シンカー
北風が枯葉を巻き上げた。
人通りが多い中にあっては、それは情緒的な風景とは言えない。
通行人は落ち葉で滑らないように、注意を払いつつ歩く。
僕と兄弟子の豪さん。
大型の二人の歩行に、通りすがる人は少しだけ視線を投げる。
でも、すぐに戻す。
関わりたくない、それとも、急いでいる?
もうすぐ正月。
買い物リストを片手に、豪さんと店を回る。
ふいに、豪さんが口を開いた。
白息が宙空を舞う。
「ゲオルグって覚えてる?」
豪さんが問う。
「ああ、あのドイツ人でしょ」
肉体派ゲルマンジョークことゲオルグ。
少年部の時に少しだけ会ったが、強かった。
小学生だった僕にも容赦しなかった。
「強いよね、ゲオルグさん」
しみじみと、言う。
すると、どうか。
「はははははは!」
豪さんが笑った。
「思い出補正だな、琴乃」
「豪さん、それ使い方違うだろ」
「いや、合ってるよ」
「わからないな」
「つまりさ、あのゲオルグって男は自分が弱いと思う男には強いんだよ」
「え、そうなの」
初耳だった。そんなの知る由もない。
逆を言えば、自分が「強い!」と思った相手には弱くなってしまうことになる。
「今、琴乃がゲオルグと戦えば間違いなく勝てるよ」
「そんなもんかなあ」
「そうだよ」
「うーん」
唸ってしまった。
現物を見ていないから、納得のしようがない。
転勤族っぽかったし、会えるとも思えない。
でももし、会えるならどうだろう。
その時僕は、勝てるかな。
やってみたいな。
自然と、そういう考えが頭の中に浮かんでくる。
ぼくらはそういう人種だ。
買い物を済ませて、道場へと、鬼の哭く館へと戻る。
今年は後半がばたついな。
来年は穏やかな一年を過ごしたい。
穏やかな一年?
「ねえ、豪さん」
「ん?」
「一年が穏やかであるように、って祈ることあるよね」
「ああ、まあ、一般的にな」
「僕らもそれを望むか?」
「望むんじゃないかな」
「本当かな」
「どういうことだ?」
立ち止まって、豪さんの顔を見る。
「だって、僕たちは空手をしている時が一番幸せだよね」
「うん」
「それって本当に穏やかか?」
「どうだろう」
豪さんも考え込む。
己の肉体をいじめ、鍛えぬく。
それが楽しいと感じる。
痛みと熱で爪先まで冴え渡る瞬間、刹那、それを心から喜ぶ。
その瞬間こそが安堵であり、平静であると考える。
それは「穏やか」に入るのだろうか。
「もしかすると、普通でいられなくなったのかな?」
豪さんに問う。
「はははは!」
豪さんが笑う。
「普通なんて存在しないよ、琴乃」
僕の肩を叩いた。
どん、という衝撃を覚える。(本人は優しく叩いたつもりだろう)
「なるようになるさ」
歩き出す豪さんの背中に、続く。
ああ、まるで答えになっていない。
でも、僕ららしい。
らしさは、そこにある。
それでいいのかもしれない。
戻ると、真里と江利香がお茶を出してくれた。
道場の床の間に腰掛け、それを豪さんとすする。
どうも僕たちは特に用事がなくても、道場に行ってしまう。
広くて板の間の道場に。
「街はどうだった?」
真里が問う。
すっかり、ここに馴染んでいる。
もうどれくらい経ったろう。半年は経過しているはずだ。
「寒かった」
豪さんが答えた。
「違うわよ、そうじゃなくて」
江利香が半笑で言う。
「セールとかあった?」
「わからない。見てないから」
僕が答える。
「はあ? 何しに行ったのよ!」
「買い出し」
豪さんが、そこらにあったみかんを、ひょいと口に放り入れた。
皮ごと食べる。
「えー!」
目を見開いて、真里が驚く。
飲み込んで豪さんが口を開く。
「国産だから、農薬とかないよ。大丈夫」
「そうじゃないだろ!」
豪さんのボケ(?)に江利香がつっこんだ。
笑いが反響した。
がらがらとドアが開き、どてら姿のおじさんが入ってきた。
ロマンスグレーの髪をぼさぼさにし、目を充血させている。
牛頭龍一主席師範。
僕と豪さんの師匠だ。
「先生、どうですか?」
豪さんが問う。
「どうもこうもねえよ……専門用語が多すぎて。今日も徹夜じゃい」
僕のお茶をひったくって、飲み始める。
「あー」
小さく声を出して抗議するが、それは届かなかった。
それを見た真里が小さく笑う。
「専門用語ったって、料理本じゃないですか」
「いや、おまえ、それをインドネシア語に訳すんだぞ。無茶苦茶だぜ」
そういえば先生はタガログ語とかインドネシア語の翻訳もするんだった。
普段は通訳の仕事の方が多いけど、小さな出版社から翻訳の仕事もも回ってくるそうだ。
「注釈が大変だよ。『かつら剥き』を一から説明すると本当に面倒だな」
僕の(もう先生のだけど)お茶をすすりながら、話す。
「おい、琴乃」
先生が僕を見る。
「トンファーどうなった?」
「見せます」
道場の隅に置いたバッグから、取り出した。
トンファ。
棒に持ち手をつけたT字のような武器。
両手に持ち、使う。
「ご覧ください」
ゆっくりと息を吐きながら、両手を交差させる。
鋭く動き、ゆるりと流し、刺す。
攻撃のみでなく、防御のみでない。
同時に行う。
相手の動きを誘発させ、そこを叩く。
トンファは手足の延長だ。
僕の手は伸び、硬くなる。
僕の脳が相手を描く。
相手が刀を持ち、上段から打ってきた。
それを半身になりながら、上から左手で押さえる。
遠心力で右のトンファで打つ。
「えいっ!」
構え直す。
相手が中段への刺突。
それを左手で内受け、右手で外に追い出す。
ちょうど、空手で言う「掛け受け」の形に似ている。
空いた喉に突き。
いくつもの攻撃パターンを考え、
いくつもの反撃パターンを生み出す。
何度か繰り返した。
呼吸を整え、トンファを片手に抱える。
一礼。
息を吐く。
「いいんじゃねえかな」
師範が言う。
「もう少し”握り”を工夫してみろ」
「はい」
「じゃあな」
そういうと自室へ戻っていった。
料理本をインドネシア語に翻訳するのだろう。
大変だな!
「いやあ、琴乃も真剣にやってるんだな」
江利香が言う。
「なんだよ、いきなり」
「いや、あんなに真剣な顔をした琴乃はじめてみた」
「えー」
「琴乃はいつもぼーっとしてるのかと思ってた」
酷い印象を持たれている。
「真里ちゃんはどう思う?」
「面白かった!」
「それも酷い感想だな」
苦笑いしかできない。
ふと、豪さんを見ると、どうだろう。
口を尖らせている。
「どうしたの、豪さん」
「いやあ、ちょっと考え事」
「おれのトンファひどかった?」
「そうじゃなくて、自分のね」
「豪さん今、何してんだっけ」
「秘密」
なんだ、秘密か。




