戴冠の朝
悲しみを置き去りにしたまま、時間は過ぎ去っていく。
あれからジェルマン政務大臣の指示で、戴冠式のその時まで、僕たち「王直属騎士団」は待機命令を出された。
新しい王が誕生するそのときまで、自由な時間を過ごすことになったが、僕は朝日が昇ってなお、気持ちの整理がついていなかった。
オンボロな隊舎の小窓から差し込む朝日が、「戴冠式はもうすぐだぞ」と言ってくるようで嫌になる。
「なぁロック。新しい王様って、どんな感じなんだろうなぁ」
ルームメイトのノルドがベッドに寝転がりながらそう尋ねてきた。お前のそのお気楽さが、今だけは心底羨ましいよ……。
「どんな感じたって、王位を継ぐのはゼルファイア陛下の御子息の第一王子、アルノード様じゃないか」
「あの人なぁ……オレ、あんまし好きじゃないんだよなぁ」
「そういうこと表で言わないでよ? 僕まで一緒にしょっぴかれるだろ……」
まぁ、正直ノルドの言わんとすることもわからなくはない。僕もあの人のことはどうしてもゼルファイア陛下と比べてしまうと、同列には敬えない。
別に嫌な人だとか、傲慢だとか、そういうのではない。
ただ、何を考えているのかよくわからない、と言えばいいのだろうか。
平民である僕がこんなことを考えるのはすごく烏滸がましいのはわかっているけど、ゼルファイア様ほどの努力を、あの人がしているようにはとても見えないし、いつも部屋に引きこもって何かをなさっているだけにしか見えないのが正直な本音だ。
こんなことを考えている間にも時間は過ぎていく。
もうすぐ日の出から時計の針が三周する頃だ。僕はノルドに声をかけて、六番隊を集合させた。こうして、祝う準備もできていないまま、再び王の間へと向かうことになった。
聖歌が響く王の間。
数時間のうちに、そこはかなり様変わりしていた。
元からあった装飾に加え、天井からの垂れ幕がぶら下がり、垂れ幕にはこの国の新しいシンボルであろう紋章が刺繍されている。前足を上げて、天に吠える犬のマークだ。余談だが、ゼルファイア様の紋章は、下界を見下ろす、宝玉を握りしめた龍だ。
その龍の紋章はと言えば、夜中ここに入った時には、あらゆる場所にそれがあったかのように思う。それが、綺麗さっぱり無くなっていた。まるで「ゼルファイア陛下など最初からいなかった」と言わんばかりに。
鼻につくような香の香りも気になった。
戴冠式にはこういう香を焚くものなのだろうか。どうにも鼻の奥がむずむずするような、刺激臭とは違う、香りにキツイものが、王の間には広がっていた。
祝福の香というより、何かを覆い隠すために焚かれているように感じた。
その時、王の間に響いていた聖歌がゆっくりと薄れていった。一人、また一人と歌い終えて、最終的には無音が王の間を包み込んだ。
その無音になったタイミングを見計らってか、空の玉座に近い位置にある壇上に、一人の老紳士、教皇様が姿を見せた。
「これより、リサイナール王国の、戴冠の儀を執り行う」
その一言で、場の空気が張り詰めるのを感じたその時、アルノード王子が姿を見せた。王の間へと入場した彼は、ラッパの音が鳴り響く空間をただ真っ直ぐ歩き、やがて空の玉座に腰を下ろした。
その後、戴冠式は順調に進んだ。至って順調に。
リサイナールの王位継承権は、基本的には第一王子が引き継ぐ。そのことを教皇様が淡々と読み上げて、アルノード・ゼル・リサイナール王子が正統な後継者であることを宣言した。
「貴族諸君、騎士団諸君、平民諸君。貴殿らは、この者を我らの王として認めるか」
王の間全体に向けて響くように語った教皇様。それに呼応して、ジェルマン政務大臣、エルメス騎士団長、そして商業ギルド支配人のルーファス殿が、それぞれの代表として前へ出た。
玉座に座ったアルノード様の前に立つと、右手を胸に添え、左膝を折って頭を垂れた。
「我ら、彼の者を王として認める」
そう語るも、どこか機械的な印象が拭えなかった。まるで、これは仕方ないことだとで言わんばかりの違和感が、その宣誓にはあった。
三名が席に戻ると、教皇様がアルノード様に目配せをひとつ打った。それを受け取ったアルノード様は玉座を立ち上がり、ローブを翻させながら王の間の中心へと歩みを重ねる。
そして、そこに立ったアルノード様は右手を掲げ、口を開いた。
「我、アルノード・ゼル・リサイナールは、
ここに、リサイナール王国の王として、誓いを立てる。
我は、この国の法を尊び、
その秩序を乱す者から、王国と民を守ることを誓う。
我は、先王ゼルファイア陛下の御意志を継ぎ、
民の声に耳を傾け、
公平と正義をもって、この国を治めることを誓う。
我は、王国の繁栄と安寧のため、
私心を捨て、
王としての責務を全うすることを、ここに誓う。
神と、王国と、
そしてこの場に集いし者たちの為に――」
アルノード様は手を下ろして、踵を返した。やがて小さな拍手が聞こえてきた。どこからか聞こえてきたそれはだんだん伝播していき、いつの間にか大喝采へと変貌していた。
だが、そこに心をこめている人はどれくらいいたのだろうか。少なくとも、僕は上っ面の拍手しか送れなかった。
どれも、間違っていない言葉だ。だけど――どれも、王の覚悟として語るには、ひどく軽い気がしてならなかったのだ。僕の胸の奥で、何かが置き去りにされたままの気がしてならなかった。
だけど僕は、どうしても、ただ見届ける立場でしかなかった。
その時はきた。玉座に腰掛けたアルノード様の前に、両手で王冠を崇めるように持った教皇様が歩み寄る。一歩、また一歩、玉座へと歩を進める。
誰もがそれを見守る中、教皇様はアルノード様の前に立った。祈りを唱え、王冠を頭に戴いた。
アルノード様の表情に、変化はない。噛み締めか、決意か。それはわからない。ただ、その瞳だけは、あの演説の時に似た熱があったようには思った。
「ここに、アルノード・ゼル・リサイナール一世の即位を宣言する」
こうして、新たな王政、新たな時代が幕を開けた。
その先に待ち受けるのは、希望ある楽園か、絶望待つ地獄か――僕には、知る由もなかった。




