「……」

沈黙をする辺りが本当だという証拠だ。

「まあ、いいや。おれの話はわかったろ?」

首をかしげ、平田に問う。

無論、平田が言うべき言葉は予想できた。

そして、やや沈黙あって、静かに

「ああ」

と平田は答えたのだった。

ほらね。

「だが、その前にお前にはテストを受けてもらわなければならない」

これは予想してなかった。おれを試そう、というのだ。腹立たしい。

「何人かと組手をし、その実力を証明して見せてくれ」

まあ、いい。どうせ抵抗したってやるって流れになるのだから。それに、ヒロコママがさっきから薄目でこちらを睨んでいる。

「大丈夫だよ、行くから」

困ったように笑いながら、おれは言った。

「途中で逃げたらタダじゃおかないわよ」

おっかない。

平田や顕天会は一ミリも怖くはない(頭にはくる。死ぬほど)が、ヒロコママのあの一睨みはなかなかの迫力である。新宿でスターウォーズをI-MAX 3Dで見たときくらいの迫力がある。

「話が早い」

平田が言う。

「かっこつけんな、大分かかったろ」

「あ、ああ。よし、行くぞ」

なんだ、今からなのかよ。

出ていく平田の後ろについていった。

車に乗り込み、平田の隣、助手席に座る。


首都高を走る。平日と言うのに、トラックや自家用車が走りまくっている。日本の物流が動いているような気がした。

おれはダッシュボードに足をのせ、手を頭の後ろで組んだ。

「話は戻るが」

おれが言う。

「なんだ」

平田が視線を前に固定させたまま、言う。

「その津田、ってのは本当に単なる空手家なのか?」

「いや、大学生だ」

「単なる学生にやられたのか。弱っちいんだな、おまえら」

実際、褒められた強さではない。貧弱だとは思っていたが、それほどか。

「流派とかわかんないの?」

「ああ、それくらいなら分かる」

「早く言え。勿体ぶるな」

「鬼哭館、というらしい」

ダッシュボードに乗せた足を、下ろした。鬼哭館……牛頭の鬼哭館。

「お前、それ、本当かよ」

思わず、問うた。牛頭の鬼哭館が相手なら確かに並みの奴じゃ話にならない。

「ああ。やつはそこで10年もの間、空手に身を投じていたらしい」

これは実にまずいことになった。

「前言撤回だ……その津田って男とは本気でやるぜ」

「そうか、よかった」

下手したら、殺しかねん。もし本当に鬼哭館で10年も修行を積んだのが相手ならこちらも五体満足で帰れないだろう……。

だが、それは言わないでおいた。もし言えば平田を喜ばせるだけだ。そんなことは指を失ってもやりたくはない。


首都高を降り、港の方へと走っていった。喧騒と華やかさを後ろへとすっ飛ばし、コンテナ置き場でエンジンは停止した。

ドアを開けると、潮の香りが微香を突いた。冬だからいいが、夏はきっと腐った匂いがするに違いない。

「着いた」

呟き、平田が車を降りた。こいつはいちいちカッコつけなきゃ気がすまないのだろうか。

そうだとしたら単なる勘違いでしかない。まるでカッコよくなんてないからな!

などと脳内でツッコミをいれつつ、平田に続いておれも歩く。

コンテナの横を通りすぎると、すこし開けた場所に出てた。20メートル四方に何もない場所だ。

そこに平田と同じく背広姿の奴が三人、それらの横に立つように男たちが立っていた。

「遅くなった」

平田が言う。

「いや、時間通りだ」

白髪頭の男が言う。

「我々もいま来たところ」

背の低い男が言う。

「すぐにでも始めましょう」

痩せた男が言う。

その言葉に、平田が頷く。

「支部長のみなさん、お集まりいただきありがとうございます」

平田が軽く頭を下げた。

「事前通達の通り、みなさんが推薦した者たちを闘わせ一番強い者に津田琴乃の討伐を任せる、それで構いませんね?」

男たちが首をたてに降り、肯定の意を示した。

そういうシステムだとはつゆも思わなかった。まるで「蟲毒」だが、まあいい。やらなければならないのは、同じだ。


「まずは私と、川崎支部長のところでどうでしょう?」

平田が言う。白髪の男、川崎はそれに頷いて答えた。ということは、おれの出番か。

「仙さん、行って下さい」

川崎が言う。仙、と呼ばれた男が前にでる。

Tシャツにジャージ下を身につけた男。

体格は中肉中背。

仙が一礼し、構えた。

「はじめ!」

平田の声が、虚空に響いた。

仙はアップライトに構える。頭部を守るように拳を上げている。

ムエタイか、キックボクシングか。

おれは軽く、左の掌を構えるだけだ。

特に拳を握ったりだとか、リズムをとったりはしない。

ただ、ゆったりと山のように構える。

それだけで良い。

仙が近づく。

おれは下がらない。

まだ、間合いではない。

射程にはいってはいない。

ここで動くようなことはない。

じり、じりと仙が間合いを詰める。

痺れる。

息を吸い込むと、鼻の粘膜が痺れる感覚を覚える。

それは仙も同じだろう。

玉のような汗が、肌に浮いていた。

呼気も最初のときよりは、荒くなっている。

仙がある程度の所を境に前に出るのを止めた。

そこは奴の射程と、おれの間合いがぶつかる寸前の距離。

さすがにそれくらいは察知できるレベルらしい。

右に回ったり、左に回ったり、前後に揺さぶったり。色々、動く。

しかし、決定的な数センチを詰められないでいる。

仕切りに下唇を舐めていた。

どうやら乾くらしい。

「どうしたんですか」

川崎が仙に問う。

だが、仙は答えない。いや、答えられない。目の前にいるおれから視線をそらすことが、意識をそらすことすらできないのだ。

ふっふっふっ。

仙の呼気が更に荒くなる。

まばたきすら許されない緊張感が張り詰められていた。

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