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大人への道程  作者: 石原裕
第三章 思春期の頃

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第8話 あの日が私の青春の最後の一日だったのか?

 その夜、二人は飲み歩いた。文無しになった聡亮は、最初、香織の誘いを断ったが、香織は遮二無二彼を引っ張って行った。

「この次は俺が奢るよ」

「この次なんてどうでも良いの。今夜は今夜、明日は明日の風が吹くの」

香織は無性に飲みたかった。

「予期もせずに手に入った濡れ手で粟のお金じゃないの。ぱあ~っと二人で使っちゃおうよ」

二十万円は使い応えがあった。多少出費したのは最初に食事をしたレストランくらいで、後は聡亮の馴染みの居酒屋やスナックを廻ったのだが、何れも安い店だった。

 最後の店を出た時には香織の足元は怪しくなっていた。一旦彼に返したハンティングを香織は再び被っていた。どの店で聡亮から取り上げたのか、香織にははっきりしなかった。

「次はホテルよ」

彼女は聡亮にぶら下がりながら歩いていた。

「なに?ホテル代まで飲んじゃった?・・・そうか、はっはっは・・・」

「君は飲み過ぎだよ」

「飲み過ぎてもセックスくらい出来るわよ、試してみれば解るわ」

「もう帰った方が良いよ、俺が家まで送って行くから」

「嫌よ、私はあなたと寝るんだから」

聡亮は当惑して眼を瞬いた。

「未だ昔のトラウマを引き摺っているのか?良い加減に吹っ切れよ」

「昔のあの頃の私が真実の私で、受験勉強から後の私は偽りの私よ。私の本質は変わっていないわ。あなた、私がどんな女か知っているでしょう?」

「知っているさ。君は賢くて素直で優しい奴だよ」

「止めてよ!胸糞が悪いわ」

香織は恨めしそうな眼で聡亮を見つめて、言った。

「私の躰には淫乱の血が流れているのよ。その血が時々、わあ~っと騒ぎ出すのよ!」

「君のお父さんは六年もの間、東京で独り暮らしをされて居ても、浮いた女の話は何一つ無いんだろう?十文字遺伝で君はDNAの大部分をお父さんから受け継いでいるんだぞ」

「十文字遺伝って?」

「女の子は父親に似て、男の子は母親に似る、って奴だよ。隔世十文字遺伝で君はお祖母さんとお父さんから良い遺伝子をいっぱい貰っているんだ。だからもう、そういうことを考えたり言ったりするのは止めろよ」

「あなた、真実に心も躰も健康的ね。それでよく文学が探究出来るわね。私が文学部であなたが工学部へ入れば良かったんだわ、きっと」

「君が何と言おうと、俺だけはちゃんと君のことを理解しているよ」

「善人のあなたに何が解るのよ!いいわ、もう帰ってよ」

 香織は聡亮を押しのけようとしてよろめき、気分が悪くなって、道路に蹲って吐き出した。

聡亮がしゃがみ込んで彼女の背中を摩った。大きな掌の温かい感触だった。香織は吐きながら泣き出した。通行人の話し声やヘッドライトの流れを漠然と意識しながら彼女は吐き、泣き続けた。聡亮はタクシーで香織を家まで送ったが、彼女は車の中でも泣きじゃくり続けていた。そして、香織が車から降りて家の中に入るまで、聡亮は門の陰に停めたタクシーの中で彼女を見送った。

 

 明くる日、香織は宿酔いで大学を休んだ。宿酔いの辛さに加えて、前夜の醜態が彼女をいたたまれぬ思いにしていた。聡亮と二人で醜態を演じたのならともかく、醜態を晒したのは香織一人だけだったのだ。彼女は絶対に彼と顔を合わせたくないと思った。幸いにも 香織は工学部の学生だったので文学部の学棟に近寄らなければ聡亮と出遭うことは無かった。

だが、そうも上手くは行かなかった。何日もしない内に、夜、聡亮から容態を心配する電話が架かって来て、香織はその翌日の午後に会う約束をした。

 二人は大学の近くの喫茶店で逢った。

聡亮は一足遅れてやって来たが、新聞の束を脇に抱えていた。それはスポーツ新聞と競馬新聞だった。

「あれから色々研究したんだよ」

彼はスポーツ新聞の競馬欄を広げて言った。

「今度は必ず当てて、君に奢るからな」

香織はあきれて聡亮の顔と新聞とを見比べた。

あの後、私がどんな思いに駆られたのか、この人には察しがつかないのかしら・・・

新聞には赤のボールペンで丸や三角が書き込まれていた。

「競馬はもう結構よ、それに、あなたもね。健康優良児は私のタイプに合わないわ」

そう言うと香織は席を立った。聡亮は彼女の言葉が直ぐには呑み込めないような表情で眼を一杯に見開いていた。

 

 半月ほどが経った頃、二人は構内で出くわして顔を見合わせたが、共に屈託無げに気恥し気に微笑み合った。が、香織が驚いたことに聡亮はあのハンティングを被っていた。

 競馬場の情景が彼女の眼に蘇った。青い空から陽光が降り注ぎ、観衆がスタンドを埋め、芝生に馬券が散らばっていた。その中にハンティンブを被った聡亮が居て、上気した香織が居た。

 ひょっとすると、あの日が私の青春の最後の一日だったのかも知れない。嵐が通り過ぎたように、あの日を境に、真実、私はごく普通の真面な女子学生になったのだから・・・

そう思うと、香織の胸に、聡亮への新たな思いがふっと湧き上がった。


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