コスモスアラウンドザワールド
こう言ってはなんだが、僕は頼み事が上手い。
今、眼前で刑事が仏頂面を晒ながら腕を組んでいるがそんなことは大したことではない。
ここが警察署のなかだということも、大した理由にはならない。
「あのなぁ……」
刑事が白髪混じりの頭を掻く。
「個人情報をそんな簡単に教えられないんだよ」
「解っています。僕も簡単に聞きに来たわけじゃない」
「じゃあなんで来たんだよ」
ごもっともな指摘だ。
「教えてもらうためです」
「だから駄目だって言ったろ」
刑事が苛立ち混じりに言う。
「あのな、どんな手続きを踏んでも無駄だからな」
「手続きを踏むつもりはありません。ただ、教えてくれれば良いのです」
「お前なぁ」
「これから僕が言う言葉を聞けば、刑事さんもきっとあの子の居場所を言いたくなりますよ」
「ほう、なんだ?総理大臣の孫だって言いたいのか?それとも大統領の子か?ったく」
刑事がスマートフォンを取りだし、操作を始めた。
不馴れなのか、片手でつかんでもう片方の手の指でゆっくり操作している。
フリック操作に慣れていないのか、何度も画面を連打していた。
デジタル時代にあっては眼前にそびえるような昔気質の人間も生きづらかろう。
「僕は津田琴乃。空手道鬼哭館に在籍する身です」
唐突に自己紹介を始めたわけではない。
こちらの身分を明かす必要があった。
「え……」
刑事の視線が手元のスマートフォンからこちらに移行する。
「道場では研修生の肩書きを頂きました」
その動揺を意にも介さず、僕は口を開く。
「……」
「お願いします。あの少年の居場所を教えて頂きたい」
「……」
明らかに刑事の動きが止まった。
「そ、それは……」
「鬼哭館は今後も地元や警察と連携し、犯罪や非行の撲滅に取り組むつもりです」
嘘偽りはない。鬼哭館はルールを守らない者を激しく嫌悪する気風がある。犯罪は許さない、というのが道場生がもつ心情である。
だから警察と連携して犯罪撲滅に取り組むことは当たり前である。
見回り、お歳よりの戸締まり確認、いろいろ。
奉仕活動も修身の一環として、行うのだ。
正しきを修めよ、と師範は口癖のように言う。
世のために力を使え、とも言う。
あれ、じゃあ僕がしていることはなんだろう?
僕がしてきたことはどうなのだろう?
悪人とはいえ、ぶっ飛ばして来たのは正しいことかしら?
まあ、それについてはまた今度、考えることにしよう。
刑事の鼻孔が拡がる。
「お兄ちゃん、鬼哭館の門下生だったのか」
「はい」
「で、貴斗くんの居場所を知ってどうするんだ?」
「貴斗くん? あの子はそういう名前なんですか」
「ああ、そうだ」
「僕は彼に確認したいことがあるんです」
「それだけか?」
刑事の問いに、僕は頷いた。
どうしても彼に会って確かめたいことがある。
それは間違いない。
「それだけです」
「わかった」
小さく呟いて刑事は部屋に戻っていき、数分後、一枚の紙片を手に戻ってきたのだった。
「ほら」
そこにはボールペンで何かが殴り書きされていた。
住所だった。
「これが貴斗くんの住所だ」
「恩に着ます」
一礼し、僕は踵を返した。
「俺から聞いたって言うなよー」
僕の背中に刑事が声をかけ、手を挙げることで僕はそれに応えた。
教えられた住所を頼りに家を探す。
団地の中に入り込んだ。
この団地のB棟、304に住んでいるらしい。
B棟……B棟……あった。
金属で出来た「B」というプレートが赤茶色に偏食しているのが、午後8時の闇の中でも確認できる。
エントランスの脇に、三輪車が横たわっていた。
色褪せ朽ち果ててはいても、昔はそれに跨がる子がいたのだ。
楽しい時間を共有していたのだ。
「かわいそうに」
役目を終えても弔って貰えないそいつを、僕はそっと直してあげた。
僕ってばいいことをするもんである。
エントランスをこえ、階段を上っていく。
外は寒いが、中は更に寒かった。
僕の足音が無機質に反響する。
そとの世界とは、何かが断絶されたような気分だ。
空気であり、酸素であり、温度である。
無論、気のせいではある。
気のせいだが、どうしてかこの団地には人の生活がもつ「暖かみ」と言ったものが無いのだ。
3階に上がり、304号室の前に立つ。
呼び鈴を押すと、中から足音が聞こえてきた。
どう声をかけようー今さらながら、そんなことを考える。
解錠の音がし、中からは痩せ細った女性が出てきた。
貴斗くんの母親だろうか?
まあり血色が良くない。
「はい?」
「夜分にすみません、空手道鬼哭館の津田琴乃といいます」
「なんの御用ですか?」
明らかに警戒されている。無理もない、夜に男が一人訪ねてきたのだ。
「貴斗くんに少し話がありまして」
話ながら、そういえば僕はこの人の旦那をぶっとばしたんだよな、と思う。
「どんなお話ですか? 用件なら伝えておきます」
とりつく島もない。
「わかりました。相談ならいつでもおいで、とお願いします」
別に今日だけがその機会に恵まれるわけではない。
場所がわかったのだ、どうとでもなる。
僕は心神拳のオッサンとその門下生を心の底からブッ飛ばした。
それで良かった、その時は思っていたが考えればそうではない。
曲がりなりにも貴斗くんの心の拠り所だったものを、意図も簡単に破壊してしまった。
それを謝りたい。
良いとか悪いとかそういった問題ではない、感情の問題だ。
でも、ごめん、だとワケがわからないから「相談ならいつでも来てほしい」と濁す。
まずは繋がりを作る。
そして、きちんとごめんなさいをする。
それが望ましい。
だが、僕の願いは脆くも母親の言葉によって打ち砕かれた。
「その必要はないんで」
あくまでも冷静に言い放ち、母親は玄関のドアを閉めた。
バタム、という音が「帰れ」という罵声に聞こえた。
どういうことですか!? と、問う気力もない。
もう一度、チャイムを押す力もない。
僕はただ、鉄で出来た境界線を見つめるだけだった。
階段を下りる足取りは、お世辞にも軽いとは言えなかった。
無力感。
僕の力なぞ、所詮は自己満足に過ぎない。
いままで、なんか力を振り回して世間の役に立っていた気がしていた。
畜生っー
悪人をぶん殴り、世界が善のベクトルへ進んだ気がした。
畜生っー
だが、そんなものは気がしただけだったようだ。
畜生っ、畜生っ!ー
思い込みだったようだ。
こうなると何のために自分が修行を積んできたか分からない。
一人の少年の世界を破壊し、ルンルン気分で他人を破壊。
あー満足、と破顔の笑みで家に帰る。
他所から見たらまるで僕が悪人ではないか。
これを豪さんや師範に話せばきっと、
「そんな時もあるぜ」といって慰めてくれる。
しかし、僕はいま傷ついているのだ。
徒労感に苛まれているのだ。
結局、顕天会への殴り込みも、真理の保護も、別に世間の役に立ってなんかいない。
僕は蟻だ、ミジンコだ、アメーバだ。
ちっぽけな存在だということを認めたくなかっただけだ。
僕はなにもできやしない。
うじうじうじうじうじうじうじうじ。
ほら、今、目の前で小さな子が白い布を被せられて黒のワンボックスカーに押し込められて……
ん?
待てよ、待て。
どう見てもあれは怪しい。
健全な雰囲気には見えないな。
気がつくと僕の足はそのワンボックスカーに向かっていた。
「おい」
声をかける。
数人の背広姿の男が、ぎょっとして僕から離れた。
なんなんだ、こいつら?
さて、車のなかにいる子を見る。
幸いにもドアは開けられたままであった。
大丈夫だろうか。
おや?
僕はその子供に見覚えがあった。
「貴斗くん!」
「お兄ちゃん!」
なんたる偶然、むしろ奇跡!
今この場で謝れば、なんかすっきりする気がするぞ!
とは思ったが、どうやらそうもできる様子ではないらしい。
一つ。
貴斗くんの顔に明確に痣が出来ていたからである。
二つ。
「つ、津田琴乃!」
と誰かが僕の名を叫んだからだ。
無論、貴斗くんではない。
では誰か。
背広姿の男達以外に誰がいようか。
「誰かな、お前達」
こんなやつらに知り合いはいない。
「あの平田支部長様や、テコンドーの林さんを葬った悪の空手家!」
ははあ、こいつら顕天会だな。
なんたるちや、サンタルチア。
全くもってご縁があるようだ。
「気を付けろ、見たことない技を使うらしい……!」
「毒の霧を出すって噂だぞ!」
どんな噂だよ。僕はマジシャンか。
大体、さきに絡んできたのはあいつらのほうじゃないか。
それを僕のせいにするとは、まったく、腹立たしい。
こいつらが、いったい僕に何をしてくれるというんだ。
あー、だんだん腹が立ってきた。
ゆっくり近づく二人の男。
互いに顔を見合わせている。
一斉に飛びかかってやっつけようという魂胆らしい。
うむ、それは悪くない。
相手の体格もそこそこガッチリしているから、並みの人間相手なら通用する戦略だろう。
だが一つ、間違いがある。
「おうっ!」
気合い一閃と共に地面を踏み込んだ。
ズドム、という音。
「ひっ」
二人が下がった。
射程範囲外だ。
後ろ手で、後部座席のドアを閉める。
「鍵、閉めてな」
ゆるりと僕は動き、運転席のドアを開けた。
「に、逃げるのか!」
男の一人が言う。
「卑怯者!」
もう一人も言う。声は勇ましいが、顔はどこか安堵の表情を浮かべていた。
「逃げる? 冗談を」
僕は車の鍵を抜き取り、それを思い切り投げた。
闇夜の虚空に鍵が吸い込まれていく。
着地音がしない。
よほど、遠くまで投げたようだ。
男達の方を、向き直った。
「今からお前達をぶん殴る。お前達の親でも判別ができなくなるまで、ボコる」
男達の顔が青ざめていく。
僕は歩く。
「そのあと、後遺症が残るよう膝間接を破壊する」
近づく。
男達の後退り。
「いや、手を縛り顔に傷をつけ、野良犬の前に放り出すのもいい」
自分で言っててなんだが、そんなに都合よく野良犬がいるわけない。大体、この手法自体がアメリカンドラマの模倣だ。
言ってて笑ってしまった。
だが、それがよほど不気味に写ったのだろうか。
男達の表情が更に強張っていった。
「さあ、憎き顕天会の敵、悪魔が目の前に居るのだ。君たちが取るべき行動とは?」
男達は何も言わない。ただ、僕を見つめる。
「うおおおおおお」
「うおおおおおお」
と意味もなく吠えてみせる。
無駄吠え。
犬か。
そんな光景を見ていて、僕は、あれ、と思った。
既視感を覚えるのである。
あ、これはもしかすると……
「何をしているのか!」
左方向より男の声。
ほら、やっぱり助っ人だ。
もしかすると、顕天会ってのは必ずしも腕のたつ(事象)奴を連れて歩いているのかもしらん。
「もたつくな!」
再び左方向より男の声。
だが、アクセントがおかしい。
街灯に照らされたのは、大柄な金髪の男。
白人男性だ。年齢は40くらいだろう。
別に人種なんかどうでもいい。
だが、僕は固まった。
あの冗談の通じなさそうな仏頂面を知っているからだ。
「ゲオルグ・イニリャートゥ……」
かつて僕が子供の頃、勝てなかったあのドイツ人。
どこに行ったと思ったが、こんなところで会うとは。
「津田琴乃……お前か」
ゲオルグが構える。
手刀をこちらに突きつける構え。
変幻自在な足技が底から飛んでくる。
「堕落だね、ゲオルグさん」
僕も構える。
腹の前で拳を小さく握る。
「あなたほどの人が、どうして?」
「答える義務が私にあるか?」
「ないね」
「では、答えない」
ゲオルグが前に出てきた。
圧力があるー退がりたい。
しかし、それはできない。
心で負けられない。
僕も前に出た。
そして僕はゲオルグの顔が笑うのを見た。
カウンターの前蹴りだ。
くそっ、乗せられた!
腹筋を固め、それに耐える。
悶絶せずに済んだのは、僕が大きくなったからか。
だが、ダメージも……
あれ、ない。
嘘だと思うが、まるでダメージがないのだ。
不思議だ。
あ、これ!
ひょっとすると、ひょっとする。
「大きくなったな、津田琴乃」
喋るゲオルグのうちに入り、レバーに一発。
「しっ!」
鋭く呼気を吐き出し、拳を疾らせた。
「ふぅぐっ!」
ゲオルグが息を吐いて、下がった。
「……やるな」
余裕綽々のコメント痛み入るが、どう見ても有効打であった。
オーケイ。
謎は解けた!




