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娘を守るためなら、私は悪役でいい

作者: 星渡リン
掲載日:2026/02/17

本作には、学園での「断罪イベント」に近い場面や、空気と噂で誰かを悪者に仕立てる描写が含まれます。

ただし主軸は、母が娘を守るために“悪役”を引き受け、理不尽な舞台を折っていくお話です。

後味は重くしすぎず、救いのある結末になります。

 扉の向こうから、聞き慣れない声がした。

 声の主は娘だ。聞き慣れないのは、言葉の刃のほう。


「……泣けば許されると思って?」


 乾いた語尾。冷えた間。

 鏡の前で背筋を伸ばし、台詞を噛みしめる気配がする。


 私はノックする手を止めた。


「王太子殿下に、近づかないで」


 紙をめくる音。赤いペンの線が擦れる音。

 胸の奥が、じわりと痛んだ。


 娘の名はアリア。十三歳。

 焼き菓子の匂いがすると目がきらきらする子で、猫に話しかけるときだけ声が一段甘くなる。

 その子が今、誰かを傷つける言葉を練習している。


「……平民のくせに」


 その瞬間、世界が静かに割れた。


 蛍光灯の白。消毒液の匂い。金属の冷たさ。

 泣き声。大人のため息。

 誰かの声が、薄く響く。


『仕方ないよ。みんな忙しいんだから』


 小さな手が伸びる。

 受け止めたかったのに、受け止められなくて。

 その手が、遠ざかっていく。


 ――二度目は、離さない。


 気づけば息を止めていた。

 扉の取っ手を握り直す。指先は冷たいのに、心臓だけが熱い。


 私はノックし、入った。


「アリア」


 娘はびくりと肩を跳ねさせ、慌てて紙を背中に隠した。

 隠し方が下手だ。下手なままでいてほしい。


「お母さま……!」


 鏡の中の娘は、悪役の顔を作りきれていなかった。

 目の奥に、怯えが居座っている。


 私は笑った。

 怒鳴らない。怒鳴れば娘は「私が悪い」と覚える。それだけは絶対にさせない。


「見せて」


「……だめ」


 小さな抵抗。

 怖いときの抵抗。


 私は膝を折り、目線を合わせる。


「怒らない。約束する」


 娘の唇が震えた。

 やがて、ゆっくり紙が差し出される。


 台詞の列。赤い添削。


“もっと冷たく”

“ここは笑って”

“観衆を見る”


 観衆。


 私は紙を畳んで机に置いた。壊れものを扱うみたいに丁寧に。

 そして、声の温度だけを落とした。


「誰が、これを?」


「儀典官の先生……。明日の『清廉の儀』のためにって」


 清廉の儀。

 学園と王宮が好む、きれいな儀式。

 きれいな儀式には、必ず“汚れ役”がいる。


「わたしが悪い役をやると、みんながまとまるんだって」


 娘は目を伏せ、細い声で続けた。


「聖女候補のミラさまが傷つかないためにって……。わたしが悪い子になれば、うまくいくって」


 胸がぎゅっと縮んだ。

 この子は優しすぎる。だから狙われる。


 私は娘を抱きしめる。

 背中が少し硬い。呼吸が浅い。


「アリア」


「……なに」


「それは、あなたの仕事じゃない」


「でも……」


「でも、じゃない」


 守るときだけ、声を強くする。


「娘を守るためなら、私は悪役でいい」


 娘が顔を上げた。目がまんまるだ。


「お母さまが……悪役?」


「うん。あなたじゃなくて、私がやる」


 娘の目に涙が溜まった。

 怖い涙。悔しい涙。安心した涙。ぜんぶ混ざっている。


「……お母さま、嫌われるよ」


「嫌われてもいい」


 私は即答した。


「嫌われたら、そのぶん私があなたを好きでいる。増やす。大丈夫」


 娘が鼻をすすって、少しだけ笑った。泣き笑いだ。

 その笑いを守るために、私は決めた。


 明日の舞台を壊す。

 正義の顔をした仕組みを折る。

 娘を“役”から解放する。



 夜。

 侍女ノエルが私の部屋で髪を梳きながら言った。


「夫人、悪役は眉の角度からです」


「学びたくない」


「学ばないと、悪役に見えません」


「見えなくていいのよ。悪役ってのは、見た目じゃない」


「見た目で空気が決まるんです。人間はそういう生き物です」


 ノエルは真顔のまま淡々と刺してくる。

 私はため息を吐き、笑った。


「ノエル。明日の儀式、進行役は?」


「儀典官ベレンです。教会の監督官ローデンも同席します」


「王太子は?」


「ユリウス殿下もご臨席。観衆は上級生と貴族の保護者。拍手が得意な方々です」


「拍手が得意って何」


「拍手で空気を作るのが得意、という意味です」


 嫌な言い方だ。嫌なほど当たっている。


「それから夫人。会場は『誓約の間』です」


 私は手を止めた。


「誓約の間……?」


「はい。あの床、嘘が嫌いなんです。虚偽を口にすると、声が出にくくなるって噂があります」


 噂じゃない。私は知っている。

 この世界の“儀式の部屋”は、言葉に重みを持たせるために作られている。


 なら、使える。


「明日の席。アリアは私のすぐ後ろ。手が届く距離」


「承知しました」


「ベレンの台本を探れる?」


 ノエルが一瞬だけ口角を上げる。


「生活のための情報収集は得意です」


 私は頷いた。


「悪役になるなら、最後まで悪役でいてください」


 ノエルが声を落とす。


「途中で優しくすると、相手が『可哀想な正義』になります。あれ、最悪です」


「……分かった。今日は優しさを隠す」


「はい。では衣装を選びましょう。悪役は色からです」


「学びたくないって言ったのに」


「世界を変える前に、着替えです」


 妙に現実的で、可笑しかった。

 私は笑って、そして思い出す。


 現実を守るために舞台を壊す。

 順番だけは、絶対に間違えない。



 翌日、誓約の間。


 白い床に淡い紋。光がまっすぐ落ちる。

 まっすぐな光は影を薄くする。影が薄いほど、人は自分を正しいと思い込む。


 観衆の席。囁き声。扇子の音。香水。上品な笑い。

 私は椅子の背に指をかけ、こっそりアリアの手を探した。


 触れた。

 冷たい。小さい。震えている。


 軽く握り返す。

 手をつないでいる間は、悪役になれない。

 でも今日は、手をつないだまま悪役になる。


 儀典官ベレンが壇上に立ち、澄ました声で語り始めた。


「本日は学園の清廉を示す儀。聖女候補ミラ様の純潔と慈愛を讃え――」


 ミラが前に出る。白い衣。細い足。

 目が怯えている。手首には薄い痣。隠しきれない。


 王太子ユリウスは、正義の顔をして座っていた。

 空気で作った顔だ。中身が、まだない。


 ベレンが次の合図を投げる。


「そして、彼女を傷つけた者に、相応の言葉を」


 会場の端で、誰かが小さく指を鳴らした。

 合図。

 観衆の呼吸が揃う。


 ベレンの視線がアリアへ向く。


「アリア嬢。あなたの言葉で、清廉を示しなさい」


 娘の肩が跳ねた。

 私は立ち上がった。


 空気がたわむ。台本がきしむ音が、見えない場所からした気がした。


「その役は、私が引き受けます」


 ざわ、と波が走る。

 ベレンの笑みが一瞬止まる。


「レティシア夫人、何を――」


 私は壇上に上がった。

 靴音が白い床に響く。紋が、薄く光ったように見えた。


 そして私は、あえて悪役の声で言う。


「娘を守るためなら、私は悪役でいい」


 観衆が息を呑む。

 拍手しようとした手が止まる。合図が追いつかない。台本にない。


 私はゆっくり笑う。

 優しさを隠すための笑いだ。


「素敵な儀式ですね。なら、清廉にやりましょう」


 私は床の中心へ手を置いた。


「誓約します。この場で語られる言葉は、証拠を伴う事実のみ。噂や推測で人を裁かない」


 ベレンが口を開く。


「夫人、それは――」


「誓約の間ですもの。言葉は力になる。正しく使いましょう」


 私は顔だけで振り向いた。


「異論があるなら、誓約を破ってください。床が教えてくれます。誰が嘘をついたか」


 ベレンの喉が動く。

 監督官ローデンの顔が初めて歪んだ。


「夫人、儀式は手順が――」


「手順通りに進めます。証拠を出して話す。それだけ」


 私は会場を見渡し、静かに指を差した。


「まず、あの方」


 会場の端。指を鳴らした男。


「あなた。今、合図をしましたよね。何のために?」


 男が青くなる。


「し、しておりません」


 床の紋が、ふっと強く光った。


 男は口を開けたまま、言葉が出ない。

 虚偽を嫌う床。噂ではなく、現実。


 ざわめきが広がる。

 ざわめきは、正義の形を崩す音だ。


 私は続ける。


「次。儀典官ベレン。あなたの手元の紙。台本ですね」


 ベレンが反射で紙を隠しかける。

 隠した時点で答えだ。


 私はにっこり笑う。


「公開してください。儀式の進行なら、見せられますよね?」


 ローデンが割って入る。


「夫人、学園の秩序が――」


「秩序のためなら隠す必要がない」


 私はローデンを見る。悪役の目で。逃げ道を塞ぐ目で。


「あなたの秩序は、子どもを傷つける秩序ですか」


 ローデンの口が止まった。


 私は最後の釘を落とす。


「台本に従って拍手した方は、拍手の理由を説明してください。できないなら、それは空気です。空気で人を裁くのは、清廉じゃない」


 観衆の中で、数人が顔を背けた。

 心当たりがある反応。


 私はアリアを振り返る。

 娘は泣きそうな顔で、でも、私を見ていた。逃げない目。


「アリア。台詞は言わなくていい」


 娘の唇が震える。


「でも……」


「いい」


 私は短く切る。


「代わりに、あなたの言葉を言って」


 娘が息を吸う。

 小さな勇気が膨らむ。


「……わたしは、誰かを泣かせたくありません」


 細い声。

 でも台本じゃない。だから強い。


 会場が静まった。

 静まりは、嘘が居場所を失う音だ。


 私は視線をミラへ向ける。


「ミラ様。あなたも。あなたの言葉で」


 ミラの目が揺れる。

 ローデンが小さく咳払いをした。止めろ、という合図。


 私はすぐ拾う。


「今の咳払い、合図ですね」


 床が淡く光る。

 ローデンの顔色が変わった。


 ミラは震えながらも、口を開いた。


「……私は……断罪で光りたくありません」


 空気が一段落ちた。

 正義の羽衣が、ずるりと滑る。


 ベレンが焦って叫ぶ。


「儀式を続行します! アリア嬢の――」


「続行するなら、証拠」


 私は冷たく言う。


「アリアが何をした。誰が、どこで、いつ見た。証拠は?」


 ベレンが詰まる。

 赤い添削の紙の上にあるのは台詞だけだ。事実がない。


 私は一歩、ベレンに近づいた。


「あなたは子どもに台詞を教えた。観衆に拍手の合図を仕込んだ」


 ミラが反射で手首を隠した。遅い。


「誰が、ミラ様に『泣け』と言いました?」


 ローデンが口を開きかける。


「夫人、それは――」


「誓約の間です」


 私は静かに言った。


「嘘をつけば声が出ない。さあ、どうぞ」


 ローデンは一瞬、ベレンを見る。

 ベレンはローデンを見る。


 視線の往復が、答えだった。


 私は“悪役”の笑みを深くする。


「なるほど。二人で作った舞台。もしくは、もっと上」


 観衆がざわめく。

 そのざわめきの中で、王太子ユリウスが初めて顔を上げた。


「……これは、正義ではない」


 声が震えている。

 でもそれは本物の震えだ。空気の声ではない。


「演出だ」


 ユリウスが立ち上がり、ベレンを見下ろす。


「私は、誰かの台本で人を裁きたくない」


 ベレンの顔が崩れた。


「殿下! これは教会の――」


「名前を出せば助かると思うな」


 ユリウスの声が冷えた。

 王太子の冷えは、会場の温度を変える。権力は空気を書き換える。


 ローデンが保身のために口を滑らせた。


「我々は学園の秩序のために! 聖女を立てるために! 必要な犠牲だった!」


 床が強く光った。

 言葉が、誓約の間に刻まれる。


 必要な犠牲。

 子どもを犠牲にする秩序。


 私はそこで初めて、優しさを少しだけ見せた。娘へ。


「アリア」


「……お母さま」


「聞いた? あなたは犠牲じゃない」


 娘の目から涙が落ちた。

 断罪の涙じゃない。解放の涙だ。


 私は会場を見渡し、最後の宣言を落とす。


「この儀式は終わりです」


 悪役の声で、終わりを言う。


「今日、断罪されるのは娘じゃない。子どもを道具にした大人たちの仕組みです」


 誰も拍手しなかった。

 拍手のない静けさは、勝利の音だった。



 儀式のあと。

 廊下に出ると、空気がやっと息をし始めた気がした。


 ノエルが後ろで、肩を軽く叩く。


「夫人、悪役として満点です。眉の角度も合格」


「褒め方が嫌」


「嫌でも合格です」


 私はアリアの手を握り直した。

 娘の手は、さっきよりあたたかい。


「お母さま……」


 アリアが小さく言う。


「私、怖かった」


「うん」


「でも、嬉しかった」


 私は足を止め、娘の頭に手を置いた。


「怖いのは、ちゃんと生きてる証拠。嬉しいのは、守れた証拠」


 娘が笑った。涙の跡が残る笑い。

 私はそれを胸にしまう。


 そこへミラが駆けてきた。

 白い衣の裾を持ち上げ、息を切らしている。


「夫人……ありがとうございました」


 私は首を振る。


「礼はいらない。あなたも被害者だった」


 ミラが目を伏せた。


「……断れなかったんです。空気が、怖くて」


「断れない空気は、悪役が壊す」


 私は淡々と言った。


「今日は私が壊した。あなたは自分の言葉を言った。それで十分」


 ミラが小さく頷いた。


 その後ろで、ユリウスが立っていた。少し疲れた顔だ。


「レティシア夫人」


「殿下」


「……あなたは救った」


「救ったのは私じゃない」


 私はアリアの手を見る。


「守っただけです」


 ユリウスが短く息を吐いた。


「あなたのような人が、悪役でいるのは……不思議だ」


 私は笑った。今度は、隠さない笑いだ。


「悪役は、誰かを傷つける人じゃありません」


 ゆっくり言う。


「子どもを守るために、空気を壊せる人です」


 ユリウスは黙って頷き、まっすぐ頭を下げた。

 王太子の頭が下がると、世界がひとつ変わる。正義の形が少し柔らかくなる。



 屋敷へ戻る馬車の中。


 アリアは私の袖を握ったまま、窓の外を見ていた。

 しばらくして、ぽつりと呟く。


「お母さま」


「なあに」


「悪役って……かっこいい」


「かっこよくない」


 私は即答した。


「怖かった」


 娘が笑った。


「でも、わたし、助かった」


 その言葉が胸に落ちて、熱くなる。

 私は娘の額に軽く口づけた。


「それなら十分」


 前の席でノエルが振り向く。


「夫人、悪役は引退できます」


「できるの?」


「はい。母親は終身ですが」


「そこは引退させてくれないのね」


「引退すると困るのは、娘さんです」


 ノエルの言葉に、アリアがくすくす笑った。

 私はその笑いを聞きながら、目を閉じる。


 ――二度目は、離さない。


 それだけでいい。

 悪役でも、何でも。


 娘が自由に笑えるなら。

 私は、喜んで空気を壊す。


 娘を守るためなら、私は悪役でいい。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


このお話で描きたかったのは、「悪役=誰かを傷つける人」ではなく、

“子どもを守るために、空気を壊せる人”という別の悪役像です。


きれいな正義の舞台ほど、誰かを黙らせる仕組みが用意されている。

だからこそ母は、娘の代わりに前へ出て、あえて嫌われ役を引き受けました。

その結果、救われたのは娘だけでなく、言葉を奪われていた人たちでもあります。


アリアの小さな一言と、母の覚悟が届いていたら嬉しいです。

ご感想や評価をいただけると、次の物語の力になります。ありがとうございました。

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