夜明け前の王城 ― 不穏な始まり
その夜、いつでもそこにある堅牢な城壁は、やけに音を吸い込んでいる。そんな気がした。
夜明けにはまだ早すぎる時刻、王城は息を殺していた。
特に何かあったわけじゃない。ただ、ふと僕は目を覚ました。
一度身を起こすと、天井の小窓から入り込んでくる隙間風にぶるりと体を震わせる。その肌寒さに、僕は夢うつつな状態から叩き起こされた。まだ朝日は昇らない闇の時間。訓練開始まで、まだ時間がある。
平民出身の僕たちに時間を潰す娯楽なんてものは読書しかないのに、こんな暗闇では文字なんて読めたものじゃない。体にかかっていた薄い毛布を退かし、カチカチのベッドから足を降ろす。
二段ベッドの上では、まだ同期のノルドがぐーすかといびきをかいている。覗いてみると、だらしなく腹を出しているじゃないか。風邪ひいても知らないぞ……。
幸せそうに眠る彼の顔を見ていると——昔の記憶が脳裏をかすめた。
子供の頃に、一度目にした憧れ。この国の王が、外国から帰ってきたときのパレードだった。どういう意味のパレードだったのかは、子供だった僕にはよくわからなかったけど、その日見た王の勇ましさと、それに付き従う騎士たちの堂々たるや、僕はその頃から騎士の真似事ばっかりやっていた。
いつかあの背中の近くで剣を振れる騎士になりたい。そんな思いでこの日まで生きてきて、今もそれは変わらない。
ただ、入隊してから気づいたこの騎士団の現実は、想像以上に過酷だった。その有様はこの隊舎にも現れ出ている。
二段ベッドの脚はぐらぐらで、昨日の雨漏りの跡がまだ天井に残っている。訓練場の方を見ても、木剣の数と木人形の穴の数が釣り合わないボロつき具合。
——そんなことを考えていた、その時だった。
隊舎の扉が、キィ……と耳障りの悪い音を立てて開いた。
その音を聞いた瞬間、さっきまでぐーすかといびきをかいていたノルドも僕も揃って背筋を伸ばした。
入ってきたのは、僕たちが所属する「王直属騎士団第六番隊」隊長のジャレッドさんだった。
「起きてたか。この扉の音が鳴ったらこっちを向く体質になっているようでうれしいぜオレは」
いつも陽気で豪快な様子のジャレッドさんにしては、どこか落ち着いた様子だった。笑顔を絶やすことがないその表情も、今はどこか陰がかかっていた。
「ロック、ノルド。六番隊を叩き起こせ。隊服を着て、王の間前の扉に整列して来い」
それだけ言うと、ジャレッドさんは扉を閉じた。
並々ならぬ様子と、普段彼から感じることのない気迫に、僕とノルドは目を合わせても、言葉を紡げるような雰囲気ではなかった。
状況はよくわからない。ただ、今まさによくないことが起きている。そう直感せざるを得なかった。
僕とノルドは手分けして、五十はある六番隊の隊舎全ての扉を開けて、みんなを叩き起こした。建付けの悪い扉の音を聞いただけで、中にいたみんな揃って扉の方を向いていたので、特にこれといった苦労はなかった。
言われた通り隊服に袖を通して、六番隊総勢100人。全員揃って整列して王の間に向けて行進し始めた。
まだ夜は明けない。
外の暗闇とは対照的に、王城の廊下は豪華な装飾が施された照明によって昼間のように輝いている。微妙に揃っていない革靴の音だけが廊下内に響いているのを聞きながら、行進を続ける。
誰も言葉は発さない。発せるような環境でも身分でもないのを、僕たち全員が知っているからだ。無言の行進は空気を一層重くさせており、余計に足取りを重くさせて、足音のズレを生む。
あの頃憧れた騎士の行進は、もっと胸を張るものだったはずだ。こんなふうに、足音を気にしながら歩くものじゃなかった。
長いようで短い道のりを経て、僕たちは王の間へと続く扉の前までやってきた。
扉の前には既に精鋭である一番隊や、その右腕である二番隊と、僕たち六番隊を除いた全十二隊が揃っていた。訳も分からずここに引っ張り出された僕たちとは、意識や行動力が違う。そう感じざるを得なかった。
扉前の配置につくと、クスクスと小さな笑い声が聞こえてきた。あぁ、またかと思い、僕は無視を決め込んだ。
どうせ笑っているのは七番隊だろう。貴族出身の彼らはことあるごとに僕らをバカにする。今回もどうせ、遅れてきたのは平民だからだとかこじつけているのだと思う。
隣の嘲笑に堪えていると、扉の前に一人の男が歩み出た。あの人は確か、ウォルター侍従長だ。王の側近であるはずの彼がこんなところに出るなんて。そんな言いようのない不安感が、突然僕の胸中を覆った。
「朝日が昇る前のこんな時間に集まっていただき申し訳ない。詳しい話は、王の間でさせていただきます。大臣一行も、奥でお待ちしております」
そう語ったウォルター侍従長は、手で音を二つ鳴らした。すると、彼の背後にある、王の間へと続く巨大な扉が、ひとりでに開き出した。
僕はこの時、言いようのない不安感は確かにあった。
だけど、この扉の向こうで、この国の“運命”がすでに音を立てて崩れていたとは——
想像すらしていなかった。




